+++ 幼年期の終わり 8 +++

「アラン、後何か買うものは?」
「油は?」
「消費してしまうものは、大体向こうで用意してくれるって。油も入ってたよ」
「ならそんなもんでいいんじゃないか」
「ごめんね、荷物持ちさせて」
「お前に持たせるより、俺が持ってた方が効率いいだろ」
「……それだけなの?」
「他に理由があるのか?」
「ううん、別に」
「?」 「帽子は? 買うって言ってなかったっけ」
「ああ」
思い出した、というようにアランは頷いた。
「君の趣味っていまいちよく分からないんだけど、どういうのを買いたいんだ?」
「ある程度丈夫で、ちゃんと日よけになればなんでもいい」
「じゃ、麦わら帽子でもいいの?」
「……ムギワラ帽子って何だ?」
冗談で聞いたのだが、アランの意外な反応にアステアは目を丸くした。
「知らないの!? 見たことくらいはあるはずだよ!」
「見れば知ってるかもしれんがな。言葉としては知らん。少なくとも聞き覚えはない」
「はぁ〜……」
やっぱりちょっと一般常識が抜けている。これは僕がカバーしなくては、とアステアは決意を新たにする。
そんな彼女をアランが胡乱げに見やった。
「お前今、俺に対して失礼なこと考えなかったか?」
「え、そんなことないよ。さあ選ぼう」
「…………」
小さな店の大して広くもない店内で、二人は目的に叶うものを物色した。
小さいとはいえ、商品の数自体は驚くほど豊富にあった。
受注生産だと自分の頭の大きさにあったものが作れると勧められたが、そんな時間はないので丁重にお断りする。
……そして、いくつか見つくろって合わせてみた後。
何故か、うずくまって肩を震わせるアステアの姿がそこにあった。
「いーかげん、笑いやんだらどうだ……」
「だって、だって……くっ……」
怒りを込めたアランの言葉は大した効果を発揮せず、アステアは再び笑いをこらえてなのか、床をばしばしと叩き始めた。
何気にさっきよりも反応が激しい。
「おい……」
「だっておかしいって! ぷふ……あはははははは!」
「指さして笑うな!」
その帽子は目の粗い布でできていた。耐久性にはそれほど問題はないのというので被ってみたのだが。
見事にというか何と言うか、アランの髪の質が災いした。
ツンツンと立った彼の髪が、帽子の布目のそこかしこから飛び出してしまったのである。
誰が見ても笑える光景だったろう。店主も顔を赤くして肩を震わせ、それでも客を笑うわけにもいかず後を向いてごまかしている。
笑いのツボを押されてしまったアステアの反応も、頷けなくもない。
「と、とりあえず、君は、皮か帆布の帽子選んだ方が、いいね」
震える声で、アステア。
その顔がじわじわとゆがんでいき、再び吹き出して遠慮のない笑い声を立て始めた。

「何、まだ怒ってるの?」
仏頂面のアランに対し、アステアは笑顔で問いかける。
少々意地悪な気持ちが入っているのは間違いないだろう。彼をからかえる機会などそうそうないのだ。
「そんなことはない」
あ、すねてる、と思ったが、口には出さなかった。
ここでへそを曲げられては、せっかくの『楽しい買い物』が台無しになる。
そんなのは嫌だし、とアステアはこれ以上話題を継続させる事を止めた。
劇場の前に来ると、新しい出し物の宣伝が派手に行われていた。赤や金などの目立つ色がちらちらと目をかすめる。
過去アッサラームに存在した英雄の物語を上演するらしい。
支配人なのか役者なのか分からないが、独特の抑揚をつけて口上を述べる人の声はよく通り、少し離れた場所にいる二人にも問題なく聞こえた。
「赤光の剣士だって。……なんか結構人気あるみたいだね。有名な話なのかな?」
劇場前の人垣の厚さが、それを物語っている。
きらきらと目を輝かせた小さな子どもが、役者らしき人物を見つめている姿に、アステアはふと笑みをみせた。
「平和だね」
「……そうだな」
「どういう劇なんだろう……見て行けたらいいんだけど」
「見てきたらどうだ? 俺は止めないぜ」
アステアは上目遣いにアランをにらみつけた。
「そんなこと言って、一人で街を出る気だろう?」
「まさか」
アランはすたすたと歩き出してしまい、アステアは慌てて追いかけた。
「演劇に興味はないの?」
「別に……。見た事はないし、何とも言えん」
「あっ……ごめん、僕」
「お前が気にすることじゃない」
先程の仏頂面が、無表情に変わっていた。ただまっすぐ前だけを見て、アステアの視線とぶつからない。
昨日受け入れられたと思った喜びがしぼんでいく。
(もうすこし僕に、君の心を推し量れる力があれば)
アランは表情を曇らせたアステアを見てはいなかったが、彼女が意味の無い後悔をしていることにはすぐに気がついた。
(……俺に何が言える?)
不用意な言葉はそれだけで誤解を生むのだから。

