+++ 王墓にて +++

長い年月と多数の人間によって踏み固められ、磨り減った自然石の急な階段が上へと続く。
緩やかな道に見えたが、歩いてみればそうでないことがよく分かる。急勾配の山道なのだ。
「ここは基本的に禁領でね」
短く息をつきながら彼女は説明してくれた。
「年に何度か、祭りなどの時にだけ中腹まで国民に開放する。とても景色がいいんだ」
気を抜いて足を滑らせたりしてはいけないので、二人はずっと前と足下を見ながら歩いている。
段の高さや幅が均等でないから、不用意に足を出せないのだ。
「頂上は、普段は王族であっても立ち入り禁止」
確かさっき、紋章を刻んだ石碑……結界をまたいで通り過ぎたような気がする。いや間違いない。
しばらく前に見た立て札にも、何やら朱色の文字で禁足だの王領だのと書かれていた。
では彼女は山頂に行く気なのだ。
「……ところで俺たちは一体どこに向かっているんだ?」
「頂上。」
相変わらず前を見たまま、あっさりと彼女は答えた。
「頂上に何があるんだ?」
「すぐ、着くよ」
彼女はただ歩みを進める。重ねて質問しても良かったが、どうせ目的地はすぐそこなのだ。
彼は黙って彼女の後ろに続いた。
最後の石段を踏みしめたとき、二人の間をつめたい山の風が吹きすぎていった。
その風と同時に、彼女が振り返る。
「着いたよ、アラン」
やや伸びた赤い髪が風になぶられ、彼女の輪郭を様々に飾る。
アステアの背後に、幾つもの石碑が見えた。
年経た物が殆どを占め、きちんと手入れされていながらも、ある種の風格を醸し出している。
「……墓、か?」
「そう、ここは王家の墓」
アステアはアランに背を向けて歩き出した。
アランも後に続きながら、周囲をじっくり観察する。
そこは墓であったが、古びた庭園のようにも見えた。
柵があり、敷石が敷かれ、木々や花も植えられている。灌木の側を小川が流れてさえいた。
その中に時折石碑が建っている。それも全て、同じ方向を向いて建っていた。
新旧例外なく、そうなっているのだ。
その古庭の中を、アステアは何か目的を持って迷い無く歩いていく。
アランは彼女の向かう先が、石碑の向いている方向だということに気がついた。
足下の等間隔に並べられた敷石も、そちらに向かうにつれ古びてゆく。
アステアの歩みに合わせてひらひらとたなびく外套を追いながら、アランは彼女が自分をここに連れてきた理由を考えていた。
『君に見せたいものがある。……ううん、来てもらわなければならないんだ』
約束だから。
最後の呟きは殆ど聞き取れないような微かなもので、きちんと聞き返す間もなく、身支度をしろと急き立てられて出発した。
約束と墓―――
ああ、もしかして。
アランが一つの仮説に辿りついた時、アステアが立ち止まった。
「………!」
まず目に飛びこんできたのは巨大な石碑。
それはこれまでに見たどの石碑よりも長い時を経ているように見えた。
巨大さは何よりも他を圧倒している。
ややいびつな台形をしていて、恐らく自然石をそのまま使ったのだろう。
高さは成人男性の身長の2倍はあり、横幅は少なくとも5人がかりで手を繋いで囲まなければならない。
もしどこかから運んできたのだとすれば、その大仕事に思わず頭がさがる。
石碑の表面と、その下の大理石のプレートには、細かく文字が刻まれている。
アステアは石碑に向かってしばらく祈りを捧げた後、アランを見た。
「これは初代の王の墓。……アラン、後ろを見て」
言われた通りアランは墓に背を向け―――
「あ……」
言葉をなくしたアランを見て、アステアは嬉しそうな笑みを見せた。
「緑の平野と山々、それからラダトーム城……一枚の絵みたいだろう?」
中央に王城と城下町がある。周囲には茶と金の畑が広がり、やがてエメラルド色の平原に色を変える。細い筋は街道だろう。
平原はやがて濃い色を載せて、深緑色になり森を形作り、山を生む。
山の隙間から現れ出る白い線は清流だ。やがて海に出て、水色から青という彩りを添える。
視線を遠くへやれば、銀灰色の峻険な山が聳えたち、その向こうに金色の沙海を見る。
―――これが、ラダトーム。
眼下に広がる景色の迫力にやや圧倒されつつも、アランは頷いた。
「壮大な……雄大過ぎる絵だな」
「この景色と、そこに住む人々こそ宝―――王が守るべきもの。だからここの墓は全て、城の方を向いているんだ」
子孫を見守るために。そして守るべきものを違えさせないために。
「お兄さまはここから景色を見るのが好きだった」
アステアはごく自然にアランの手をとり、アランを少しばかり狼狽させた。
手を繋いだまま引っ張られるようにして連れていかれたのは、巨大な石碑から少し離れた所で、やはりそこにも碑があった。
小さく真新しい石碑。
刻まれた名は―――アロイス・E=ラダトーム。
アステアはその前に跪き、かすかにこうべを垂れた。
「ただいま戻りました、お兄さま」
アロイス。
アランが口の中で呟くと、聞こえていたらしく、アステアはそうだよ、と答えた。
「僕のただひとりの家族。アランに会わせたかったんだ」
「……俺に、何故」
アステアはアランを見上げた。少しばかり恨めしそうな目つきで、やや頬を染めながら。
不思議そうな表情をするアランに短くため息をつき、アステアは兄の墓に向き直った。
「アロイス兄様、紹介します。彼が私の……一番大切なひとです」
あ、とちいさく叫んでアランは赤面した。
「私の微妙な変化に鋭い割には、たまにこう、鈍いひとなんですが」
私はアランを愛しています。
アランは一歩後ろに下がって顔を右手で覆った。
顔が熱い。多分、首まで真っ赤になっているはずだ。
はっきり言って真正面から言われるより恥ずかしかった。面と向かって言われたのなら、こんなに赤面する事は無かった! とアランは心の中で絶叫する。
アランが照れと混乱でわやわやしている間に、アステアは立ち上がっていた。
「お兄さま、交際は認めないって」
「!?」
瞬時に身体の熱が引く。いや今更認めないなどと言われてもとっくに手を出。
かなりすごい表情をしていたらしく、アステアはアランの顔を見てぶっと吹き出した。
「冗談だってば」
アステアはころころと笑い、憮然としているアランに抱きついた。
「もしお兄さまが生きていたら、そう言ったと思うけれど」
「言うのか」
「うん。僕は両親の顔を知らない。お兄さまが親代わりでもあったから」
アランが抱き返すと、アステアは嬉しそうに微笑んだ。
「そう、こんな光景見たら血相変えて怒鳴ってるよ、きっと」
ではそこらの草葉の影か目の前の墓下から、睨み付けられていたりするのだろうか。
「……妹思いの兄上だな」
「少しばかり、過保護だったけれど、ね」
二人は墓の前に座りこんだ。
アステアはアランの肩にもたれ、手のひら同士を重ねて握り合う。
「アロイス兄様はお強かった。民と私を守るために、私を戦場に出さないために、強くなられた」
アステアの視線がすっと上に動く。
アランには見えない、兄の幻が見えているのだろうか。
「結局竜王の策にはまり、お兄さまは志半ばにして死んでしまわれたけれど……でも……」
私は知らなかった、と吐く息に紛らせるようにアステアは呟いた。
アランは黙ってアステアの震える手を握りしめた。

