+++ ロト紋命題 01〜05 +++

† 03. 守るべきもの †


光降る庭で、あの子は天使の笑顔で私に薔薇の花束を差し出した。
脆いガラスのように透明でありながら、優しく、暖かく、力強い―――私だけに向けられた、打算もなにもないただ純粋な笑顔。
私は、この子をずっと守っていくと決めたのだ。

「ああアステア、危ないからやめなさい。トゲくらい私が」
「お兄さまはしんぱいしすぎです」
取り乱したようすの兄の声など聞こえていないかのように、薄紅色の薔薇を正面にひろげて、アステアは楽しげにそのトゲを取り除いている。
集める花をを選んだのはアステアだが、さすがに花鋏は扱わせてもらえないので、切ったのは庭師だ。
「お兄さま、おてつだいはいりません。てをだしたら『ぜっこう』です」
「ぜ……」
兄妹で絶交も何もないだろうと思ったが、妹思いの兄上はことのほかダメージを受けてしまった。
それでもめげずにアロイスは言う。
「薔薇のトゲは刺さると治りが遅いから。怪我をしてからでは遅いのだ、庭師にまかせておきなさい」
「みんな、はんこをおしたように同じことを言われますね」
(はんこ? あ、判をついたように、か)
『ぜっこう』といい『はんこ』といい、姫様は覚えたばかりの言葉を使いたくて仕方ないらしい。
アロイスを見上げた表情と言葉に、やや得意そうな響きが見え隠れしている。
賢く良い子に成長している……と思わず亡き両親に報告しかけ、慌てて本来の目的を思い出した。
「だがな、アステア……」
「私がやると決めたことなのです。お兄さまはいつもおっしゃっているではありませんか。いちどこうと決めたことは、せきにんをもって最後までつらぬきとおし、やりとげよと」
アロイスは苦笑した。確かにその通りだ。その通りだが……六歳の娘の言う言葉ではない。
「それにお兄さま、」
すっ、と、年齢にそぐわぬ強い意志を秘めた碧玉が、アロイスの目を見た。
「危ないからといってにげていては、アステアはせいちょうできないとおもいます」
―――アロイスは瞠目した。
本当に、この妹には驚かされる。
(私の姿が見えないだけで泣いていた小さなアステアが……)
毎日見ているはずなのに、いつの間にか成長している妹に、アロイスは嬉しさと僅かな寂しさを感じた。
兄というより、父親の気持ちを味わっている。
不意にそんなことを考えてしまい、アロイスは苦笑するしかなかった。
「アロイス兄さま?」
答えのないことに不安になったのか、アステアがアロイスを見上げている。
アロイスが笑顔で「そうだね、アステアの言う通りだ」と言うと、アステアも笑顔になった。
しばらく他愛もない話をしながら、アステアはせっせとトゲ取りを続け、アロイスは妹が怪我をしないように見守る。
その作業がほとんど終わりかけたその時、アステアが妙に真剣な様子でアロイスに言った。
「お兄さま、わたしには夢があるのです。きいてくださいますか?」
「夢?」
「はい。その……ソフィーが、きっとお兄さまならおうえんしてくださると……」
何が恥ずかしいのか、それとも不安なのか、アステアは顔をうつむけている。
他でもないアステアのためだ、いくらでも力になってやるとの意思を込めて、アロイスは頷いた。
「言ってみなさい」
アステアはぱっと顔を輝かせてアロイスを見た。
勢いよく立ち上がり、おさげを肩で踊らせて―――
「わたしはしょうらいゆうしゃになって、お兄さまをお守りします!」
意気込んで言ったアステアのせりふだった。
アロイスは目を大きく見開き、何か言いかける。
しかしそれは言葉にせぬままに、アロイスは表情を元に戻し、あらためてアステアを見下ろした。
そして妹のあまりに真剣なその表情に、思わず吹きだしかけた口元を意志の力でねじ伏せ、どうにか微笑を形作る。やや震えてはいたが。
「アステアが勇者に? へぇ〜」
「うそではありません! わたしはゆうしゃになってみせます!」
唇をとがらせ、むきになって食って掛かる姿が愛らしい。
アロイスは妹のくせっ毛の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「もちろん応援しているよ、アステア」

お前を勇者にするつもりはないのだ、アステア。

「なれるとよいな、アステア……いや」

たとえ運命の日に生まれた子だとしても。

「お前はロトの血をひく父と母の子」

私は父と、母と、自らに約したのだ。

「きっとなれる」

お前が決して傷つくことのないように。すべての危険から遠ざけると。

「誰より強い勇者に」

決して戦わせまいと。
決して血を浴びさせまいと。
アステア。
どうかお前は花園の中で笑っていてくれ。

幼いアステアは偽りの笑顔に気がつかない―――いや、アロイスの笑顔は本物なのだ。
少なくともアステアを慈しむ気持ちに偽りはない。
すまぬ、と、アロイスの唇が動いた。
いずれこの意思は伝えるつもりでいる。
だが今、初めて夢を語ったアステアの気持ちを押さえつけることはしたくなかった。
たとえ嘘を吐いても―――
アロイスの眼前に、赤というよりやや桃色がかった色の薔薇の花束が差し出される。
トゲ取りの終わった薔薇の花束だ。レースに包まれて、金色のリボンで結んである。
「?」
「今年いちばんさいしょに咲いた、わたしのバラです」
アステアが生まれた年に名づけられた新種の薔薇の名は……アステア。
「わたしはゆうしゃになります。だからお兄さまはお姫さまです!」
笑顔で無茶を言う。この笑顔を守りたいと思った。
いずれこの華のかんばせを曇らせることになろうとも。
「ひめ、わたしの花束をおうけとりください!」
アロイスは微笑した。

「ありがとう、アステア」

それはアステアに勝るとも劣らぬ、慈愛に満ちた純粋な笑顔。


2004.10.2 イーヴン


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