+++ ロト紋祭参加作品 +++

 † 尊きぬくもりを抱いて †

 2005.1.6 投稿

その小さなものは、今は白い産着にくるまれて眠っている。
産婆や侍女が笑顔で何やら話しかけてくるが、俺の耳には言葉として入ってこない。
どうぞ陛下、と言われて生返事を返すと、その白いおくるみが俺の前に差し出された。
一瞬躊躇ってから、慎重を期してというよりは、(正直に言うと)恐る恐る腕をのばし、その中に抱き取る。
これを……どうしたらいいんだ?
助けを求めるように妻の顔を見ると、妻は笑っていた。
後になって思い返すと、あれは微笑と言うよりは吹き出した後の顔だったが……。
「ほらアラン、赤ちゃんにご挨拶」
「ご挨拶って……」
そっと覗き込むと、皺くちゃの顔らしきものがそこにはあった。
本当にこれが人間かと思うくらい、小さな小さな顔だ。
「………」
よく見ると、ちゃんと呼吸している。こんな―――こんなに、小さいのに。
生きている。

その事実が脳に染み渡った途端、嵐のような恐怖と不安感が背筋を走り抜けた。
そうだ、これは『生きている』のだ。
俺の血を継いだ、新たな『いのち』―――
心が細波だった。この不安は何なのか、どこから来るのか。
頭が混乱して説明がつかない。自分の心が分からない。
今はラダトーム王などと呼ばれていても、かつて殺戮に酔い、幾千幾万ものいのちを刈り取ったこの手で、まっさらないのちを抱いてもいいのか……そういう、不安なのだろうか?
いいや、違う。過去の事は過去の事だ。とうの昔に吹っ切った。ならば何故。
冷たい呼気を吐き出した瞬間―――
眉間をつつかれた。
我に返ってみると、寝台に横たわっていたはずのアステアが身を起こして、俺の眉間に人差し指をあてていた。
「眉間にシワ寄せて、何考えてるの?」
アステアが目元を和ませて笑う。理由は分からないが、何となくいつもと笑い方が違うと感じた。
「アランの考えてる事、当ててみようか。俺みたいなのが子を持っていいのだろうかーとか。育てていいんだろうかとか」
視線を合わせたまま息をのんでいる俺に、アステアはにやりと笑ってみせた。
「それ、ものすっごく見当違い」
「俺に……俺自身に分からない事が、どうしてお前にわかるというんだ?」
「分かるよ、だって」
アステアは一拍置いて言った。
「私はお母さんになったんだから」
「はあ?」
何を当たり前の事を言っているんだ、アステアは?
「君はどうも大事なことをひとつ忘れてるみたいだから言っておくけど、この子は、私とアランの子供。つまり私たちはお母さんとお父さん」
「忘れるかよそんなもん」
「君は『お父さん』になったんだ。父親がどういうものか、何を果たすべきか、ちゃんと分かってる?」
問われて―――俺は固まってしまった。
理屈の上では分かっている。
俺は父親になった。父として、今この腕の中で眠っている子を育てる―――次の王として? ロトの血を継ぐものとして? そんなことは二の次だ。
人間として。
今まで曖昧だった感覚が、ふいに透き通って見えた。
俺は怯えていたのだ。人ひとりの人生の出発点を背負うことに。父親になることに。
「……恐いよね」
「……恐い。どんな強敵と戦うより恐い」
背中をとん、とん、と優しく叩かれた。アステアが子どもごと俺を抱きしめるようにして、背中に手をまわしている。
私はここにいる、安心して、と。
それは子どもを宥める時の仕草だったが、不思議と俺を落ちつかせた。
「今初めて実感した。親になること、親として生きること……」
脳裏に死んだ父と母の面影がよぎっていった。
俺が生まれたとき、彼らもこんな風な気持ちになったのだろうか?
「お前は感じないのか、こんな重圧……」
「私は女で母なんだよ? この子がお腹の中にいる間に、じっと耐えて考えて消化したよ」
産まれた以上は腹を括った。そう言った時のアステアの表情を見て、俺は女は強いという言葉の意味を理解した。
俺は、これからだ。
多分今の俺はもの凄く不安そうな顔をしている。
それでも現実がこの腕の中にある以上、逃げ出すことはできないし、そのつもりもない。
少なくとも俺の隣りにはアステアがいるのだから。
もう一度、二人が守り育てるべき小さな命に目を落とした。
「私達の子ども……私達二人で、全身全霊を賭けて愛して、慈しんでゆこう」
「ああ」
アステアにおくるみをそうっと渡しながら頷く。と、アステアが小さく声を漏らした。
「あ、アラン、いい顔になった」
「?」
「お父さんの顔、かな?」
ならばお前の日だまりのような優しい柔らかな笑顔は、母親の顔なんだろう、アステア。





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