+++ 檻 +++


『―――――血に染まれ』
全てを血に染めて
死と赤い闇が支配する
ただそこだけが俺の居場所
不可視の檻に捕らわれて
歓喜の笑みと共に
絶望の涙と共に
ただ呪いの言葉を紡ぐ
『大地よ血に染まれ・・・そして呪われよ』
『全てを血の紅に染めた地、そこだけが俺の居場所』



ノアニール地方の小さな山国。
そこで、人間対魔物の戦闘が行われていた。
いや、戦闘などという生易しいものではない。
それは殺戮だった。
魔物による、人間の・・・・・・。
そして、その殺戮の陣頭に立つ者は

一人の、人間の少年。

「・・・意外にしぶとかったな」
「ジャガン様、後始末は我々が。すでに歯向かう者・・・いえ、生きている者はおらぬようです。少し休んでこられては?」
「ふむ・・・そうしよう」
11歳の少年はくるりときびすを返し、落としたばかりの城の奥へと向かった。
王族のものらしき寝室を見つけ、ベッドに寝転がる。
心地よい疲れと充足感。―――そして虚しさ。
小さな国一つを滅ぼすことなど、彼にはできて当然のことだった。
魔物達に任せておけばいいものを、わざわざ彼を「使う」理由・・・それが分からないほど彼は馬鹿ではなかった。
いや、年齢からすれば、彼は賢すぎるのだ。
けれど、彼は賢くなる必要があった。・・・早く大人にならざるを得なかった。
魔物しかいない中で、生きていくためには。
「・・・・・・イライラする」
魔人王の心を汲むものはいない。
どこにも・・・いない。

不快な気分のため結局休むのを諦め、ジャガンはベッドから起き上がった。
「・・・・・・?」
ふと風を感じ、そちらに目を向けたが窓のようなものはない。
気のせいかと思ったが、何かがジャガンの感覚に引っかかった。
(燭台が・・・ずれている?)
等間隔に壁に取り付けられている三又の燭代の一つが微妙に横にずれた場所にあった。
まがりなりにも一国の王城でこんなことは考えられない。バランスを崩すなら、もっと計算して崩していたはずだ。
目を凝らしてそこを見つめると、はたしてそれはあった。
横に細く走る穴と擦れたような跡。
背が足りないので椅子を持ち出して踏み台にし、燭台を穴が長く伸びているほうにずらしてみる。
・・・奇妙な擦過音が足元で聞こえた。
「・・・抜け穴か」
ずらした燭台の真下。
そこに、人一人がなんとか通れる程度の暗い穴が口をあけていた。

