+++Evil eye+++

邪悪にして災厄を呼ぶもの、魔性の瞳。あれこそがイビルアイ。
心を操り従わせる魔力を宿す宝石の両眼。
まなざしの下に、何を隠す?

緊張して乗り込んでいった自分が馬鹿をみた、と思った。
アイリーン・カナーバによる停戦の呼びかけに応える形で、泥仕合の様相を呈していた戦争は一応の終わりを迎えた。
それから四日が経過している。各陣営がある程度の落ちつきを取り戻し、和平に向けての準備が少しずつ整えられはじめている。
この艦とて例外ではない。なにせ停戦の立役者でもある第三勢力の船なのだから。
各艦そのものが一種の政治中枢の役割を果たすが故に、こちらの三隻の船はどの陣営の船よりも忙しい筈だ。
実際艦長は多忙らしく、彼がAA艦長と対面するには後二時間はかかるらしい。
一瞬ふざけるな、と思った。が、プラントからの人道的支援・補給という、戦艦としては最重要事項の暫定的決定を伝える使者を二時間待たせようというのだから、余程人も時間も足りていないという事だろう。
しかし、それにしては。
(なんてのんびりした船だ。緊張感てものをどこかに置き忘れて来たんじゃないのか)
ここが食堂であるという理由を差し引いても、この空気はのどかすぎる、と彼は思った。
もちろん格納庫やダメージを受けた各ブロック、医務室などに行けばそれこそ未だ戦場と変わりない事は彼も理解しているのだが……。
「よお銀髪のぼうず。艦長待ちかぁ? 悪いな〜忙しいみたいでな」
まぁのんびりしてけや、と豪快に笑いながら言われ、『銀髪のぼうず』ことイザーク・ジュールは、やや顔を引き攣らせながら言葉少なに礼を述べた。
以前バスターと共にこの船に着艦した時、格納庫で整備兵を統括していた男だ。
一見して技術屋とわかる彼は、恐らく誰に対しても屈託がない。
そして元地球軍でありながら脱走艦となり、コーディネイターをも仲間として乗せていたこの船の乗員は、彼を筆頭に敵兵であったイザークに対しても殆ど偏見がなかった。
ザフトの赤い軍服で通路を歩けばもちろん目立って注目を集めるのだが、その視線の中に好奇はあっても敵意というものを感じないのだ。
これはナチュラルの船なのに。
イザークは手元のコーヒーに目をおとしてふっと息を吐いた。
ここにいると、自分の心を鎧っていた偏見が剥がれ落ちていくようだ。
……ディアッカの奴もそうだったのだろうか。
メンデルでイザークに対しまっすぐに自分の意思を告げたディアッカは、今まで一度も見たことの無い真剣な顔をしていた。
銃口を向けても少し悲しげな顔をしただけで、怯むことなく見返してきた。
お前がどう思おうとも、俺の意思は変わらない。ディアッカの目はそう語っていて、イザークも本当は理解していた。けれどそう簡単に感情はついていかなくて。
イザークにできたのは、無駄だと分かっていながら、ディアッカの言葉を否定する事だけだった。
今ならば分かる。ほんの少しだけ……しかし。
(何がアイツをあれだけ変えたんだ?)
確かに元々面倒見の良いところはあったが、基本的に優秀なくせにいい加減、プライドは高いが評価に対しては割と無頓着(評価されて当然という実力があったからだが)、ナチュラルを見下し、攻撃的で非常に狡猾な人間だった筈、が。
「だからさ、ミリアリア〜」
そうこんな甘えたような声で喋るような男では…………。
はっとしてイザークは顔をあげ、食堂の入り口を見る。
見覚えのありすぎる顔と軍服の少女が話しながらちょうど入ってくるところだった。 ピンクの軍服を着た女は、確かオペレータの女だ。初めてここに降り立った時も、今日も彼女の誘導でデュエルを着艦させた。
