+++ 手紙 +++

ラダトームは久方ぶりの慶賀に沸きかえっていた。
我らが愛すべきアステア王女がご結婚なされる。
またお相手のローラン王子アラン殿下が同時に即位されるという。
苦難に耐え続けていたラダトームの民にとって、それは異魔神が倒れた時以上に喜ばしい知らせだった。
結婚と戴冠が正式に発表されて数日の間、町はそれこそ時期外れのお祭り騒ぎで、時に警備隊が出動すらしたが、現在は落ちついている。
家々の窓が色とりどりの花で飾られていたり、玄関にロトの紋章を模したリースや細工物が吊るされているのが、祝賀の気持ちの表れなのだろう。
しかし落ちついてきた町の方とは逆に、城の方は忙しさが本格化していた。
結婚式自体はまだ先とは言え、一国の王子王女の結婚式で、更には戴冠式まであるのだ。
歴史ある国の誇りにかけて、式典は壮麗かつ盛大なものにしなければならない。
臣達の誰もが大いなる決意を胸に秘め、目の回るような忙しさの中仕事に当たっていた。
その中で意外にヒマだったのが結婚を控えた当人達である。
式典関係の仕事は本人達があまり興味ないせいか、臣下に任されているためだ。
もちろんダンスの練習をさせられたり、口上を覚えさせられたり、衣装合わせをしたりと、忙しくないわけではなかったのだが、それ以外は普段とあまり変わりなかった。
「まぁ、式が近づけばイヤでも忙しくなるよ」
アステアはくすくすと笑いながら言った。彼女の前には仏頂面をした未来の夫がいる。
「本当に剣の稽古もできないくらいにね」
アランの顔がますます不機嫌そうに歪む。
彼が今朝いつものように広場で型の稽古をしていたら、「んなことしてる暇あったらダンスの練習に専念しろこのどへたくそ」みたいなことを言われ、追い出されたのだという。
もちろんもっと丁寧に言われたらしいが、アランの感覚ではこう聞こえたらしい。
腹が立った彼はいつも以上に普段の仕事に打ち込み、倍の速度で書類の処理を終え、今は休憩と称してアステアの前に座っている。
「アラン、筋いいのに。ソフィーも何が気に入らないんだろう?」
さらさらと書類にペンを走らせながらアステアは呟いた。
ソフィーはアステアが幼い頃から彼女付きの女官として仕えている。
アステア個人の臣下であり、また女官でありながら剣に長け(どうもそれだけではないようだが)、彼女の剣の師でもあるのだという。
若く見えるが年齢不詳、裏の顔を持つ得体の知れない女というのがアランの印象だが、アステアには時折母のように姉のように接している。
そしてアランには値踏みするような視線を寄越してくる。
あなたは本当に私の姫様にふさわしい方ですか?
……俺がお前と結婚するってのが気に入らないんだろ、とアランが言おうとしたまさにその時、執務室の扉がコンコンと叩かれた。
「どうぞ」
「失礼致します、アステア様」
入ってきたのは当のソフィーだった。
明らかに休憩中とわかるアランに軽く会釈して、アステアの方に近づく。
彼女は手に幾つかの書簡を携えていた。
「本当はこんなこと私の仕事ではないのですけれど」
確かに本来なら侍従の仕事だが、わざわざソフィーが持って来たということは、それなりに意味があるのだろう。
アステアがちらりと目線を動かすと、ソフィーはかすかに笑ってみせた。
「お祝いのお手紙です。アルス様、キラ様ヤオ様ご夫妻、ポロン様より、またジパングの女王様からも、国としての祝い状以外に個人的な書状がございます」
「わぁ!」
アステアが歓声をあげて、目を輝かせていそいそと書簡を開く。
アランも一つを手にとってざっと読む。キラとヤオの手紙らしく、ヤオの手になるものらしい丁寧な文面のあと、非常に大雑把な字で「まさかおめーらがくっつくとはな! おめでとう! キラ」と書いてあった。らしすぎる内容にアランは苦笑する。
アステアに渡そうと顔をあげると、ソフィーがまだ手に二通の書簡を持っていることに気がついた。
「それは?」
「ああ、これ……実はよく分からないのです。差出人不明で、一通は普通の内容でした。もう一通はアラン様のみ開封可と書かれておりまして」
アランは手渡された書簡を確認する。確かに彼への親展と書かれている。
だがその下に見覚えのある印を見つけて、アランはきゅっと眉を寄せた。
この花押…………まさか。
「うわぁ」
書簡を読んだアステアが感嘆の声をあげた。
「見てよアラン」
渡された手紙の内容を見て、アランはうっと息をのむ。
それは手紙における形式をきっちり守った慇懃な文面で、これを書いた者に心当たりのあるアランにとってはかなり心臓に悪いシロモノだった。



 拝啓  新緑のみぎり、まずますご清栄の趣、心よりお喜び申し上げます。
おかげさまで私も変わらず無事暮らしております。他事ながらご安心下さい。
平素は何かとお心配りをいただき、厚く御礼申し上げます。