「妃殿下、お気を確かに。あなた様と皇子殿下だけは、必ず・・・」
「・・・ほぉ、こんな所に隠れていたか」
「何奴!?」
「楽しくないかくれんぼだった。こんなにあっさり見つかるとは、鬼になった甲斐がない」
誰かを守るように扇状に広がり、随分と軽装備の騎士達は油断なく剣を構えた。
しかし声の主が年端も行かぬ子どもと知って、彼らは戸惑った。
――何故子どもがこんな所に?
彼らの疑問はもっともなことだった。
そもそもジャガンは戦争の時には指揮官として後ろにいるか、前線に出て敵を皆殺しにするか、そのどちらかなのだ。
そんな理由から、魔人王の存在は知られていても、その姿を知る者は人間にはほとんどいなかった。
「追いつかれないと思ったのか?間抜けだな、人間というのは」
「小童・・・貴様、何者だ?何故このような所にいる?」
一人の騎士が警戒を解かぬまま進み出て、彼に問い掛けた。
「・・・・・・やはり頭が悪いな。力の差も分からずに立派な口を利く」
ジャガンは明らかに小馬鹿にしたような口調で返した。
その言葉に騎士達は色めき立ったが、彼に質問してきた騎士だけが何かを理解し、青ざめて後ずさる。
ジャガンは続けた。
「騎士に隠密行動は向かぬか。まぁ当然だろう。貴様らは我等に威勢良く刃向かい、殺されるのが仕事だからな。無理は言わぬ」
ジャガンが出てきた抜け穴は、城からかなり離れた森の中だった。
見つけるのに骨が折れるかと思われたが、ご丁寧にも地面は足跡で乱れ、行く先々に逃げた者の痕跡が残されていた。
要人の守護を任されるほどの精鋭の騎士達なのだろうが、彼が言った通り隠密行動にはとことん向いていなかったらしい。
装備こそ音が鳴らないようにかなり軽装だったが、ツメが甘かった。
"逃げる"事に精一杯だったのか、それとももう大丈夫だと安心しきっていたのか・・・・・・とにかく彼らは選択を誤り、彼に見つかってしまったのだ。
「こんな間抜けな奴らを斬るのは不本意だが、まあ仕方がない。早く死ね」
「・・・このガキがっ!」
「待て!一人では無理だ!!そいつは・・・!」
仲間の制止は届かなかった。
一人の騎士がついに痺れを切らし、ジャガンに斬りかかった。
まっすぐ向かってくる騎士を見ても、ジャガンは全く動じない。
剣を手にしてさえいない。
頭から真っ二つにしてくれる、と騎士は剣を大きく振りかぶり、そして振り下ろした。
しかし・・・手応えはない。
彼の前に少年の姿はなかった。
「どこに・・・」
「後ろ」
簡潔な言葉が聞こえたと同時に、彼は前のめりに倒れた。
・・・背中から胸へ、刃が突き抜けていた。
「・・・・・・かくれんぼの鬼に見つかったというのに、まだ抵抗するのか?それもいいだろう。どちらにせよ、異魔神様の命令は、この国を滅ぼし・・・皆殺しにせよとの事。貴様らが死ぬことに変わりはない・・・楽しませてもらおうではないか?」
死んだ騎士から剣を引き抜きつつジャガンは言った。
笑みを深くしたジャガンと彼から発散される魔気に、彼らは気圧された。
「やはり・・・魔人王ジャガン・・・」

