+++ 幼年期の終わり 1+++

1ヶ月。
結局アルスに請われるまま、アランはカーメンに滞在していた。
何故アルスが彼を引き留めたのかは分からなかったが、特に断る理由もなく、時に復興の手伝いやアルスの剣の相手をしながら漫然と時を過ごしていた。
「君はどうするの」
その問いの答えは出せぬままだ。
―――本当は、分かっているんだろう。
突然響いた言葉に驚いて振り向くが、誰もいない。
「空耳……か?」
それにしては随分はっきり聞こえたような気がしたが、実際に誰の気配もない。しかし、今聞こえた(ように感じた)声は、彼の中にあった一つの答えを導き出すものではあった。
「分かっている、か……」
窓辺に座って物思いに耽っていたが、ふと下を見ると稽古場でアルスが木剣を振って自分を呼んでいるのが見えた。

稽古場に行くと、2本の木剣を持ったアルスが駆け寄ってきた。
「アラン、やっと降りてきてくれた」
「やっと……? そんなに長いこと呼んでいたのか?」
「君が気付いてくれるまで、少なくとも10回以上は呼んだって。考え事でもしてたのか?」
「まぁ…な」
「悩み事なら、僕でよければ力になるけど」
「いや、構わん…大したことじゃない」
「そうか?」
アルスの表情は変わらないが、目は真正面からアランの顔を見つめている。
何でこいつは正面から人の顔を見て、目を合わせることができるのだろう。
微妙に目線を外しながら、アランは思った。
「……ところで剣の相手をやらせたかったんじゃないのか」
「あ、そうそう」
はた、と気付いたようにアルスは手の中の木剣を持ち上げた。
「はい、アラン。じゃあ、5本勝負で」
「ああ…」
ゆっくりと木剣を構える。
いつもなら楽に扱えるはずの木剣が、妙に重く感じられた。

いつもなら軽快に打ち合わされる木剣の音が妙に鈍いことにアルスは気づいた。
(アラン……やっぱり調子悪いんじゃないか?)
普段なら、こんな余計なことを考えていれば即座に押し返される。アランは隙を見逃すような男ではない。
日によっては一度も勝てない時もあるくらい、彼の剣士としての実力は高いのだ。
しかしどういうわけか、今日はただ義務的に剣を振るっているように感じられる。
少し口の悪い言い方をすれば「やる気がない」。
それでも何合となく打ち合わせ続けられる彼は確かに凄いのだが、その相手は勇者アルスなのである。
明らかに心ここに在らずといった様子のアランを訝しく思いつつ、隙を見てアルスは一歩踏み込んだ。
一瞬、アランの反応が遅れる。
アルスにはそれで十分だった。
渾身の力をこめて、右から左へと木剣を払う。
直後、鈍い音とともに赤い飛沫が目に飛び込んできた。
……アランの剣を弾き飛ばすつもりだったのが、木剣が衝撃に耐え切れず折れ飛んでアランの額を傷つけたのだ。
「! アラン! ごめん、大丈夫か!?」
「……少し切っただけだ。大事無い」
「呪文かけるからじっとしててくれ」
「いい。俺のミスだ、自分でやる」
「でも血が…」
「こんな怪我はお前だってしょっちゅうしてたんじゃねぇのか? それに額は血が多く出るんだよ」
半分になった木剣を放り出し、アランは右の額の傷口を手で覆った。
手の下からかなりの量の血が流れ出す。
血が目に入らないように注意しながら、回復呪文を唱えた。
「……そういえばお前、ベホマは使えるようになったのか?」
「なったよ!!」
憤然と言って、アルスは汗拭き用に持って来ていた布を差し出した。
怪我そのものはすぐに治ったのだが、流れた血までは元に戻せない。
顔は血まみれだったし、服もいくらか汚れてしまっている。
アランは有り難く受け取って顔に流れた血を拭き取った。
真紅の血があっという間に白い布地を紅く染める。

アカイイロハ血ノイロ、死ノイロ。ソレハ―――俺の色だ。

「アラン?」
呼びかけられて、アランははっと顔を上げた。
「アルス……お前今、何か言ったか?」
「君の名前なら……なぁアラン、本当に大丈夫なのか? 何て言うか……アランらしくない」
心配そうな視線が痛い。
くすぐったさと居心地の悪さを同時に感じるそれは、彼には殆ど馴染みのないもの…。
「……気のせいだろ。着替えてくる」
アルスの視線を遮るように、血に染まったタオルを投げ渡してアランは背を向けた。
自分の心を隠して、ただアルスの真っ直ぐな目から逃げ出すことしかできなかった。