さて、このたびの貴国王女殿下ならびにローラン王子殿下のご婚儀、誠におめでとうございます。
王女殿下は若年ながら王家の姫としての義務を果たされ、憂い無く民を導いておられます。ローラン王子殿下も剣にかけては右に出る者なく、また指導者としての実力もいかんなく発揮しておられるとのこと。まさに理想のお二人とお見受けいたします。
これからラダトーム王と王妃として立たれる由、これまで以上にお忙しくなると拝察いたしますが、聡明且つ勇気あるお二人のこと、互いに支え合い、より平和で豊かな国を築かれると信じております。
早速お祝いに伺うべきところですが、式を目前にご多忙中かと思い、まずは書中にてご祝詞申し上げます。

 敬具


恐る恐る文章の最後を見ると、日付とともに差出人の名はなく、代わりにアランへの書簡にあるものとおなじ花押が捺されていた。
やっぱり、とアランは額を押さえて唸る。当たっていて欲しくない想像が当たってしまった。
「それが差出人の名前なのだと思います。古精霊語に似ていると司書が申しておりました」
「古精霊語の署名? 古風だけどないことはないね、古い国では正式な文書ではそれで署名するし……でもこれ花押だし、かなり絵画的に崩してるみたい……」
「ンの野郎……嫌がらせのつもりか……」
喉の奥から絞り出すように呟いたアランの台詞を聞きとがめ、二人はアランの顔を見つめた。
「アラン、知ってるの? この差出人が誰なのか」
「知ってるさ、俺もお前も、よーっく、な」
「よく知ってる……?」

「竜王だ」

時間が止まるというのはこういうことを言うのだろう。
アステアは大きく目を見開いたままかたまっている。見事な硬直具合で、呼吸も止まっているのではと思えたほどだ。
ソフィーはと思って視線を転じると、彼女は全く動じておらず、ちょっと期待していたアランはひっそりと敗北感に浸った。
「嘘! これ竜王が!?」
復活して叫んだアステアは、食い入るように文面を隅々まで読み返す。
「いや、魔王軍の中ではある意味一番理性的な敵ではあったけど……」
「炎と竜と王冠。奴の花押だ、間違いない」
「うわぁ……コレ、皮肉かな。おかげさまで、とか。お心配り、とか。よく存じ上げて、とか」
竜王の居城はラダトームの目と鼻の先だ。アランもアステアも時々偵察に赴いている。
彼と揉め事になったことはこれまで一度も無い。それどころか、かつてアステアに完全敗北を宣言したためか、「貴様らもヒマなことだ」と言いつつ雑談すら交わしていく。
もちろん竜王は魔王であり、人間の味方になったわけではない。腹の底は分からない。
決して気を許せる存在では無いのだが。
「これに関しては素直に受けとってよろしいのでは? 別に呪いもかかっておりませんでしたし、たとえ皮肉であれ、それだけなら何の害もございませんでしょう」
「ある意味とてつもない害悪だ」
右手の書簡を握り締めてアランは力説した。アステアが苦笑しつつ頷く。
そしてふとアランの持つ書簡に気がついて言った。
「アラン、そっちは? それも竜王から?」
「の、ようだが……俺個人に宛ててだと? 一体何考えてやがる」
アランは既にシワの寄ってしまった書簡を、さらにがさがさと音を立て手乱暴に扱う。
開いて中身を読み始め――
ほどなく顔をあげたアランに声をかけようとしたアステアは、彼を見て絶句した。
背後に炎が見える。青白く立ち上る怒りの炎だ。
顔は怖いくらい冷静かつ無表情で、それが逆に彼の怒りの深さを物語っている。
彼の手の中で、紙がぐしゃりと潰される。
「あ、アラン……?」
「出掛けてくる」
一言言い捨ててアランは出ていってしまった。
アステアはそれを呆然と見送り、ソフィーと目を見合わせた。
ソフィーが床に落ちた手紙を拾い、くしゃくしゃになったそれを丁寧に広げる。
それから中身をざっと見て、ふと口元を押さえた。
「ソフィー?」
「お読みになって下さい」
ソフィーのあまり動かない表情が笑いを堪えているように見えて、アステアは首を傾げる。
どうしたんだろうと思いながら、手の中の手紙に目を落とした。


長く生きていると色々と面白いことがあるものだ。
赤ん坊の頃から知っている貴様が結婚するとはな。まずはおめでとうと言っておこう。
お前達がラダトームをどういう国にしていくのか、すぐ側から見ていてやる。
精々頑張ることだ、モト同僚どの。

ああそうそう、子供ができたら知らせろ。娘ができたらもらってやる。
楽しみに待つとしよう。それでは失礼する、未来の御義父上。


アステアとソフィーは揃って窓の外を見た。
アレフガルドでは滅多に見ない暗雲が空一面に広がっている。
アランが出て行ったの、ついさっきじゃなかったっけ。
思考を停止した脳が不意にそんな疑問を浮かび上がらせたが。
――ほどなくして、竜王の居城めがけて幾筋もの稲妻が走った。

当初は懐妊祝いの予定でしたが、懐妊では祝い状は出さないか、と思ったので結婚祝いに。
あの手紙のために手紙の書き方の本を4、5冊借りました
2005.5.19 イーヴン