+++ 22222hit御礼SS +++

城の庭園からのびる小路を、質素な黒いマントを羽織った男が歩いていた。
すれ違う者の殆どが、彼に向かって無言で頭を下げていく。
声をかけるものはいない。それは暗黙の了解になっているからだ。
一人の供も連れず歩くマントの男は、この国、ラダトームにおいて王と呼ばれる存在だ。
本来ならば、王たる身でのこのような振る舞いは明らかに不適格である。彼の行動に苦言を述べる者がいなかったわけではない。
しかしながら彼が登極した時、ラダトームはまだ復興途上で誰もが忙しく立ち働き、国王の視察と称するお忍びやら一人歩きやらにいちいち目くじらを立てているだけの余裕がなかった。
王が仕事を放って出歩いているのならまた別だったのだろうが、彼は王妃と共にさまざまな政策に取り組み、荒れ果てた国土を元の緑へと復活させ、経済を立て直し、国民が食べていけるようにと尽力した。
王はその背に国民の命と生活の責任を負いながら、見事にその任を果たしたのである。
以後国王のお忍びは止まるかと思われたがそうはならず、以前と同じように、月に何度かふらりと姿を消す。
さすがにそろそろ止めてくれと誰もが口を揃えて言うのだが、彼は聞く耳を持たない。
王妃が言えば止めるだろうと陳情しても、王妃自身が苦笑しつつも容認しているのだから始末に終えない。
万が一のことがあればと青くなる家臣達に、「彼の危機察知能力と直感は信じていいよ」と言って王妃は笑った。夫婦仲がよいのはいいが、お互いを信用しすぎだと専らの評である。
とはいえ地上地下の両世界を見渡してみて、国王が他に類を見ない強力な戦士であることは誰もが知るところである。
付け加えれば王妃もそうだ。二人はかつて、カーメンの王子アルスと並んで『勇者』と呼ばれていた。
元々ラダトームの王位継承者だったアステア姫が彼を連れ帰り、王として立てると宣言した時、生き残っていた若い者のうち、結構な数の騎士が反発して彼に試合を挑んだ。
その悉くを、剣を三合あわせぬうちに下した事実は、彼の実力と共にラダトームの伝説となっている。
勇者の称号は伊達ではないのだ。
それに国王がうろついている場所は基本的に城下のみであるらしい。
あくまでも気晴らしに出ているのなら仕方ない……と、家臣達も諦めざるを得なかった。
今となってはもう誰も止めない。止めようにも、出て行く国王の姿を誰も見たことがないのだ。
それはラダトーム最大の謎として知られている。
王の顔を知るものは、外から戻ってきたらしき国王とすれ違うと、黙って会釈して通り過ぎるようになった。もはやいつものことだからである。
こうして実力となし崩しで自由に出歩く権利を得た国王だったが―――そんな彼にも諸手を挙げて降参するしかない相手ができたわけで。