ギルドに戻ると、ヴァネッサから個人的な晩餐の誘いがあった。
特に断る理由もない。というより、常識的に考えて、旅の必需品やら何やらを無償で揃えてくれている相手の招待を断る方が失礼だろう。
今日は政治的な話は抜きで、とヴァネッサは前置きし、女主人として二人を心からもてなしてくれた。
「私の招待をお受けくださり、感謝いたしますわ」
「こちらこそ。お招きありがとうございます」
なごやかな雰囲気で三人の晩餐が始まった。ちなみにハーベイは給仕役である。
こういった場での会話や作法はアランの得手ではないので、彼は黙って食事に手をつけ、二人の会話を聞いていた。
たまになにか聞かれても、「ああ」とか「そうだ」とか適当に受け答えするだけだったのだが。
ふと、ヴァネッサがアランに話を振ってきた。
「そうそう、アラン様には妹がお世話になりましたそうで。姉として、感謝いたします。本当にありがとうございました」
「……ああ、あのことか」
「アラン、あの後なにかしたの?」
アランは興味なさそうに首を振った。
「俺の思う所を言ったまでだ。感謝されるいわれはない。気にするな」
「あなたになくとも、私にはあるのです。私にできなかったことを、あなたはたった数時間でしてくださった。それもミアのために」
反論しかけたアランの口を封じて、ヴァネッサは続けた。
「あなたはミアを立ち直らせ、更にまっすぐ立たせてくれた。人の心を、それもよい方に変えるというのは非常に難しいことよ。それはあなたもお分かりでしょう」
アランは困惑の表情を浮かべたまま沈黙する。
自分がしたのは、単なる偶然と思いつきの気まぐれのようなものなのにと思いながら。
「あなたが何を思ってミアと話をしてくれたのか、それは私には分かりません。でもそれで、そのおかげで、あの子は私とまっすぐ向き合ってくれたのです。私にはただそれが嬉しい……」
とんとん、とアランの腕をつつくものがあった。
そんなことをしそうなのはもちろん一人しかいない。アステアだ。
何だ、と目で問いかけると、アステアはじっと彼を見つめて言った。
「君が何を考えてるのか知らないけど、こういう時に言うことは一つしかないよ?」
「?」
「『どういたしまして』」
アランは目を瞬かせた。
それからヴァネッサの方へ目を向ける。彼女は彼を見て微笑んでいた。
「私の感謝を受けとってくださいますわね、アラン様?」
「……ああ、どう、いたしまして」
アランがたどたどしく応えると、何故かアステアがうんうんと頷いていた。
(アラン、感謝されるのに慣れてないんだね。うん、これで一つ君は成長したよ)などと思っていたのだが、口に出して言えば彼は否定しそうな気がする。
何だ、とこちらを見るアランに曖昧に笑って、アステアは話題を変えた。
「では仲直りなさったのですね? それとも?」
「ちょっとしたケンカをしましたわ。それから……」
ヴァネッサは嬉しそうに笑った。
「夢の話をしてくれました」
「ゆめ?」
「ええ。演劇をやりたいと。下っ端でも何でもいいから、劇場に関わらせてくれと」
「……さっそく利用したか。賢い子どもだな」
「ん、何か言った?」
「ひとりごとだ」
「そ、そう」
肯定されると得てして聞き返しにくいものである。
アランは食事に戻り、アステアは改めてヴァネッサに話しかけた。
「演劇といえば、今日外で宣伝しているのを見ました」
「ふふふ、あの劇の主役、アステア様にやってもらいたかったのですけれど」
「あはは、そんな」
そういえば取引の時、そんなことを言いかけてたっけ、と思い返す。取引の見返りの話をしていた時だ。
あの時は冗談に見せかけていたが、実は結構本気だったのではないだろうか。
ヴァネッサの視線にはかなり残念そうな色があったので。
「もし主役になったとして、演技には無理がありそうですけれど」
「いいえ、そんなことはありませんわ」
妙にきっぱりとヴァネッサは言い切った。
「地下世界で多くの人を率いていらしたあなたが、演技下手などということはありえません。指導者には様々な資質が要求されますけれど、演技力は特に必要なものですわ」
「それは、確かに交渉事や指揮統率といったことは、ある程度の『演技』を必要としますが……」
なんとも、居心地が悪い。それは別に誉められるようなことではないと感じているからだ。
それこそヴァネッサが言ったように、必要だから使う道具なのだし。
「でも、演劇での演技とでは、随分違うのではありませんか」
「違いはあるでしょう。しかし根本的には同じものです」
そうかもしれませんね、とアステアは曖昧に笑った。