うるさいハエを追っ払うかのように手を振る彼女の回りに、嬉しそうに纏わりついているのは元同僚……今の今まで考えていた、ディアッカだ。
二人を一目見て、イザークは叫びたくなった。
(ディアッカ、貴様は犬かー!!!)
尻尾を振って嬉しそうに飼い主にじゃれつく大型犬、にしか見えない。
栄えあるザフトの赤としての誇りはどこへやった! メンデルで見せたあの真剣な顔は! 強固な意思は!
悩み倒した俺の立場はどうなる! どうしてくれる!
イザークはテーブルの上に置いた両手を、爪が食い込みそうなくらい握り締める。
不穏な気配を感じたのか、イザークの近くにいたクルーが数人離れていった。
何ごとかと振り向いたディアッカが初めてイザークの姿を認め、大きく目を見開いた。
「お?イザーク?そういえば来てたんだっけ」
「そうよ。アンタって友達甲斐のない奴ね。あの時だって助けてもらったのに」
「そりゃミリアリアとイザークを天秤にかけろって言われたら、迷わずミリアリアを」
「ハイハイ分かったから」
どうでもよさそうに遮られて、ディアッカはミリアリア〜っ、と哀れっぽい声を上げた。もちろん完全に無視されている。
カウンターに向かうミリアリアの背に「俺の分も」と声をかけて、ディアッカはイザークの前の席に陣取った。
「よおイザーク。隊長さんがこんなところで油売ってていいのか?」
唇の端を上げて皮肉っぽく笑うこの顔は、かつてもよく見た表情だ。声音も変わらない。
「よくはないが仕方がない。艦長に会えんのだからな」
「はは、間の悪い時に来たな、オマエも」
喉の奥でクックッと笑う癖も変わっていない。
しかし纏う空気が違う。何というか……緩んでいる。隙だらけだ。
絶対に自分の腹の底を見せない奴だったのに……ふいっとディアッカの視線が動き、つられてイザークもそちらに目をやった。
さっきのピンクの軍服の少女がカウンターでトレイを二つ受け取っている。
ディアッカはそれをぼーっと見つめている。
イヤな予感がして、イザークは恐る恐るディアッカの顔に視線を戻した。
……見るんじゃなかった。イザークは即座に後悔した。
『夢見るような』顔つきで少女を見つめる男がそこにいた。
多分こういう目を優しげだとか慈愛に満ちたとかいうのだろう。ディアッカのそんな顔を見たのは初めてだから自信はないのだが。
ディアッカが変わったのは、あの女のせいか。
ディアッカをして、かつて墜とそうと躍起になったAAを守ると言わしめたもの。
女のためだったというなら、実はなんて分かり易い男だったのだろう、コイツは。
だが捕虜の身だったディアッカを変心させるなどというとんでもない芸当を、あんなごく普通の女がやったとはとても思えない。とはいえディアッカが彼女のために残ったのは間違いないだろう。
……どういう女なのか。
「……オマエにはやらないぜ?」
イザークはぎくりとして身を強ばらせる。一瞬だけ冷たい気配を見せたディアッカは、すぐににやっと笑ってみせて立ち上がった。
人を使わないでよ、と怒るミリアリアの手からトレイを受け取り、甘い声でサンキュ、と囁いている。
ディアッカの隣に座ったミリアリアは、どこからどう見ても普通の少女だった。
容姿は普通、第一印象は真面目そう。体型のバランスは取れているが、細いというにはやや痩せすぎた体つき。敢えて言うならばディアッカの好みからはかけ離れていると思った。
改めて自己紹介しあい、いささか失礼だとは思いつつもイザークはミリアリアをじっと観察する。
大きな碧玉の目が不思議そうに瞬いて、臆することなくイザークを見返してくる。
そして。
「もしかして、お腹すかれました?」
にっこりと笑いかけたのだ。

