+++ Birthday +++

「ああ、疲れた……」
アステアは長いため息とともに寝台に身体を投げ出した。
「誕生日なんてもう来なくていいわ……」
王の月、王の日。
それはロトの血をひく三人の勇者達が誕生した日である。
この日ラダトームでは国王、王妃の生誕と安定した治世を祝し、大きな式典が執り行われた。
式典の後は、当然ながら宴の席が設けられる。その祝宴が問題だった。
最初に誕生日と銘打たれているため、各国の使者や客人がそれぞれに祝いの言葉を述べていったのだ。
それ自体はありがたいことだ。素直にうれしいと思う。
しかし、だ。
ほんのわずかも人が途切れることなくやって来ては似たような会話を繰り広げる。更に主役である自分たちは常に笑顔でいなければならないのだ。少し抜ける、ということすら出来なかった。それがどれほどの苦痛か、想像できるだろうか。
アステアにとっては、はっきりと苦行以外の何ものでもなかった。
これも王妃たる者の努め。
アステアは自分にそう言い聞かせて、笑顔の仮面を被り続けた。
自分がこうなのだ、アランなどは爆発寸前なのではと思い横を見てみれば、なんと彼は穏やかな微笑すら浮かべてそつなく応対していた。
君となら感情を共有できると思ったのに! アランの涼しい顔が憎たらしい。
理不尽な怒りを腹の底に溜め、アステアは引きつりそうになる笑顔を必死で取り繕いながら、宴の間中『常に優しく穏やかでお美しい王妃様』を演じ続けたのだ。
「お前がそんなに不機嫌なのは珍しいな」
幼い頃から王族としての意識を叩き込まれてきたアステアは、こういった式や宴での付き合いの重要性をよく理解している。
確かに人は多かったが、いつもならばこの程度の事と平然とこなしてみせるのに……今日だけは違っていた。
加速度的にアステアの機嫌は下降していき、笑顔が凄みを増してゆく。
こんな時気配に聡いってのは不幸だよなと思いながら、アランは妻の体から発せられる妙な圧力に耐え、俺は冷静であれと心に課した。
「……不機嫌にもなるよ」
理由を察してほしいと思うのは贅沢な願いなのだろうか。
アステアが首だけを動かしてアランを探すと、彼は何故か衣装棚を開けて中を物色していた。
似合わなさすぎる光景に、アステアはぽかーんとその後ろ姿を眺めてしまう。
「……アラン?」
「ええい、コレか? 違うな……」
「何探してるの?」
「お前の服。……これか」
ぽんと白い布が投げ渡された。びらり、と広げて見れば、それは彼女が以前使っていた白いマントだった。更に他の服も飛んでくる。
「他のはこれでいいな……ホラ、着替えろよ」
アステアは起き上がり、目を瞬かせてアランを見つめた。
「着替えろって……寝間着じゃなくてこれ、旅装じゃない」
「いいから」
アランもどこからか自分の服を引きずりだし、絹で仕立てた礼装を脱ぎ捨てて着替えはじめた。
……アランの意図が掴めない。どこかへ出かけようというのだろうか?
「私……疲れてるんだけど」
言外に「ちゃんと説明して」との意味を込めて呟く。アランがくるりと振り向いた。
あっという間に着替えてしまった彼は、アステアの目の前まで来て顔を近づける。
不意に近づいてきた端正な顔に慌ててアステアは身を引いたが、アランは構わず寝台に手をついて身を乗り出す。
互いの唇が触れ合った。
本当に触れ合わせるだけの軽い口付けだったが、アステアは耳まで赤くして硬直してしまった。
そんなアステアに、アランは悪戯っぽく笑いかける。
「いいから着替えてくれ。疲れてるなら背負ってやるから」
アステアがこくこくと頷くと、アランは彼女の整えられた髪をくしゃっとかき混ぜた。
「化粧も落とさないとだめなんだよな? なら一刻後に出る。急げよ」
その間隣で仕事してるからと言い置いて、アランは部屋を出ていった。
アステアは扉が閉まるまでぼぉーーっと見ていたが、はっと目が覚めたように身を震わせ、唇に手をやる。
「……こういうごまかし方、反則」
アステアはほんのりと頬を染めて呟く。
それから侍女達が気合いを入れて着付けたドレスを乱暴に脱ぎはじめた。