久しぶりに入った兄の部屋は随分埃っぽかったが、図書館同様それほど荒らされていなかったのが救いだった。
竜王はよほど厳しくここの管理をしていたのだろう。彼は随分と理性的な敵だった。
ラダトームを攻め落とした張本人だが、このことについては素直に感謝してもいいだろうとアステアは思った。
「城が陥落した時の……あの時のまま、か」
窓の側にある机に近寄ると、隅に置かれた小さな観葉植物が枯れてしまっていた。
白く積もった埃を舞い上がらせないよう、慎重に机の上に指を乗せる。
「アロイス兄様」
椅子に目をやると、アロイスが机に向かって何か仕事をしていた。
そしてふいに気がついたようにこちらを見て、彼は破顔し―――
目を閉じると、幻は消えた。
兄はよくこの自室に仕事を持ちこんでは、文官達に叱られていた。
扉を開けるとアロイスが紙の束と格闘している、などという光景はよく見たものだ。
そうでない時は本を読んでいた事が多いように思う。
「本……そうだ、あの本……」
昔のあることを突然思い出した。それはまだ戦闘も少なかった頃の話だ。
アロイスが「お前ではまだ読めないよ」と言って決して見せてくれなかった本がある。
タイトルは思い出せなかったが、確か白い表紙にロトの紋章が描かれていたのを覚えている。装丁自体は地味だったが、不思議と惹きつけられるものがあった書物。
ルビスの伝説や勇者に関する本だと思い、アステアは何度となく兄に読ませてくれとねだってみたが、全くのなしのつぶてだった。
あれはどこにあるのだろう。にわかに気になった。
出来る限りそっと動き、机の本立てや抽斗の中を漁る。何故か、部屋の書棚にはないという奇妙な確信が彼女にはあった。
見せたくないものを隠すなら、気を許した相手でもむやみに開けたりしないところだ。
舞い上がる埃を吸わないよう口もとを覆い、一番下の抽斗の中のものを一つずつ引っ張り出す。
「……あ」
見覚えのある装丁の本。間違いない、あの本だった。
やや変色していたが、ずっと抽斗の中にあったからか、激しい傷みなどは見当たらない。
本は、手にずしりと重い。
小さく箔押された書名は『精霊ルビスとロト』となっている。
アステアは机の埃を慎重に払い、その上に本を置いた。
はやる心を抑えながらかなりの速さで読み進めていく。気になっていた本でもあったから、時の過ぎるのも忘れて熱中してしまっていた。
だが忙しなく動いていたアステアの目が突然止まる。
「そんな……」
ある一つの文章から目が離せない。それ以上の言葉が出て来なかった。
それほどにアステアにとっては衝撃的な事実であった。