「暗くなったな」
アランの唐突な言葉に驚いて、反射的に空を見上げる。
「え? 空は晩餐の時から暗かったけど」
「違う。ボケてんのか。お前のことだ」
「僕が暗いって、何で」
「演技の話になった時からだな。何か考えてただろう」
常識的なことには少々疎いくせに、どうしてこういうことには聡いのだろうと、アステアは疑問に思った。
嘘をついても仕方ない。大抵の嘘は見抜かれる。
アステアはふーっと息をつくと、ソファにどすんと腰をおろした。
彼女の『らしくない』行動に、アランは眉をひそめる。
「おい?」
「演技してたよ。ずーっと、演技してた。侮られないように、誰にも不安を見せないように。それが、僕の努めだったから」
返答を求めない、アランに向かっての『ひとりごと』。
「僕は強く凛々しく揺るがぬ勇者であらねばならない。そう見えるように」
彼女が理想とした兄のように。
「それが悪い事なのか?」
「悪い事……じゃあ、ないよ」
「自身なさげだな。それは演技じゃないのか」
「君に対して演じたって、無駄だろう?」
アランはふんと笑った。
「そう、別に悪い事でもなんでも無い。むしろ僕が弱気になったり恐怖を見せたりすることこそ、悪い事だったんだ。大勢の、僕に期待する人達に対して、ね」
「まぁ当然だな」
かつて魔人王として4魔王軍のうちの一つを率いていた男が言う。
もっとも彼の場合、弱気な顔を誰かに見せる事など、高い矜持が許さなかったが。
「一時でも演技をやめたのは、多分あのとき。レイアムランドでアルスと別れたとき……」
「……アルス」
「僕にはね、部下というか……従ってくれる人はたくさんいた。信頼してる人もいた。心を許せる人がいなかったわけじゃない……でもね」
かつて演技に疲れた娘はアランを見た。その向こうに誰かの影を見つめながら。
「誰も、僕を友達としては見てくれなかった。皆仲間だけど僕の隣に立とうとはしてくれなかった。つい数日前、君に言ったように」
僕のことをアステア様、って呼ぶ人を『仲間』とは呼べないよ……。
寂しそうな声がアランの脳裏をよぎる。
「だからアルスが僕を仲間として心配してくれたり、励ましてくれたりして、嬉しかった。でも同時に、自分が今までいかに『勇者アステア』を演じてきたかってことまで分かっちゃって、かなりへこんだんだけど」
ごめん心配かけて、今日はちょっと思い出してしまっただけで……と、やや慌てた様子でアステアは言った。
「今は自分を演じる事にあまり抵抗はないよ。そんなの言ってられなくなったし……僕を仲間だと言ってくれる友人達がいるんだから」
くさいせりふだな、とアランが小声で呟くと、本当にそう思ってるんだから仕方ない、と開き直った言葉が返ってきた。
「まぁ、そういうことなら、いい。明日に備えて俺は寝る」
言うなり背を向けて部屋から出て行こうとしたアランの背を、柔らかな声が叩いた。
「アラン、君も僕の大切な仲間なんだからね」
(僕が演技しなくていい人―――)
閉められた扉の向こうから、短く肯定の言葉が返された。


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