どこに連れて行く気なのかと問い質しても、アランは口元を僅かに歪めるだけで答えようとしない。
それどころか「目隠しさせてくれ」などと言い出して、アステアは怒るべきか呆れるべきか一瞬悩んでしまった。
「それ……必要なの?」
「つけていくのといかないのとでは、大分違うな」
真面目に答えるアランにアステアはため息をついた。
アランらしくない行動だ。秘密めいたお遊びなど、彼がやるとは思いもしなかった。
しかし本気で疲れていると告げたアステアを連れ出したのだ。それなりに理由があっての事だ、ということは分かっていた。
「……仕方ない。いいよ」
大き目の手巾を折り曲げて、両目に当てる。アランが後ろに回って外れないようきっちりと結び目を作った。
満足げに頷く気配がする。本当にどこに連れて行く気なんだか、と思っていると、腕を掴まれた。
アランの服を掴むと、優しく背を叩かれた。覚悟を決めて、身体の力を抜く。
「じゃ、行くぜ……ルーラ!」
アランの紡ぐ緻密な魔力の綾が周囲を巡る。
浮遊感を感じた、と思った時には既に、再び地に足をつけていた。
ルーラの魔力が霧散した瞬間、アステアは吸い込む空気が違う事に気がついた。
目隠しの向こうの明るさも、均等な地底世界と違って一方向が特にまぶしく感じられる。
「アラン、ここ……地上?」
「ああ。……こっちじゃ駄目だな……」
「こっちじゃって……ああ!」
アステアが問い返す間もなく、再びルーラが唱えられる。
心の準備が出来てない時に唱えるな! と抗議したかったが、そんな不満は驚きに取って代わられた。
降り立った地が随分寒く、また『夜』であったからだ。
「夜……」
「アステア、おぶってやるから、ほら」
「あ、うん」
アランの肩を探り当て、地面を蹴り上げる。アランが背負いやすいように体勢を整え、意外と広い背中に収まった。
「ここはどこ? そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「場所は地上、サマンオサのある大陸の北大陸の方だ」
「スーの村がある方?」
「そっちの方が分かりやすいか。そうだ」
強い緑の匂い。しかし葉擦れの音が聞こえないから、森や山ではないようだと推測する。
足音が柔らかいから、草の絨毯の上でも歩いているのだろうか。平原?
「どこに行くの?」
「高台へ」
「何しに?」
「見てのお楽しみだ」
場所については教えてくれたが、目的については聞いても頑として口を割らない。
アステアは諦めて別の話題を振った。
「背負わせちゃって、ごめん」
「疲れてるお前を連れだしたのも、目隠ししてくれと頼んだのも俺だ。気にするな」
「でもアランだって疲れてるでしょう」
「あんな締め付けるドレスで過ごしてたお前に比べたら、大したことじゃない。大事な奥さんに、それくらいのことはするさ」
「……うん」
アステアは小さく呟いて、まわした腕に少しだけ力を込めた。
ほんのささやかなことだ。なのにそれが、こんなにも嬉しい。
だいじなおくさん、だって。
心の奥底に燻っていた嫌な気持ちが消えていく。我ながら単純とアステアは思った。
「着いたぜ」
心持ち嬉しそうな声が聞こえてアランの足が止まる。
そっと彼の背中から下ろされて、地面の上に座らされる。
「アラン?」
「ちょっとうつむけ。手巾外すから。俺がいいって言うまで顔あげるなよ」
背後で結び目を解く気配がする。布を外されると、少し目の周りが冷える感じがした。
「アラン、もう、いい?」
「ああ。空、見てみろよ」

空?

