+++ ロト紋命題 20〜25 +++

† 21. 剣 †


イズナは頭から勢いよく水をかぶると、その場に大の字になって仰向けに寝っ転がった。
他の錬金術師達も同様だ。手を浸すだけでその冷たさに思わず身を竦ませるほどの低温の水を、まるで真夏の行水の時のように気持ちよさげに浴び、また酒を飲むかのように勢いよく飲み干し、その場に座り込む。
休むことなく女王の護剣を鍛え続けた彼らの身体は発熱していて、直接肌に触れた水はたちまち蒸発した。
彼らはやがて一人、また一人と立ち上がりその場を去ったが、誰もが必ず一度イズナに声をかけたり肩を叩いたりして、任の達成を祝福していった。
イズナは起きあがって一人一人に生真面目な感謝の言葉を述べたが、誰もいなくなると再び地面に転がった。
「あああ〜……」
呻き声なのか何なのか、意味をなさない音がイズナの喉から漏れる。
身体が鉛のように重い。もう指一本動かしたくない。
喉は渇きを覚えているし、腹は盛大に空腹を訴えているが、今はただ、身体を休めたかった。
アルスの剣を鍛えたときですら、ここまで疲れはしなかったのに、とぼんやり考える。
師リハクより受け継ぎ、女王直々に命ぜられた錬金術師の長としての初仕事。
イズナが今回試されたのは、そして以後も試され続けるのは、錬金術の技術だけでなく、統率力だ。
女王イヨの婚約者として、いずれ女王の隣に立ち民を導く者としての資質を問われる。
それはとてつもない重圧となって、イズナにのしかかってきた。
けれど感じていた重圧はそれだけではない、とイズナは思った。
彼はずっとイヨの隣りに立つに相応しい実力を身につけるべく、誰にも文句を言わせないだけの努力を重ねてきたのだ。
資質云々についての重圧ならば、完璧にはねのける自信があった。
(王者の剣を鍛えた時、アルスに対して屈折した感情を抱いてはいたが、あれは奴のために、世界のためにも必要な剣だった。鬼刃ムラサメは異魔神を打ち倒すべく全身全霊を込めて鍛え上げた。どちらも業物だったし、非常に困難を極めた作業だったが)
こんなに緊張した覚えはない。失敗など考えたことはないが、それに近い恐れのようなものを抱いている。
では何故か、と。
問えば自然に答えは出た。
「これはイヨ様のため」
自分のためでもアルスのためでも世界のためでもなく、一番大切なイヨのため。
彼女を護るために―――
(―――これは、誇るべき疲労だ)
達成感がイズナの身体を満たしていた。疲労はそれに付随するものにすぎない。
イズナの口元に、ふわりと柔らかな笑みが浮かんだ。
珍しいことに、自尊でなく、皮肉でもなく、それは自然と表れ出でた笑顔で。
「あら、イイ顔してるじゃない、イズナ」
「ッ、い、いよさまぁっ!?」
突然空から落ちてきた顔と声に、イズナはひっくり返った声をあげた。
本当なら飛び上がるくらいに驚いていたのだが、いかんせん疲れ切った身体は全く彼の言うことをきかず、イズナは動けないままイヨに上から覗き込まれて視線を外すことができずにいた。
「あらもったいない、いい笑顔だったのに」
そりゃあんたのせいです、などとイズナに言える筈もなく。イズナは驚愕の表情を貼り付けたまま、イヨの顔を見つめて口をぱくぱくさせている。
「何よ、金魚みたい」
「イヨ様! こんな所で何をなさっておられるのですか!」
「慰労、かしらねー?」
「鍛冶場の裏手に一人でいらしゃることがですか!」
「イズナ、気のせいかリハクに似てきてない?」
「イヨ様!」
「はいはい」
イヨは気のない返事をすると、濡れた地面にぺたんと座り込んだ。
そしておもむろにイズナの頭を持ち上げ、自分の膝の上にのせた。
「え、あの……」
「慰労に来たって言ったでしょ」
イヨの、僅かに照れたような声。イズナは自分が夢を見ているのかと思った。
柔らかな感触が頭の裏にある。白魚のような手が自分の額にのせられている。
これは、俗に言う、ひざまくらという奴ですか……?
「イヨ、様……服が、汚れます……」
「構わないわよ。……ありがとう、イズナ」
イヨは目元を和ませて優しい笑みを見せた。
「あなたの剣は私を護るでしょう」
さかさまに微笑むイヨを見上げて、イズナは真っ赤になる。
今の彼女は女性らしい雰囲気を纏っていて、いつもとは随分と印象が違って見える。
話す言葉は女王のもの、だがこの笑顔は、今は。
「私……私は、」
「イズナ?」
「私は、あなたの剣です。女王様は護剣が護るでしょう。そしてイヨ様は……このイズナが護ります」
イヨは大きく目を見開いて、膝の上の婚約者の顔を見下ろした。
アルスに会うより前に見られたやや子どもっぽい面が消えて、彼はちゃんと大人の顔になっていて。
イヨは頬を赤く染めてぷいと横を向いてしまう。
「なまいき」
「い、イヨ様ぁ?」
「イズナのくせに、この私をどきどきさせるなんて十年早いわよ」
ぺちんと額を叩かれて、朱に染まったイヨの顔を見て、そういえば膝枕までしてもらっていて。
湧き上がる喜びのまま見せたイズナの素の笑顔は本当に幸せそうだった。


なんか砂吐きそうに甘い。
『28.どこまでも君を思う』が対になるイヨ側となります。話としては28が先です。
2005.5.4 イーヴン


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