騎士達の間に静かな戦慄が走った。
ロトの血こそは人間の救いの象徴、希望の証。
それを体現するはずだった・・・・・・魔に運命を狂わされた少年が今、彼らの目の前にいた。
魔王が一人、魔人王として・・・。
一人、また一人と騎士達が剣を構えなおした。
「そう、そうこなくては面白くない・・・」
楽しげに呟き、ジャガンも剣を構えた。
「・・・来い」
戦闘が始まった。
ジャガンは一人。対して騎士達は7人いた。
最初に向かってきた敵の攻撃を、身体を低くしてやり過ごし、下からすくい上げるように剣を突き出す。
狙い違わず切っ先は左胸に突き刺さり、ジャガンは剣を引き抜きざま死体を正面に蹴り飛ばし、反動で後ろに下がった。彼の鼻先を剣が掠める。
体勢を整えて、攻撃してきた二人目の敵に襲い掛かった。
さすがに予測していたか、騎士の方も危なげなく剣を操り彼に立ち向かう。
すぐさま別の騎士二人が剣を合わせる彼らの所に走りこんできて、ジャガンに斬りつけた。
しかし、ジャガンも囲まれるような愚は冒さない。目前の敵の剣をはじくと同時に、小さい身体とスピードを生かして二人の騎士の間をすり抜け、そのまま背後に回りこんで足の腱を切り裂いた。
うめいて倒れこむ二人の騎士の身体に隠れるような位置にいたジャガンは、一瞬目標を失っていたもう一人の騎士に正面から襲い掛かる。
見事な不意打ちとなり、5合と合わせる間もなく騎士は倒れた。腱を斬られ、それでも起き上がろうとする二人に無造作にとどめを刺し、可笑しそうにジャガンは言った。
「とろいぞ貴様ら。それでも要人警護の精鋭か?・・・・・・ほう」
森の更に奥へと続く道の前に、一人の騎士が立ち塞がっていた。
最初に殺した騎士を除いて騎士達は7人、ジャガンが倒した騎士は4人。
「・・・・・・二人足らんな。逃がしに行ったか・・・無駄な事を」
「無駄かどうか・・・やってみなければ分かるまい」
騎士は静かに剣を構えた。その構えに、ジャガンはかすかな驚きの声を漏らした。
「・・・ロトの剣術。ローラン王国騎士の生き残りか」
「・・・参る」
短く言って、騎士はジャガンに打ちかかってきた。
下段からの疾風の如き一閃を、刃を合わせて受け止める。騎士の攻撃は意外にすばやく、そして重い。剣戟の音が間断なく続き、ジャガンはじわじわと押されだした。
幾度目かの鍔迫り合い。その時、突然騎士が力を抜いた。渾身の力をこめて押し返していたジャガンは一瞬対応しきれない。そして、真上からの一撃。
受け止めきれずジャガンは一瞬バランスを崩した。その隙を逃さず騎士はジャガンの剣を跳ね上げ、剣を振り下ろす。横に転がるようにして逃げるが、騎士は即座に逃げたジャガンに襲い掛かった。
「我が手にかかって果てよ!魔人王!」
体勢が崩れてすぐには動けないジャガンに今にもとどめを刺そうとする騎士に向かい、ジャガンは左手をつきだした。
「メラミッ!」
騎士の身体に巨大な炎がまとわりついたが・・・。
「甘いわぁっ!」
少しのダメージなどものともせず、騎士は炎を振り払って再びジャガンに接敵する。
それは、わずかに遅かった。
ジャガンはすでに立ち上がり、真っ直ぐに剣をつきだしてその薄い唇に呪文をのせていた。
「同じ手は食わぬ!」
「・・・イオラ!」
ジャガンの呪文が発動した。
騎士の、眼前で。
強烈な光と爆裂音が森の空気を引き裂き・・・騎士の目を焼き、聴覚を混乱させた。
「な・・・な・・・!?」
ジャガンの目的は呪文を当てることではなく、騎士の能力を封じること。
それに気づいた時、騎士はすでに冥界への門をくぐっていた。
「技術はなかなかだったが・・・こんなだましに引っかかるとはな。つまらん」
吐き捨てて、ジャガンは逃げた人間を再び追うことにした。


彼の足元には二つの死体。エビルデインで焼かれた、騎士たちのなれの果ての姿だった。
「騎士の質も落ちたものだな」
勝手なことを言いつつ、ジャガンは震えながら彼を見つめる二つの人影を見た。
身なりのいい女と、5,6歳くらいの少年。二人の顔は、どことなく似ていた。
(・・・そういえば妃殿下と王子とか・・・)
女は子供を守るように抱きしめ、ジャガンを睨みつけていた。
それは、妙に癇に障る光景だった。頭の奥で羽虫が飛び交っているような、嫌な感覚。
腹が立った。イライラした。その理由がわからないことに、余計にジャガンの苛立ちはつのった。
(・・・気に入らない)
「・・・貴様らも早く死ね。目障りだ・・・」
「おいたわしいことです」
「はぁ?」
女の言葉の意図がつかめず、ジャガンは振り上げかけた剣を止めてしまう。
ジャガンの当惑をよそに、女は続けた。
「あなたの父君も母君も、それは立派な方でした。息子であるあなたが、魔物に荷担するなど・・・」
何故・・・だと? 安穏と暮らしていたお前達に、一体何がわかるというのだ?
「俺は人間じゃない。魔人王ジャガンだ! それが俺の宿命だったからだ。弱きヒトなどではなく、魔人王として生きることがな」
「では魔人王よ・・・もう人を殺すのはおやめなさい。あなたは罪を犯しすぎています。いつか必ず、罰が下ることでしょう」
「罪・・・? 何が罪だと言うのだ。異魔神様の配下たる俺にとって、人間を殺すのは当然のことだ。人間が魔物を殺すのと同じ事だろう・・・」
「そのような戯言を・・・」
「では俺が魔物の中で育ったことが罪? ・・・馬鹿なことだ。ならば罰されるべきは俺の"両親"だろう。・・・いや、親父はすでに罰を受けたか・・・」
ジャガンは小さく鼻を鳴らした。
「守りきれなかった自分の子どもに殺されて、な」
「何ということ・・・」
蒼白になった女の顔を見て、少ししゃべりすぎたことに気づき、ジャガンは舌打ちした。
ジャガンは剣の切っ先を彼らのほうに向けた。
「おしゃべりは終わりだ。一息に殺してやる」
言った途端、女の抱きしめている子供が、火が点いたように泣き出した。
しかし女の方は、蒼白になりながらも彼をじっと見つめている。その瞳に哀れみの色を見つけ、ジャガンはさらに嫌な気分になった。
「・・・命乞いはしないのだな。女にしてはいい度胸だ」
「一つだけ・・・」
苛立ちを隠してからかうように言ったジャガンの言葉を無視し、女は言った。
「あなたは檻の中にいる・・・魔と言う名の檻、その中で飼われているだけ。あなたはそれを知っていながら、狂わされた運命を甘受するのですか」
「うるさい」
静かな怒りを込めたジャガンの言葉にも女は退かなかった。
「あなたは悲しいひと・・・」
「もう死ね」
ジャガンの剣は、実にあっさりと女の細い首を刎ね切った。
赤い血がジャガンの白皙の肌にはねて頬を伝い落ち、真紅のひとすじの跡をつける。
子供の泣き声が更に大きくなった。
「かあさま・・・かあさまーーーッ!!」
母親の死体に取りすがって泣く子供も、ジャガンは無造作に切り捨てた。
・・・頭の奥で、何かがざわめく。それは前触れ。
血に濡れた剣を見つめて、ジャガンは呟いた。
「・・・魔の檻よりも、厄介なものがある・・・」


