+++Beloved+++

前を歩くミリアリアはどことなく不機嫌さを漂わせていて、迂闊に声をかけられない。
彼女がどんなに早足で歩いても、歩幅が違うから追いつくのは容易だ。
ましてや歩きにくい砂浜、ややヒールの高いミリアリアのサンダルでは、速く歩くのは難しい。
けれど追い抜けない。
追い抜きたくない。
追い抜いてしまったら、きっと彼女はそこで立ち止まってしまう。
こんな夜明け前のビーチで、彼女が不機嫌で一言もしゃべってくれなくても、ヒヨコみたいに彼女の後ろをついていくだけでも……二人で歩いている。その事実が嬉しい。
今、この時が、ずっと続けばいいのに。
大昔笑い飛ばした恋愛小説の一説がちらりと頭の隅に浮かんだ。
しかし誰に笑われようが、自分が当事者になってみれば本当にその気持ちを抑えきれないことを、ディアッカは初めて知った。

夜中にミリアリアが突然やってきたというだけでも驚きなのに、彼女は自分を誘いに来たという。
「海に行きたいのよ。ビーチを歩きたいの」
彼女の要望にディアッカは一も二もなく頷いた。拒否などできようはずもない。
ミリアリアが私服でやってきた、ということも喜びに拍車をかけた。
初めて見る、白とオレンジ色のワンピース。
オーブに降りたとはいえ、アークエンジェル乗員はまだ自由に出歩けない立場だから、彼女がそれほど私服を持っているとは思えない。へリオポリスを脱出した時に着ていたものだろうか。
めちゃくちゃ可愛い。
ディアッカは本人に気づかれないように見とれながら、心の中でガッツポーズを作った。
元々似合うオレンジは、彼女の雰囲気をより柔らかなものに見せる。上半身は身体の線に沿って首までありぴったりした作りになっていて、肩は出して両腕の袖は別になっている。スカートはふんわりと広がっていて、女の子らしい。覗く足は多分素足だ。
ディアッカはミリアリアを抱き寄せてむき出しの肩に跡を残したい衝動を必死で堪えた。
夜中に男の部屋を訪ねるなんて、と押し倒すのは簡単だ。
しかしミリアリアに対してだけは、そうすることが躊躇われた。
ミリアリアに嫌われる。
ディアッカにとってはそれが何よりも恐ろしい。
第一印象最悪というのはもう過ぎてしまった事だから仕方ないと割り切ってはいるのだ、一応は。
けれど彼女が好きなのだと自覚してしまった今は。
その印象を払拭したくて仕方がない、恋に迷う男がここにいる。