―――星の、海。
見上げたアステアの青い目に飛び込んできたのは、満天の星空。
宝石箱をひっくり返したかのように、夜空全体に星が散らばってきらきらと輝いている。
空から降ってきそうだと恐怖を覚えるほどの星の洪水に、アステアはただただ圧倒された。
アレフガルドでは決して見ることの出来ない光景。
月が出ていないのに、夜の闇を蒼白く彩る幾千幾万もの星々のひかり。
「綺麗………」
アステアはそう呟いたきり動かない。
アランが肩を押してやると、ぱたんと倒れて地面に背中をつけた。
それでも視線は夜の空に固定されたままだ。
アランはアステアの横に座り込み、地面に広がる肩口まで伸びた赤い髪に触れた。
「誕生日おめでとう、アステア。お前に、お前だけにこれを見せたかった」
アステアの肩がひくりと反応する。
星の光を宿した青い目が、すうっと動いてアランの目とかち合った。
「誕生日、だから」
「そう。誕生日プレゼント……って奴」
アステアはしばらく信じられないものでも見るかのように目を見開いていた。
その表情がふっと緩む。髪に触れているアランの手に触れて、ぎゅっと握りしめた。
「ありがとう……すごく、嬉しい……ッ」
鼻の奥がツンとする。おかしい、今嬉しくて笑顔を見せたいはずなのにと思っていると、アランがちょっと笑って言った。お前、泣くか笑うかどっちかにしろ。
アステアは思わず跳ね起きて言い募った。
「だ、だって、だって! せっかくの、結婚して最初の誕生日なのに! 式典なんかで潰されちゃって、二人っきりにもなれなかったし、私の方こそおめでとうって言いたかったのに全然」
「不機嫌だったのはそれが原因か」
「そう、です……」
アステアは俯いて消え入りそうな声で肯定する。
よく考えるとものすごく恥ずかしいことを口走ってしまった。アランの顔が見られない。
「アステア」
アランの手がアステアの両頬に差し入れられ、顔を上向かされる。
「顔あげろ。せっかくの俺のプレゼント、見ないで下向いてんじゃねえ」
それともいらないのか? と低い声で問われ、アステアはぶんぶんと首を横に振った。
二人して草の上に寝っ転がり、星の天蓋を飽きることなく見上げ続ける。
「誕生日おめでとう、アラン。……ありがとう」
返事はない。代わりに指を絡めて繋いだ手が、強く握り返されてきた。
アステアの胸を幸福感が包み込む。こんなに嬉しいことはない。
誕生日に、好きな人と二人きりで、静かな世界にただ何もせず夜空を見上げて……想いを通じ合わせて。
「すごいプレゼント貰っちゃった……私の君へのプレゼント、これじゃ釣り合わない」
アステアは心底悔しそうに呟く。
どうしよう、とアランに目をやると、何だか嬉しそうに瞳を輝かせた夫がそこにいた。
「な、何?」
「そうだな、アステアからのプレゼント、ここで、ってのは?」
「は? ……………………………っっ!!」
やや遅れてアランの言葉の意図を理解したアステアは、瞬時に真っ赤になり絶句した。
ここで!? こんな何にもない平原で!?
「だ、駄目! せめてちゃんとしたとこ……!」
「りょーかい」
「あっ!?」
しまったと思った時にはもう遅い。成功と言わんばかりにアランはにやりと笑ってみせる。
なんとなくムカついて、アステアはアランの足を蹴っ飛ばした。
「冗談だって。心配しなくても、疲れてるお前に手を出したりしない」
優しい声が耳に届く。アステアは目を閉じて、顔を空の方に向ける。目を開ける。
「私だけに見せたかったの?」
「ああ。アステアだけに」

星降る夜に、二人手を繋いで夜空を見上げる。
二人きりで。
―――ずっと。


ロロママさんお誕生日おめでとう創作です。
『Lo.Ro.』さんにupして頂いている物と全く同じです。
ママさんが続き書いてくださってます。読んだ時は狂喜乱舞しましたv
2005.6.25 イーヴン
2005.7.3up