この日も十幾日かぶりに外出して、戻ってきた国王はある窓の下を通りかかった。
「おかえり、アラン」
空から降ってきた声に顔を上げる。いつも耳に心地いい妻の声に、アランはふと口元を綻ばせた。
「ああ、今戻った」
窓から少し身を乗り出しているアステアの姿は、おてんばな十代の娘のようだ。これだけ見れば、とても二歳児の母親には見えない。
これが結婚前なら、まるで少年としか思えなかっただろう。それを思えばどうということはない。
兄アロイスの死後、アステアはずっと少年として振舞っていたが、結婚後は相応に女性らしい仕草を見せるようになった。子供を産んでからは、大人の女性としてのしっとりした落ち着きすら身につけている。
男のように短かった髪は随分と伸びて、薄赤い髪が彼女の輪郭を隠し、女性らしい雰囲気を強める。
出会った当初に比べると、彼女は信じられないくらい女らしくなった。
変われば変わるものだ、とアランは思った。ちなみに自分のことは棚上げである。
何やら感慨深げにしていると、窓際のアステアが声を弾ませてこう言った。
「そっち行くから、受け止めてね」
ああ、こっちに来るのか。受け止めてって……受け止める!?
視線が合うと、アステアは天使のように笑った。さっきよりかなり目の位置が高い。
それもそのはず、アステアは窓枠に立っていたのだから!
「行くよ〜」
待て、と制止するには遅すぎた。窓の向こうから悲鳴が聞こえる。そりゃそうだろう。
アランは覚悟してやや腰を落とし、ぐっと地面を踏みしめる。
白いドレスの裾がふんわりと翻る。宙に躍り出たアステアはすぐさま身体を小さく丸め―――
どさり、と。
それなりに重さを感じさせる音。
アランの口から獣の唸り声のような声が漏れた。
夫の腕の中にキレイに納まったアステアがぱちりと目を開ける。落下の瞬間は目を閉じていたらしい。
「ありがと、信じてたよ、アラン」
「この……ボケ……!」
「だってやってみたかったんだもの」
「俺を殺す気か!」
「あはは、まさか。殺したって死なないよ、君は」
もちろん予告までされて、二階程度の高さから降ってくる彼女を受け止められないわけがない。
しかし、しかしだ。
仮にも王妃が―――――もうちょっと常識というものを考えた方がいいのではないか。
苦虫をまとめて噛み潰したような表情をしているアランの頬に、アステアはちゅっと口付けた。
とんでもない王妃殿下はじろりと睨みつけてくる蒼玉の瞳に邪気のない笑顔を返し、地面に降り立つ。
「今日こそ君がどこから出て行くか突き止めようと思ったのに、いつの間にかいなくなってるし。これくらいの嫌がらせは当然だろう?」
やっぱり嫌がらせか。
アランは彼女に黙って抜け出している。そういった引け目もあり、やはり少しばかり立場的に弱いので、突っ込みは心の中だけに留めておいた。
口に出してしまえば、際限ない口喧嘩が始まりそうだという予感もあったからだ。
こんな人目のあるところで、国王夫妻の恥を晒す必要はない。
「二度とやるなよ……」
「ハイ」
返事だけはしおらしい。
―――女性らしい落ち着きはどこへやった。客の前だけなのか。
アランは頭を振って無駄な期待を追い払うと、何気なく上を見上げ―――凍りついた。
アステアもアランの変化に気付き、同じように見上げて―――やはり凍りついた。
窓の縁に立っているのは……いるのは!
「おとうしゃま〜!」
アニスが飛んだ。
二歳の娘の小さく丸っこい身体が降ってくる。
その事実を頭が理解するより先に、アランは絶叫して身体の硬直を振り払い、小さな身体を受け止める!
更に追い討ちをかけるように、アロスが窓縁に姿を見せた。
よちよちと歩く姿は微笑ましいが、今の国王夫妻にとっては恐怖の図でしかない。
よくしゃべりよく動くアニスと違って、アロスは穏やかな性質だ。言い方を変えると、アニスほど動き回らない。
ゆっくり窓によじ登ったアロスは、慌てて後ろからのびてきた侍女の手より早く、ころん、と落ちた。
アステアは疾風の如く動いた。後にも先にも、彼女がこれほど『筆舌に尽くし難い』形相をしたのはこれきりだ。
落ちてきたアロスを抱きとめ、そのまま地面にうずくまる。
全身冷や汗をかいて、肩を大きく上下させ呼吸を整えている。心臓はばくばくいいっぱなしだ。
アランの方も全く同じ状況だった。本当に恐怖で心臓が止まるかと思ったのだ。
異魔神と戦った時とて、ここまで恐ろしさを感じたことはなかった。
窓から覗いた数人の侍女の顔も、恐怖で引き攣っていた。下で国王夫妻に抱っこされている双子を見て、安堵の息を吐き、中にはへなへなと力なく床にくずおれてしまった者もいた。
彼女らの隙をついて落下してきた双子は、大人の恐慌などどこ吹く風と元気そのものだ。
大好きな両親に抱っこされて嬉しい子供たちは、顔じゅうを笑顔にして父に母に抱きついている。
「アニス、アロス……」
叱り飛ばそうとしたその時。

「陛下! 妃殿下! あなた方の責任です!
こちらにおいでなさいませ! 私が叱って差し上げます!」

女官長の叫びは、城中によく響いた。

その後、二歳の何でも真似したいさかりの子供の前で何という不用意な振る舞いをだとか、妃殿下もいい加減落ち着きなさいませだとか、陛下はしばらく外出禁止ですだとか、子供を抱っこしたまま、小一時間説教されるラダトーム国王夫妻の姿があった。
しおらしく怒られている二人に、国を立て直した賢君としての貫禄はどこにもなかったという。

カウント22222hitを踏まれた柊里様に捧げます。
アラアスで楽しい、もしくは笑える話、というリクエストを頂いておりました。
……アラアス的には笑えない事件ですけどねアハハハハ。
こ、こんなのでいかがでしょうか……謹んで柊様に進呈致します。
2005.10.1 イーヴン