+++ Tea Ceremony +++

きちんと足を折り曲げて座る『正座』なんて何年ぶりだろうか。
アスハの本邸のはずれには、日本風の木造建築の小屋が建てられている。人が三人も入ればいっぱいになってしまうような、本当に小さな建物だ。中に入るのでさえ、頭から入りつつ脚を乗せ、にじって入らなければならない。
室内に入り、ようやく腰を落ち着けたミリアリアは、きょろきょろと周囲を見回した。
オーブでも珍しい畳敷きの床だ。本当に純日本風にしてあるらしい。
以前かの国に行った時、その不思議な建築様式に興味を持って調べてみたことがある。その知識によれば、多分これは『茶室』という奴だ。
右側に目をやれば、床の間に掛け軸と茶花。掛け軸に書かれている書画が何なのか、残念ながらミリアリアには分からない。だが一輪だけ生けられた、凛とした姿を見せるオレンジ色のハイビスカスの花は、素直に美しいと思った。
正面には畳の一部を切って作られた炉口がある。
かけられている鉄釜からはしゅんしゅんと湯気が噴き出し、いかにも暖かそうだ。
時折炭のいこる鈍い音が聞こえ、同時にふわりと伽羅の香りが漂ってくる。
(随分本格的ね)
茶室があること自体驚きだが、元々オーブと日本は古くから交流があるし、文化の面でも近い部分がある。友好の証に贈られたか何かなのだろう。
(でも何でこの部屋に通されたのかしら?)
誕生日おめでとう! とカガリが満面の笑顔でやってきたのが数時間前。そのまま自宅から連れ出され、何がなんだか分からないうちにここに押し込められたのだ。
プレゼントだ、と言ったイイ笑顔のカガリの顔を思い出すにつけ、嫌な予感だけが膨らんでくる。
――鬼が出るか、蛇が出るか。
ミリアリアは覚悟を決めて、三畳ほどの部屋の奥にある扉らしきものに視線をやった。
しゅっ、と静かな衣擦れの音が聞こえた。
ミリアリアは緊張して息を詰める。なんとなくこの先の展開を予想している脳みそを真っ白にする。カガリが「プレゼント」だなんて言った時点で答えは読めているのだ。……ただ、ミリアリアが考えたくないだけで。
引き戸がするすると開いていく。隙間から見えるのは褐色の肌色と、藤色と黒の見慣れない衣装。
「ようこそ。お茶を一服差し上げます」
一分の隙もなく着物を着こなした青年が、丁寧に挨拶をして顔を上げた。
どこにいようと他人の目を惹きつけるその色彩は変わらない。
「ディアッカ……」
エジプト系の容姿の癖に、異国の民族衣装が似合いすぎる金髪紫眼の青年は、ミリアリアを見つめてにやりと笑った。


ディアッカが柄杓を置いて居住まいを正す。ミリアリアもつられてきちんと背筋を伸ばした。
こちらを見た紫の目にちらりと笑いがひらめいたような気がしたが、この雰囲気を壊したくない。ミリアリアが黙って見返すと、ディアッカはしばしの間をおいてから茶碗を取り上げた。
元々彼の所作は綺麗だと思っていたが、こうやって見ると本当に無駄のない美しい動きをしている。
正座という体勢は慣れないと苦しいのだが、ディアッカはその姿勢に微塵の揺らぎもない。ぴんと伸びた指先は宝物のように道具を扱いながら、準備を整えていく。
柄杓を構える姿は茶室の雰囲気と相まって一枚の絵のようだ。その姿に、気圧されてしまう。目が離せない。
湯を注ぐ。茶杓を清める。袱紗を捌く。
細かい動作の一つ一つに、ミリアリアは知らぬ間に見入っていた。
「ミリアリア、お菓子を」
「あ」
はっと気がつくと、ディアッカが丸っこい入れ物(お茶を入れる『棗』というものらしいと後で聞いた)を手にしてミリアリアを見ていた。
いつの間にかお茶を点てる準備が整っていたらしい。ミリアリアは慌てて手元の菓子を引き寄せる。
「もちろんミリアリアにだったら一日中だって見つめられたいし大歓迎だけど」
「お菓子、いただきます」
蓋を外しながら器用に身をくねらせるディアッカを見なかったことにして、ミリアリアは懐紙の上に乗せた小さな主菓子を口にした。
「……あれ? チョコレート? 餡?」
白い粉のようなものがたくさんまぶされた丸い菓子の中身は、どう味わってもチョコ味だった。
「両方正解。中央のチョコレートを餡で包んで、それをさらに求肥で包んである。結構うまいだろ?」
「おいしい、けど……なんでチョコ?」
「正式な和菓子だと苦手な奴いるからな、そーゆーのなら食べやすいかと思って。干菓子もクッキーにしてみたんだけどさ」
「……手作りとか言わないわよね?」
「オーブ一うまいクッキーなんだと」
平たい黒の塗器に並べられたクッキーは、カガリお勧めのものらしい。
ミリアリアがありがたく手をつけている間に、ディアッカが茶碗に湯を注いでいた。
見慣れない竹の小さな箒のようなものを茶碗の中にいれ、ことんと音を立てる。二回、三回。
しゃらしゃらと水の音が耳に届く。ディアッカの手が茶碗の上で軽やかに動くところを、ミリアリアはじっと見つめる。
やがて正面を向けて差し出された茶碗を、ミリアリアはおずおずと受け取った。
「茶道なんかやってたんだ……」
「日本舞踊習ってたからな。先生に一緒に習わされたんだよ。ま、こーして役に立ったし」
「……いただきます」
正面を避けて茶碗に口をつける。綺麗に泡立てられた緑色のお茶は、思ったほど苦くはなかった。むしろ甘みを感じる。
先に食べていたお菓子と中和されてちょうど良い。お湯も熱すぎずぬるすぎず、とても飲みやすかった。
ほう、と一息ついたミリアリアは、もう一服いかがですか、と問われて頷いた。
「ねぇ、ディアッカ」
ディアッカが再び茶碗を清め始めるのをぼんやり眺めながら、ミリアリアは問いかけた。
「どうして今日はこんなことを?」
「んー……」
間を置いてからお湯を注ぐ音が響いた。釜から立ち上る湯気がゆらりと踊って天井に消えていく。
穏やかな時間だった。こんな狭い部屋に二人っきりでいたら奴は何をしでかすか、といつもなら警戒するところなのに、二人は動かずに向かい合っている。
喧嘩することもなく、愛を囁くこともなく。
――それでも、通い合わせた心は、確かにここで繋がっている。
時間だけがごくゆるやかに通り過ぎていく静かな佇まいの中、二人は視線を絡ませあった。
「たまにはいいだろ?」
「ええ、そうね」
再び差し出された茶碗を手の中に収めて、ミリアリアは柔らかく微笑んだ。
そう、たまにはこんな時間があってもいい。手の中のじんわりとしたぬくもりのような。
「誕生日プレゼント、ありがとう、ディアッカ」
あなたの心が嬉しい、と――そこまで口にする勇気はなかったけれど。
どういたしまして、と返したディアッカの声が照れたように聞こえたのは……きっと、気のせいではない。


思いっきり間に合ってないですがミリアリア誕生日おめでとう。
二人で互いの心とじっくりゆっくり向き合ってほしいなぁと思います。
チョコなのはバレンタインも意識して。本当にこんな感じの和菓子あります。
2007.2.22 イーヴン