それは時折、思い出したようにやって来た。
彼を苦しめ続ける、何よりも呪うべきもの。
血が沸騰して逆流するような感覚は、いつまでたっても慣れることができない。
「うっ・・・・・・ぐぅっ・・・」
全身に熱湯を浴びせ掛けられたような苦痛に、膝をついて荒い息を吐く。
魔人王の儀において捨て去った筈のものは、いまだに身体の奥で燻り続けていた。
「ロトの血・・・め・・・」
光が身体を蝕む。焼け付くような痛みが身体を支配する。
―――もっと血を!そうすれば、こんな苦しみはなくなるのだ!
「血に狂うしか・・・逃れるすべはない・・・か・・・」
苦痛の中で、彼は自分を嘲笑った。
複数の選択肢は、彼の手には無かった。痛みから逃れるために、彼はただひたすら殺して殺して殺しまくった。
魔人の血によるロトの血への支配力を強めて抑え込むしか手はなかったのだ。
それはある程度は成功したといえる。痛みに苦しむ回数は目に見えて減少した。しかし、忘れた頃に突然、恐るべき激痛が彼を襲うようになった。
それは、魔に身をゆだねるという劇薬の副作用。
殺せば殺すだけその苦痛は強くなる・・・けれどもう、彼は殺戮の中でしか生きられない。
魔に捕らわれたら逃げられない。安息を得るは血臭の中、死骸の上。
ロトの血<聖なる檻>から逃れるために、彼は魔人の力にしがみつく。
ジャガンを捕らえる二重の檻。
その無形の檻は、彼が逃れようとすればするほど、より彼を深く捕らえた。
灯台の灯が闇色の海を照らす時こそ、最もその輝きを増すように。
ジャガンは立ち上がり、自分が斬り捨てた母子を見つめた。
『あなたは罪を犯しすぎています』
「・・・・・・ロトの血。こんな・・・こんなもののために何故、俺が苦しまねばならない?」
その白い面に浮かぶ表情を見るものはない。
これまでも。
これからも。


「どれだけ殺せば、俺は楽になれるのだ・・・・・・」


『血に染まれ』
『俺は人の死の上に立つ者』
『檻の中で、永遠に罪を犯しつづける者・・・』

彼を取り巻く、"ロトの血"という名の光の牢獄。
それはあたかも原罪のように、決して彼から離れることはない。