+++ eau de toilette +++

オーブ行政府の中央回廊、オーブ軍の制服を纏って颯爽と歩くミリアリアの後ろに影が差した。
「ミリアリア〜」
「ぅわきゃっ!?」
深緑色の軍服の袖が見える。見えなくても相手が誰かなんて分かっているのだが。
突然背後から抱きつくのはもはやディアッカの病気だ。
正面から鉢合わせした場合もやることは同じだが、こちらがまだ覚悟できる分だけマシである。
背後からとなると彼は忍者のように忍び寄り、いきなり抱きしめてくるので必ず悲鳴を上げてしまうのだ。
気配を感じさせずに近づくなと何度も注意したが、本人はどこ吹く風だ。
軍人なんだからミリィみたいな一般人に気取られるような気配撒き散らしてちゃダメでしょー? などと開き直る始末。
いっぺん豆腐の角で頭を打って死んできたほうがいいと思う。
以前そう告げてみたら、ディアッカはにっこり笑ってこうのたまった。
「ミリアリアの愛でなら死ねるよ」
後ろにハートマークが見えた。
まぁそんな馬鹿男が今日も今日とて抱きついてきたわけである。ミリアリアにしたらいい迷惑だ。
ディアッカはどこにいても注目の的だ。ただでさえ目立つ容姿が、年を重ねたせいか余計な色気を身につけてしまい、ひっきりなしに色んなものを引き寄せる。花の蜜のように。
そんなわけで彼のファンは非常に多い。自意識過剰で派手な女性から、地味そうな隠れファンまでよりどりみどり。それも結構本気で秋波を送っている者が多い。ミリアリアにはとても信じられないことだが。
『そういうの』から睨まれるのは正直避けたいのだが……張本人が全く無視してくれるので、ミリアリアの周辺が落ち着くことはきっとないのだろう。
―――この男とくっつかない限りは。
ちくちくと刺さる視線が痛くて、ミリアリアはディアッカの腕を振りほどこうとした。
いつもならすぐにおどけたように両手を挙げて降参するはずの彼が、今日に限ってじっと動かない。
動かないどころかなんか首筋に顔を埋めて匂いを嗅いでいる!?
「ちょ、ちょ、ちょっとディアッカ!? 何してるのよ!」
「ミリィ……なんか、いい匂いがする……香水なんてつけてたっけ?」
「いいから腕外してってば! もう!」
ミリアリアが身を捩るとディアッカは薄く笑って(ミリアリアからは見えなかったが)、外はねの髪に隠れた耳たぶをちろりと舐めた。
濡れた感触にミリアリアはひっと身を竦ませる。
行政府の中央回廊なんて目立つ場所で何をやらかすのか、この男は!
舐められた時に感じたものは驚きだけではなかったが、ミリアリアは気付かなかったことにしてそれを羞恥と怒りにすりかえる。そうだ、この顔の紅潮は、場所をわきまえないディアッカに対する怒りのせいなのだ。
「ディアッカ……!」
「ねぇ、何の香水?」
ミリアリアの抑えた怒声にも堪えず、腕は彼女の首に巻きつけたまま離れようとしない。
「言ってくれなきゃ、ずーっとこのままだけど?」
ぞくりとするような声音にミリアリアは悟った。こいつ、本気だ。
実際腕力でコーディネイターの男性に敵うわけがない。ディアッカはミリアリアを拘束しようと思えばすぐに出来るのだ。抱きついてすぐ離れるなんていうのはちょっとしたスキンシップで。
彼が今までミリアリアの嫌がることをしなかったのは、それは。
「ミリィ?」
低く甘い声に腰が砕けそうになる。暴走する心臓は速さの限界を知らないようだ。このままこのドキドキを放っておけば、死んでしまうに違いない。
「…ヮレ、よ」
「ん?」
「ロエベの、オードトワレ! 試供品もらったから、つけてみたの! もういいでしょ、答えたんだから離して!」
「ふぅん」
質問した割には気のない返事をして、ディアッカは腕の力を緩めた。ミリアリアは慌てて逃げ出すが、腕を掴まれてつんのめってしまう。
「ディアッカ?」
「何て名前の奴?」
振り向くと、妙に嬉しそうな表情をしたディアッカがそこにいた。まるで、そう。いたずらを思いついた子供のような。
ココで「知らない!」と言ってさっさと歩き出せばよかったのだ。
律儀に答えてしまった自分の性格を、ミリアリアは心から呪った。
「確か、I LOVE YOU だけど………!!!」
口を押さえたがもう遅い。
女優も裸足で逃げ出すような美貌を笑み崩れさせたコーディネイターは、再度、今度は正面からミリアリアを抱きしめた!
当然ミリアリアは大いに暴れたが、ディアッカはビクともしない。
「やだ、ちょっとこの大バカーッ!!」
「ミリアリアが俺に告白してくれるなんて!! 俺もミリアリアが好きだ!」
「きゃぁぁぁぁ!!!」
ミリアリアの本気の悲鳴は、やがて唐突に途切れた。
意味深な沈黙が広がり、騒ぎを注視していた人々は思わず目を逸らしてしまった。
流れてくる甘ったるすぎる空気にあてられて、とても見てなどいられない。
お幸せに、という気持ちと同時に。
―――頑張れよ……。
何故か妙に同情じみたエールを誰もが心の中に抱いたという……。


オーブ行政府のど真ん中、衆人環視の中で為されたキスは、その後伝説として後世まで伝わっている。


設定については深く考えないで下さい。
ミリアリアの香水、正確には『I LOEWE YOU』という名前です。30ml6825円。ひぃ。
05年11月、福島様のチャットにてひっそりと投下。
日記より閲覧できるようにしてありましたが、こちらへ。
2005.11.3初出 2006.2 イーヴン