結局のところ最初から答えは一つしかなかったのだ。
どうするかと問われて詰まったのは、自分の場所はもうないことを知っていたから…。
ざわり…と風が吹き込んで、白いカーテンを揺らした。
自分の部屋を見回す。
カーメンではアルスの好意なのか客人として遇されているため、随分と良い部屋があてがわれている。
室内の装飾もなかなか趣味の良いものだ。華美でなく地味でもなく、素直に美しいと言える彫刻が目立たないところに施され、それに調和した家具が使われている。毎日花も生け替えられていた。
だがそこで暮らすものの性格が出るのか、かなり殺風景な印象を受ける部屋だった。
いや、そのせいばかりとは言えない。
アランはごくわずかな私物をまとめて、袋の中に放り込んでいた。
もともとそう物のある部屋ではないが、誰かが生活している証がなくなるだけで随分と雰囲気が変化するものらしい。
それとも、主人がいなくなる事を知っての事か…。
不意に、アランは誰かの気配を感じた。
用も無くこの部屋に来る者はいないと考えていたが、物好きがいたらしい。程なくして入り口で衣ずれの音がした。
アルスが追いかけてきたのかと思いそちらに顔を向けると、そこには意外な人物が立っていた。
「……ローザ…王妃?」
「こんにちは、アラン王子」
驚いて立ち尽くすアランに、アルスの母親はにっこりと笑ってみせた。

「どうぞ、お座りになってくださいな。お茶の用意はすぐ調いますわ」
「あ……」
「それとも私のお茶のお誘いは受けてくださらないのかしら?」
こうまで言われては断れない。
アランは観念して椅子に腰を下ろした。
彼は王妃の私室に招かれていた。一国の王妃らしく華やかな印象を受ける部屋だ。
もちろんまだ国力が完全に元に戻ったわけではないため、あまり贅沢なものはない。
壁の色は白と薄い橙を基調としていて、穏やかな王妃の性格を反映しているようだ。魔物に破壊されることなく残った室内装飾と家具、それといくらかの観葉植物が置かれていた。
ぼんやりと部屋を眺めていると、ローザが侍女を伴ってやって来た。
「お待たせしましたね」
「……いいえ……」
「まあ、そんなに緊張なさらずに。あなたとは少しお話がしたかっただけなの」
「俺に…話?」
アランがローザと話すのは最初カーメンに来て挨拶した時以来だ。
確かにこれまで話す機会はなかったが、私室に招かれてまでする話に心当たりはない。
訝しく思っていると、ローザは真面目な表情でアランと向かい合った。
「アラン王子、アルスが心配していましたよ。あなたの様子がおかしいと。どうかなさったのですか?」
「何でも…ありません」
アルスの代理か、とアランは心中密かにため息を吐いた。
それだけの理由ならここにいる理由はない。話す気もないし、アラン自身の中でもきちんと整理しきれていないことだからだ。
「話というのがそれだけなら……」
「あら、これはもののついで。それに私も心配でしたしね……あなたが大丈夫だと言うならそうなのでしょう」
ふふっと笑って、ローザは侍女が淹れた茶をアランに勧めた。
何かのハーブの芳香が鼻孔をくすぐる。
ここで断っては失礼だろうと考え、アランは素直に礼を言ってカップを取った。
「先程荷物をまとめていたようですけれど、どちらにお出でに?」
香りを楽しみながら世間話のようにローザが言った。
アランは顔を隠すようにカップを口につけ、ちらりと目線を上げてローザを見た。全く自然体だが、一番聞かれたくないことを聞いてくるとは。
(……結構喰えない女だな)
買いかぶりすぎかもしれないが、アランは彼女と対面してからずっと不思議な感覚を抱いている。
何となく落ち着かないような、それでいて安心するような……そして、どこかで同じ感覚を抱いたことがあるような気がしていた。
結局首を傾げて答えを待つポーズに負けて、アランは答えた。
「特に行く当てはありません。気の向くまま…旅をするつもりです」
「何故、突然?」
「……あまりここに長くいては……迷惑ですから」
「あら、そんなことはありませんわ。あなたはこの国の復興にとても尽力してくれています。それにアルスもあなたも、若い娘達にとても人気がありますのよ?」
(そうじゃない……これはただの……自己満足だ)
険しい表情で答えないアランを見て、ローザは柔らかく微笑んだ。
「アラン王子」
「…はい?」
「私の昔話を聞いてくださいますか?」
突然違う話を始めようとするローザに戸惑い、アランはやや気の抜けた声で「はぁ」と答える。
王妃は自分の息子と全く同い年の子どもをじっと見つめた。
「フレイア様のことです」
「!」
アランは驚いてローザの顔を見た。
じっと彼を見つめる優しい眼差し……そして深い慈愛に満ちた彼女の表情を見て、アランはやっと納得した。
ずっと感じていた感覚。
どこかで見たことがある、誰かに似ていると感じたのは間違いではなかった。
それは母だ。たった数分しか言葉を交わせなかった実の母の表情。
顔立ちも髪の色も雰囲気も全く違うのに、その眼差しだけは、ただ一度だけ彼に与えられたあの眼差しと全く同じものなのだ。
「聞いていただけるかしら?」
再び問い掛けたローザに、アランは姿勢を正して「はい」と答えた。