話がある、と告げて、イザークはミリアリアへの挨拶もそこそこにディアッカを急き立て、無理矢理彼の部屋に連れて行かせた。
そこなら確実に二人になれるからだ。他人に聞かせる話ではない。
ミリアリアの笑顔を目にした瞬間、イザークは顔に血が上り、身体が音を立てて硬直したのを感じていた。
返事を待ってこちらを見る青い目に耐えられず、イザークは「いや」と呟いて顔を背ける。
ディアッカが洒落にならない目つきで睨んでいるのにも気づかない。
イザークの頭の中ではうるさいほどに警鐘が鳴り響いていた。
気がつけばイザークはディアッカを引っ張って食堂を出ていたのだ。
「なんだよ、話って」
せっかくのミリアリアとの食事タイムなのに! あんまり一緒にいられないんだからな? と色ボケた都合を並べ立て、ディアッカは不満げに口を尖らせる。
「ディアッカ……」
「だから何だよ」
イザークは顔をあげて、きっとディアッカを睨み据え。
そしてきっぱりと言い放った。
「彼女はイビルアイの持ち主だろう!」
「…………はぁ?」
突拍子もない発言に、ディアッカはあんぐりと口をあけてイザークを凝視した。
イザークは構わず生真面目に続ける。
「間違いない。あれは他人の心を操る瞳だ。まさか実在するとは思わなかったが……でなければお前の今の姿に説明がつかん。こんな飼い犬のようなヘタレ男になっていようとは」
「いやあの、イザーク?」
「それに、この、この俺が……不覚にもナチュラルの女などに……」
ぴくりとディアッカの眉が跳ね上がる。ミリアリアに関する事には誰より聡いのだ、彼は。
「ナチュラルの女などに、何?」
「鼓動を速めてしまうなどと……っ!」
要するに笑いかけられてどきどきしちゃったワケだ。ディアッカは冷静に分析する。
意外ではあったが、イザークはやや恋愛ごとに疎いし、ミリアリアは可愛い。気持ちはわからなくもないと思ったが……何故に、どこから、イビルアイ? 一体ドコの民族学知識だ。
ディアッカはしばらく悩み……ほどなくして、笑顔になりぽんと手を打った。
「そうそう、その通りだぜ。俺はミリアリアに魔法をかけられちゃったの。彼女に心を奪われちゃった下僕なの」
「! やはりそうなのか!」
本気で驚愕しているイザークに苦笑する。しかし本題はここからだ。
「そ、んでイザーク、お前が不覚にもミリアリアに赤くなったりしたのは、全部イビルアイのせいだから、全然、まーったく、深く考える必要はないからな?」
「あ、ああ」
「また引っ掛かったら危険だし、あんまりミリアリアに近づくなよ」
真顔で会話する二人だったが、もしここに第三者がいたら机を叩いて大爆笑したことだろう。
ディアッカのしていることは、『好きな人に近づく男に対する牽制』だったからだ。
お前は大丈夫なのかと心配するイザークを適当にいなし、ディアッカはかげでぺろっと舌を出す。
(しっかし、イザークを赤面させるとは……)
外見はそこらの女性よりも美しいのに、その真っ直ぐで熱い性格故か、浮いた話一つ聞かなかったイザークに。
男女である事を意識させた。
(ミリアリア、本当にイビルアイの持ち主なのかも)
これはそろそろ本気で攻勢かけないとやばいかなぁ? と一人ニヤつきながら思案するディアッカに、「話を聞けー!」とイザークの罵声が叩きつけられた。

女の子だけが持つ、純粋にして魔性の瞳。きっと本人すらも気づかない。
神聖でなく邪悪でもなく、煌く瞳は男を惑わす魅惑の魔法。

あ、あれ? イザ→ディアミリのつもりがむしろイザ→ミリ……
このタイトルで真っ先に浮かぶのはディアッカだと思います。
それだとまんまなので、少し捻ってみましたv 騙されてくれましたでしょーか。
2005.6.21 イーヴン