『ロトの血族において勇者と呼ばれる存在』

『王の年、王の月、王の日に誕生した子がそれにあたる』

『世に英雄は数あれど、ロトの勇者はルビスにより誕生時から既に義務を負わされた運命の子である』

アロイスの誕生月は―――王の月ではない。
「お…にい…さま……お兄さま、お兄さま、お兄さまーーーっ!!!」
アステアは殆ど我を忘れたように叫び、両の拳を思いきり机に叩きつけた。
絶叫と物音に、部屋の外に控えていた護衛が慌てて飛びこんでくる。
「アステア、さま……」
アロイスの死より男として生き、兵を率いていた勇者の姿はそこにはなかった。
どんな苦境にも弱音を吐かず諦めず、涙を見せなかった彼女が泣いていた。
兄の想いを知ってしまった少女は、その大きな瞳からぼろぼろと涙をこぼしていた。


「アロイス兄様は私が武器をとって戦うのを良しとしなかった」
アステアがぼそぼそと語るのを、アランは黙って聞いている。
「両親の遺言だから。お兄さまはいつもそう言って私の反論を封じたの」
昔を思い出しているのか、アステアはやや遠くを見るようにして目を細めた。
「でも、私が運命の子だったから―――知っていれば無理矢理にでもお兄さまを説得して戦っていた。お兄さまにはそれが分かっていたのだと思う。人々がそれを知れば期待は全て私の上に、私は辛い戦場の只中に……」
「アロイスは、お前が負うべき義務を代わりに背負ってたわけだ」
アステアは小さくこくんと頷いた。
「全てを理解してしまった瞬間は、泣くしかなかったよ。怒りを感じて、同時に感謝もした。……ものすごく混乱したの」
あんなに泣いたのは久しぶりだ、と言ってアステアは微笑んだ。
いつもより若干柔らかい表情のアステアに、アランの鼓動が速くなる。
気づかれたかと慌てたアランは、誤魔化すように言った。
「アステア……気づいてるか? お前さっきから私って言ってるぞ」
「あ」
至近距離で顔を見合わせた後、アランはさっとアステアの唇をふさいだ。
直後に「墓前で!」と怒鳴られはたかれる羽目になったが。

「僕達三人の誕生日は全く同じなんだね」
「そうだな……」
行きに上った道をゆっくり下りながら、二人は話していた。
「広く知られているわけではないけれど、ロトについてある一定以上の知識がある者にとっては常識みたいだ。多分アルスの師のタオ導師や大賢者カダル、魔王軍の方ならゴルゴナあたりが知っていてもおかしくない」
「カーメン襲撃後、間髪いれずローランを襲ったのはそういう理由もあったわけか……」
同日に産まれた王子二人。第一の目的はロトの「血」を文字通りの意味で確保することだったのだろう。
しかし誕生した日のせいで、別の理由が派生してしまった。
長じれば伝説通りどちらも、若しくはどちらかが勇者になってしまう。
魔王軍はなんとしてでも赤子の内に王子たちを捕らえておかねばならなくなった。
そしてカーメンの王子は逃れ、ローランの王子が捕らえられ魔人として育てられた……。
「ルビスも余計なことをしてくれたものだ」
「え?」
「コイツが勇者ですと目印つけて送り出してるようなもんだろう」
「身もフタもないね……」
「事実だ」
「でもアラン」
振り向くと、極上の笑顔がそこにあった。
「その目印がなければ、きっと僕らは出会わなかった」
アステアはアランよりやや高い位置に立ち、まっすぐアランに手を差し出した。
手のひらは下、手の甲は上、やや小指を下げ、ラインはあくまでも柔らかく。
私のエスコートをして下さる?
アランは肯定と承諾の意を以ってアステアの手を取り、その身を抱きとめた。
「……お兄さまは私を戦から遠ざけ、籠の中で守ることで私を愛してくれた。それも一つの形だけど」
「俺はお前のそばにいる。それだけだ」
「――うん」
ずっと共に。
二人は再び山道を降りはじめた。
ルビスの賜物、やわらかな光をその背に受けて。


2004.10.5 加筆修正
2004.8.20 イーヴン