「アラン…!?どうしたんだ?出かけるのか」
完全な旅装のアランを見て、アルスは目を丸くした。
「……ああ」
しまった、という表情をありありとその面に浮かべ、諦めたようにアランは答えた。どうもこっそり出て行くつもりだったらしい。
母子揃って妙なところで勘の鋭い奴等だなと、一種感動にも似た思いを抱きつつアランは言った。
「しばらく旅に出る。…世話になった」
「ちょ、ちょっと待てっ!一体どうしたんだよいきなり…何も言わずに出ていこうとするなんて…」
「別に…大したことじゃない」
「嘘だ」
一言で否定され、アランは仏頂面になった。マントの裾を掴まれていては当たり前か。
アルスは理由を言うまで絶対離さないという決意を込めて、彼を見つめている。アランは頭を振り、更に大きなため息を一つ吐いた。
「どこに行くつもりなんだ?」
「……お前には関係ない」
「関係ある!」
「何故そう言える?」
「君が僕の友達だからだ!」
アランは一瞬奇妙に顔を歪めてアルスを見た。
「ならば忘れろ。俺のことなど……忘れてしまえ」
アルスは頭を抱えたくなった。この遠い親戚は一体何を言っているのだろう!
「一体何考えてるんだよ、アラン…」
「お前には関係のないことだ」
彼のその静かな声に、アルスは彼に一片の迷いもないことを理解した。
けれど……何故か、言い知れぬ不安が心をよぎる。
アランを信頼していないわけではない。しかしただの『心配』と言うには深刻すぎる不安。
このまま行かせるわけにはいかないと思うと同時に、彼は自分の決心を曲げないだろうという確信。
ならば、やることはひとつしかない。
「僕も行く」
歩きだそうとしていたアランの足が止まった。
そして、ゆっくりと振り返る。
振り返った彼の顔は、どういうわけか笑っていた。
…口元は笑みの形につりあがっているが、目は全く笑っていない。
人に恐怖を与える類の笑みである。アルスは背筋に寒気を感じ、思わず退いてしまった。
「悪いが断る」
「何故!」
「何故、だと?貴様はこの国の王子で、勇者なんだろうがっ!まだ復興途中のこの国を放りだすのか?」
「それは……」
アランはさっきよりも更に大きなため息を吐いた。
「これ以上貴様にかまっている暇はない。じゃあな」
「アラン!ちゃんと戻ってくるんだろうなっ!?」
アルスの声に、歩き出したアランの足が再び止まった。振り返りかけて…そのまま立ち止まる。
「……ここじゃない」
「え?」
「ここは、俺の居場所じゃないんだ…帰るべきところではない……」
そんなことはない。そう言おうとしたが、彼の深刻な雰囲気にアルスは言葉を飲み込んだ。
「……ロトの鎧は置いていく。好きに使え」
アランはそれだけ言うと、これ以上の干渉は許さないと全身で拒絶し去っていった。
……アルスはかける言葉を見つけることができなかった。
どんな言葉をかけても、それは上滑りするだけだっただろう。彼の思いは、彼にしか分からないのだから。彼は彼の意思で出て行った。だれにも止めることはできない。
アルスはただ、小さくなっていくその背中を見つめていた。


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