+++ 仲よき事は…… +++

その日城の兵舎前の広場では、いつも以上に気合いの入った訓練が行われていた。
整然と並んで素振りをしているのは、まだ若い下っ端兵士達ばかり。常ならば素振りばかりやらせていると手を抜きはじめるものが多く出るのだが、今日は違っていた。誰もが真剣に、単純な訓練に取り組んでいる。
それにはもちろん、大きな理由があった。
「これは、これだけ兵士達が頑張るのなら、陛下には毎日来ていただきましょうか」
「たまに来るのがちょうどいいんだ。いつもいたら鬱陶しいぞ」
「いやあ、しかし陛下がおられると怒鳴る必要がなくて楽で良いですからな」
「俺はお前達が仕事を怠けるための口実か?」
なごやかな笑いが起こる。しかし国王と騎士団長は訓練している兵士達から目を離さない。
月に一度、国王自ら兵士達に剣の指導を行う。今日がその日なのだ。
元々は単なる視察の一環だったのだが、アラン自身が戦士であること、また教えを乞いたいという兵士達のたっての希望により、このような場が設けられることとなった。
とはいえ指導するにも彼一人で全員を見ることは不可能である。
一部の見込みある兵士だけが直々に相手をしてもらえるというのが常だったが、今回に限って国王はいまだまともな剣すら握れない新兵達の前に姿を現したのだ。
新兵は十五歳前後の若い少年が殆どだ。
彼らは勇者という生きた伝説の話を、子供の頃に浴びるほどに聞いて育った世代であり、王と王妃に対し、憧れと尊敬の気持ちを最も強く持っている。
そういった事情を鑑みて今回のはこびとなったわけだが、目論見は大当たりだったようだ。
初めて間近で目にする国王の姿に、新兵達は歓喜と緊張で大騒ぎになった。
しかしいざ訓練が始まると全員目の色が変わっていた。
一心に稽古に打ちこんでいる。少しでも努力して上達し、国王に認められたい!気にかけてもらえるようになりたい!という意識が働いたらしい。
アランは隊長格の兵士と共に、ゆっくりと練兵場内を巡る。
おかしな構えをしている者には容赦無く叱責を浴びせ、時に的確な助言をし、指導を行う。
新兵には厳しい注文もたまに飛び出していたが、それも発奮材料に一役かっているようだ。
アランが一巡し終えて、騎士団長が彼の方に歩み寄ろうとした時だった。
「アラン!」
澄んだ声が響き渡った。

仰ぎ見れば兵舎へと続く階段の上に人影がひとつ。
アランにとっては見覚えのありすぎるその人物が大きく手を振っている。
「アステア!」
ラダトーム王妃殿下、ただいま妊娠六ヶ月。
身重の彼女はアランの呼びかけに笑いかけると、一歩を踏み出した。
背中まで伸びた赤い髪の毛と長いスカートの裾が、風を受けてふわりと揺れる。
「妃殿下!」
「ってちょっと待てーーっ!!!」
怪訝そうな表情をしつつも嬉しそうだったアランの顔つきが一変する。
不安と恐怖と怒りに引き攣った顔など、そうそうお目にかかれるものではない。
「止まれ! そこを動くな! 一歩も動くなよ!」
アランはメタルスライムもかくやという素晴らしい速度で疾走し、階段を駆け上がった。
息を切らすアランというのは、王となった今では滅多に見られない姿だろう。
立ち竦むアステアの前で懸命に呼吸を整え、心配そうに覗きこんでくる妻をぎっと睨みつけた。
「アラン?」
「……妊娠中に階段で走るバカがいるかーッ!」
「あ、ごめん嬉しくてつい。でも私、運動神経いいよ?」
「腹ん中に子供抱えて、いつもと同じワケないだろう。ったくもう六ヶ月のくせにヒヤヒヤさせるなよ……」
転倒したらどうするんだよ、とやや泣きが入ったアランの呟きに、アステアは本気で心配してくれているのだと嬉しくなる。
ただここで嬉しそうにしたら絶対に怒られるので、神妙にして謝った。
アランはおお〜〜きなため息を吐くと、がしがしと頭を掻く。
「下で見たいんなら」
「え、うわっきゃぁ!」
「俺が連れてってやる」
アランは妊娠中の妻を軽々と……『お姫さま抱っこ』すると、危なげなく階段を降り始めた。
抱き上げられた瞬間頭の中が真っ白になっていたアステアは、その振動にはっと自分を取り戻した。慌てて必死になって訴えかける。
「あの、下ろして、アラン」
アランはちらとも視線を向けず、アステアの言葉を完全無視した。
「もう走らないから、ね? それに赤ちゃんの体重とか、私ちょっと太ったりもしてるし、重いでしょ。だから、ね?」
「ウルサイ」
―――その一瞬、周囲が完全に音を無くした。
アステアはアランの腕の中で完全に硬直していて。
彼女の下唇をアランが舐めとっていったのを、ぼんやりと意識の端で理解する。
「俺が連れていってやると言ってるんだ。黙ってしがみついてろ」
「ハイ……」
階段を降りてくる国王夫妻を、完全に手を止めてしまった数十の視線が追いかける。
真っ先に呪縛から解放された騎士団長が頭を抱えている。
大方既婚者である隊長格の兵士達は、苦笑まじりに見なかったフリをした。
「いい迷惑だ……」
ここにいる新兵はこれから急速に色気づく年齢の少年達ばかりだ。
そんな彼らにまあ、目に毒な光景を見せ付けて。
真っ赤になって目を逸らした者、食い入るように見つめていた者、反応は様々だが、緊張感は完全に崩れ去ってしまった。
これでは訓練に身が入るかどうか。
「……責任持って指導してっていただきましょう」
誰かがぼそりと呟いた声に、新兵を除く全員が大きく頷いたのだった。


新婚気分バカップルアラアス。
2005.7.3 イーヴン

黙ってこっそりタイトル変更。
2005.8.31