行動を制限されていると言っても、モルゲンレーテ内ならば基本的に自由に動くことができる。
敷地内には広い砂浜もある。満月の下は結構明るくて、二人は何も持たずそこを歩いていた。
男女が月の下で砂浜を散歩と言えば聞こえはいいが、実質ご主人様と犬の散歩である。
犬はご主人様がサイでなくキラでもなく、自分を連れ出してくれたことで幸せいっぱいだった。
ディアッカは時にちらちら見えるミリアリアの耳を見つめ、ふわふわ動く跳ねた髪を追い、細く白い指先を眺め、潮風にひらめくスカートにこっそり触れてみる。
月明かりを浴びて輝く彼女は儚くも存在感に満ちていて、彼の目にはとても眩しく見える。
どうしてこんなにも、愛しい。
このまま後ろから抱きしめて腕の中に閉じこめたら、やはり彼女は怒るだろうか。
……絶対怒り狂うに決まっている。
でも、触れたい。
ディアッカがそっとミリアリアの腕を取ろうとしたその時、彼女はいきなり立ち止まった。
びくっとしてディアッカが手を引っこめる。まさかこっちの考えてることが分かったのか?と非現実的なことすら考えて混乱していたディアッカの鼻先に、ミリアリアのサンダルが突きつけられた。
「歩きにくいから、持ってて。裸足で歩くわ」
「あ、ハイ」
反射的に受け取ってしまい、サンダルに残る彼女の温もりに思わず口元を緩める。
……俺は変態か?
そんなことを自問している内にミリアリアはどんどん行ってしまい、ディアッカは慌てて追いかけた。
チャンスとばかりに隣りに並び、ちらりと彼女に視線を走らせる。
すると思いがけず青い目と視線が合い、ディアッカは驚いて立ち止まった。
ミリアリアも合わせて立ち止まる。
「ディアッカ」
静かな声で名を呼ばれる。緊張と歓喜で胸がいっぱいになる。
彼女が何を言うつもりなのか、ディアッカは薄々気づいていた。
用がなければ、それも大事な用でなければ真面目な彼女が夜中に部屋に来ることなどありえない。
「プラントに帰るのね?」
ディアッカはフウと息を吐いた。
やっぱり知っていた。誰も知らない筈の彼の決意を彼女が知っていてくれて嬉しいと心が震える。
「ああ、昨日決めた。俺は、プラントに戻る」
けれど口にしたとたん、今度は痛みが襲ってきた。
プラントに戻るということは―――ミリアリアに逢えなくなるということ。
その痛みを押し隠してディアッカは微笑んだ。
「まだ艦長にも伝えてなかったんだけど。参考までに、何で気づいたのか教えてくんない?」
「そんなの簡単よ」
ミリアリアは睨むようにディアッカを見る。その表情すらも可愛いと思う彼は病気だ。
「ここ数日、あなたずーっと上の空だったわ。仕事はちゃんとこなしてたみたいだけど。それが昨日になって急に元に戻った。あんたがちょっかいかけてこなくなってせいせいしてたのに、また復活したから。―――それも前よりパワーアップして。それで何かあると思ったのよ」
大正解です、ミリアリアさん。
ディアッカは苦笑いで肯定した。確かにその通りだ。
オーブに亡命したとして自分に出来ることは何もない。ならば軍法会議にかけられても、ザフトに戻って軍人として出来ることをした方がいい。あちらには自分が補佐すべきイザークもいる。
そしてミリアリアは多分、今は誰の助けも必要としない。彼女はそれだけの強さを持っている。だから。
……そう決めても。
初めて好きになった人と逢えなくなるという事実は、想像以上にディアッカを痛めつけた。
それでも決心は翻らない。翻すつもりはない。
ならば戻る前に、可能な限りミリアリアの側にいたい、触れていたいと―――
思ったが故、行動がエスカレートして思いっきり抱きしめてひっぱたかれたりなどしたわけだが。
「……俺のことはいいよ。ミリアリアは? どうするの」
「私? 私は……わからない」
うつむいたミリアリアのつむじが見える。
サンダルを片手で持って、空いた手で彼女の頭に手を置き撫でてやる。ミリアリアは逆らわなかった。
「やりたいこととかは?」
「……そうね」
ミリアリアは答えず、ディアッカの手をすり抜けて海の方へ歩き出す。
夜明けが近づいていて、空は緩やかに色を変化させていた。
漆黒から暗い藍、そして薄紫へ。
「綺麗ね……あんたの目の色みたい。こんなに綺麗な世界で、私達は戦争をしていたのね」
「ミリアリア?」
「降りたら最初に、思いっきり落ち込むわ。きっと。それからトールのお墓に行くの」
ディアッカは黙ってミリアリアの後ろ姿を見た。
今彼女の顔を見たら嫉妬に駆られてキスしてしまう。そんな気がした。
「宇宙であったことを、見たことを、思ったことを報告して……それからよ」
ミリアリアは指で四角い窓を作り、海の向こうを覗き込む。
水平線に沿って、光の帯が伸びていく。
ディアッカは再び隣りに並び、指のファインダーを覗き込むようにしているミリアリアを伺う。
彼女の横顔を、鼻に額に光が差し込み頬を流れていくのを、ディアッカは奇跡のように感じ見つめていた。
叶うならばこの一瞬を切り取って、空に持って行きたい。
ほんの少しだけ見せてくれた笑顔と共に、決して消えないようこの心に焼きつけて。
「……写真とか」
「え?」
「カメラマンとか。意外と似合うんじゃない? ミリアリア、結構活動的だし」
「そう?」
首をかしげるミリアリアの仕草はちょっと子どもっぽくて、なのに胸の奥がざわざわする。
自分はカメラマンには向いてない、とディアッカは思った。
本当はこの一瞬だけなんて嫌なのだ。彼女の全てが欲しいのだ。
ほんの刹那の美などではなく、醜いところも何もかも全てひっくるめて、攫っていきたい。
「カメラマンかぁ……報道カメラマンとか、格好いいわね」
「って報道!? 普通風景とか言わないか!?」
「何でよ、いいじゃない」
「よくねーよ! 報道だったら戦場行ったりすることもあるじゃねーか!」
余計なこと言うんじゃなかった、とディアッカは心底後悔する。
別に彼女がカメラマンになりたいと言ったわけではないが、今の自分の一言のせいで将来報道カメラマンを目指してしまう可能性だってあるのだ。
「撃たれたり、殺される危険だってあるんだからな」
「それって今までとどう違うの」
静かな目で見上げられて、ディアッカは言葉を失う。
「私はもう戦争を知っているの。必ずどこかで争いが起きてるって知っているのよ。今更のうのうと平和に……何も知らずへリオポリスにいた時みたいに暮らすことは、もう出来ない」
「けど、けど俺は」
たとえ仮定の話であっても、彼女が戦場に行く可能性などあって欲しくない。
「ミリアリアには平和に穏やかに生きていて欲しい……」
「何よ、あんたは一人でプラントに戻ることを決めておきながら、私には口出ししたいわけ? 何様のつもり?」
あんたはタダのな・か・ま!とミリアリアの目が語っている。
それでも少しは期待していい筈なのだ。二人きりの夜の散歩に誘ってくれたのだから。
「俺は、だってミリアリアが」
「私のやることに口出しする男はお断りです」
―――何か言う前に思いっきり振られたのは生まれて初めてだった。
滅多に出来ない経験したなぁと冷静に考える心と、ひどく取り乱した心が覇権を争っている。
「ミリアリア、俺まだ何も言ってな」「言われなくても分かってるもの」
ディアッカは大きく目を見開いた。
ほんのり頬を染めてそっぽを向いたミリアリアが可愛くて可愛くて抱きしめたくて、冷静だった部分がどこかへ行ってしまいそうだ。
かすれた声で名を呼べば、ミリアリアはまっすぐ顔を上げてディアッカを見た。
すこし潤んだ目に見上げられて息を呑む。奥底に潜む強い意志に。彼が惹かれたつよさに。
「まだ駄目。今は私がひとりで立たなくちゃならない時なの。……誰にもすがれないの」
すがればいい。すがりついて悲しい苦しいと泣いてくれればいい。
でも彼女がそうすることは、絶対に、ない。
「ミリィ」
初めて愛称で呼んだ。同時にほっそりした肢体を引き寄せて。
溢れそうな愛しさを込めて、最愛の人にくちづけた。


ディアミリ二作目。「振っちゃったv」発言を受けての創作健全ver.です。
最初に妄想したのは裏ver.でした。
2005.5.11 イーヴン