+++ ロト紋命題 26〜30 +++

† 28. どこまでも君を思う †


凍てついた空気の中、雪のちらつく早朝。ジパングの国に、鎚の音が幾重にも重なって響きわたる。
普段はさすがに国中にこだまするほどの鎚の音は聞こえない。この時期は特別なのだ。
日の出と共に起きだしてきた人々が、仕事にとりかかる前にその音に耳を澄ます。
「今年はついにイズナが打ち手か」
「勇者様の剣を鍛えたんだ。期待できるぞ」
今日ばかりは、誰もが挨拶代わりに若き錬金術師のことを話題にする。
もはや魔王軍やヤマタノオロチに怯える必要もなく、ジパングは新たな年を迎えていた。

イヨは鍛冶場の裏手に一人佇んでいた。
薄汚れた木の壁に背を凭せ掛けて、響く音に耳を澄ませている。
本来ならたとえ国内だとて、女王が一人で行動するものではない。そんなことは彼女にも良く分かっているのだが―――
別に仕事を放り出してきたわけじゃない。いつも自分が起きるよりずっと早くに寝室を抜け出してきたのだから、とりあえず問題ない―――大有りなのだが、そう言い訳してイヨはここに来た。
今この鍛冶場の中で鍛えられているのは、女王を守る剣だ。
新たな年の始めに、最も腕の良い錬金術師数人だけで15本の剣を鍛え上げるのである。
完成した剣は女王に捧げられ、護剣として女王の護り手となる兵に改めて下賜される。
護剣は直近で女王を守る兵に与えられ、振るわれるものであるから、下手なものは打てないし、錬金術師達の責任は重大だ。
かつてはリハクがその任を負い、術師達の全てを束ねていた。
そして今は違う。
今ここで、すべての錬金術師の上に立ち、一心不乱に鎚を振るうのは―――

この壁を隔てた向こうにイズナがいる。
女王イヨを守るための剣を鍛えている。
ただ、無心で。
きっと今は、イズナの頭の中は剣の事でいっぱいだ……イヨはふふっと可笑しそうに笑った。
すっと切れ長の目を持つイズナは、外見だけ見ると非常に冷徹な印象を見る者に与える。
彼自身も女王の婚約者として、意識してそう見えるように振舞っているようなのだが……
それはあくまで見た目だけだ。実際の彼の中身は不二の山の火のごとく熱い。
幼い頃から側にいたのだからよく知っている。
それでも嫉妬を剥き出しにした表情を初めて目にした時は驚いたのだ。
あれほどまでに感情を爆発させたイズナを見たのは、本当に初めてだったから。
故に、気付いた。やっと、と言っても良い。
「……いつだって、私の事を考えていてくれたのよね、イズナは」
馬鹿みたいに、と呟きを唇の上に乗せる。
本当に馬鹿だ。どんなに想ってくれたとしても、婚約者だとしても、イヨは女王だ。
いつもイズナの事を想う事なんてできやしない。同じ想いは返せないのだ。
だから代わりにと思い、イヨはここへ来た。
イヨがイズナを見ていない間、イズナはずっとイヨを見てくれていた。
ならば女王でないただのイヨが、彼女の事を考えていないイズナを見ていよう。
「今だけは……どこまでも、イズナのことを想うわ」
国中に重く鋭い鎚の音が波のごとく響き渡る。寄せては返しを繰り返す。
ありがとう。
そう囁いて、イヨはわずかな時を音の揺らぎに身を委ねた。


またマイナーなものを……と自分でも思いますが、ネタの神様が珍しく降りてきました。
『21.剣』が対になるイズナ側となります。
2005.1.30 イーヴン

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