+++ 幼年期の終わり 10 +++

アランの攻撃呪文が放たれる直前、アステアも呪文を唱え終わっていた。
「フバーハ!」
周囲にいる仲間の身体が、薄い魔法の膜で覆われる。
先手必勝、攻撃のみを選択したアランと違い、アステアは防御の方を重視していた。
もちろん攻撃も抜かりない。
フバーハやスカラを使える数人には自分同様防御呪文を頼み、前方担当で最も魔力の高い魔法使いに攻撃呪文を任せていたのだ。
かくして馬車を挟んで前方と後方、同時に攻撃呪文の花が咲いた。


アランの放ったベギラマは、突っ込んでくる敵と、その後にいる者達の間で炸裂していた。
ベギラマは、敵の密集しているところに放てば、ただその一撃のみで大きな打撃を与えられる呪文である。
だがアランは敢えて最大効果位置を外して撃った。
集団と集団のほんの隙間―――
爆風と轟音と衝撃が、効果地点を中心に円形に広がって彼らに襲いかかった。
驚きの声と悲鳴が同時にあがる。
爆風に背を押されてたたらを踏んだ男に接敵した護衛の一人が、剣の柄を相手の鳩尾に叩きこんだ。ぐぇぇ、とかなり苦しげなうめき声をあげて、敵は地面に転がった。
周囲に似たような光景が広がっている。
アランは近くにいた一人を蹴り転がして、ただよう煙の向こうの敵めがけて走り寄った。
「やーあああっ!」
ほとんど自棄のように襲いかかってくる盗賊の刃を、数歩の足運びだけで避ける。
ゆらりと動いたアランの上半身を、剣の切っ先がかすめた。が、当たってはいない。
大振りした時の動きは非常に読みやすい。避けられるともう後がないことが多いのだが、普段戦い慣れていないものは、とにかく剣を振るおうとして、何も考えず剣を振りまわし空振りする。
また不安定な体勢からの攻撃は、少しの力であっという間に崩れる。打ち合わせた剣に、正面でなく横の力を加えてやれば、身体は簡単に横に流れて転倒するのだ。
アランは殆ど剣を使うことなく、最初の突撃隊を突破した。
最低限の動きで回避し即座に無力化する。
実力差があるからこそできる芸当であるが、本当に死に物狂いになった敵はあなどれない。油断はできなかった。
周囲からは剣を打ち合う音が聞こえてくる。
最初に突撃して来たのは明らかに実力のない「捨て石」扱いされた者ばかりだったが、その後にいた人間はそれなりに剣を扱えるようだ。
こちらは恐らく「本物の」盗賊たちだろう。
全滅させるべきか?
散発的に来る攻撃を斬り払いながら、頭の隅でちらりと考える。
……できないことではないが……無理だな。
少しずつ辺りに漂いはじめた血臭を嗅いで、アランは思った。
ここにいる護衛や商人達は、戦うと言えばこれまで魔物を相手にしていればよかっただけの人間だ。賊が出ることは最初から分かっていたから、引く者はいないだろうが―――身を守るためと割り切って人を殺せる者、その覚悟ができている者は少数だろう。
それに、アステアも。
「―――?」
唐突に浮かんだアステアの名前に、アランはあれ、と心の中で首を傾げた。
戦闘中に気を散らす危険さを分かっていた筈なのに、それでも自分の思考が一瞬理解できずに彼は隙を見せてしまった。
アランの注意が一瞬、外側でなく内側に向いたその時。
一直線に走り寄ってきた男が、アランの腹を狙って剣を突き出した!

前方側に出てきた敵は10人を超していたが、どうやら運良く手練の者を真っ先に倒せたようだ
。 もっと敵の数が多いと思っていたが、主力は後だったらしい。
自分が手助けするのはこれで十分。
現れた敵の戦い方を見て、アステアは即座に判断した。
威勢はいいが、剣を持つ手がぶれている。残っているのはあきらかに素人の集団だ。
しかもこちらの先制攻撃で浮き足立っている。特に問題はないとみて、アステアは後方を振り返った。
こちら側よりやや激しい戦闘が行われているが、やはり先制攻撃が効いたのだろう、全面的にこちらが押している。
アランの姿はすぐ見つかった。地味な黒っぽい格好をしている割に、彼は見つけやすい。危なげなく攻撃をいなしている。
援護しようとアステアが駆け出しかけたその時、ほんの一瞬。
剣を構え、アランに走り寄る男の姿。なお信じられないことに、接敵を許すアラン。
「…ア……!」
アステアの声とアランの反応と、どちらが早かっただろう。
その目で見ていた光景が、思い出せない。見つめていたのは結果だけだった。
……血が。
刃の稜線を赤い血が滴り落ちて、ロトの紋章を模した鍔を伝い、アランの指に絡みつく。
どこから? ……そんなもの、自分の目で見ている通りだ。
アランの剣は、彼を襲った男の左首の付け根に、深く食いこんでいた。

……アラン自身もどう攻撃をかわしたのか覚えていなかった。
気がつけば身体は勝手に動いていて、敵に対し報復の一撃を繰り出していた。
……必殺の一撃を。
「ぐああああぁぁぁっ!!!」
「…!」
しまった、と思ったのは、刺してしまった直後だ。
元々アランはアルスやアステア以上に危険に敏感で、敵意、特に殺意には即座に反応する傾向がある。
戦闘即応自体は悪い事でなくむしろ誇れる特技だが、アランの場合身を守るだけでなく、即座に攻撃に転じてしまう。
特にとっさの場合、無意識に急所を狙ってしまうのだ。
そうなってしまったのは彼の過去に受けた教育に拠るものだが、今は関係ない。
実際アランは心臓を狙って剣を繰り出していた。
結局無意識化で避けようとしたのか心臓にこそ剣は辿り着かなかったが―――
(……致命傷だな)
貫いた瞬間に分かっていた。かなり太い血管を斬り裂いている。
剣を抜いても抜かなくても、呪文をかけても間にあわない。出欠多量で、死ぬ。
アランは冷静に考えてゆっくり剣を引き抜いた。
手についた生ぬるい血を振り払う。かなり血がしぶいた筈だが、不思議と手以外は顔にほんの少し返り血を浴びた程度だった。
男の肩口があっという間に鮮血に染められてゆく。悲鳴はもう聞こえない。男の身体がぐらりと傾いで、冗談のようにゆっくりと地に伏した。
男の身体を中心にして、地面に広がる赤黒い海。
右手に視線を落とす。幻ではない、現実の、人間の血にまみれた手に。
―――殺した。
不思議なくらいに、彼の心の中は凪いでいた。
「そうだ。俺が、殺した」
事実を認めるためか。アランは淡々と呟いた。
ざりり、と砂を踏む音が聞こえて、アランはちらりと視線を向けた。
予想通り、どうしていいかわからないといった表情のアステアがそこにいた。
「アラン……」
「何を呆けてる。他の奴らを援護するぞ」
「え、うん……」
何か訴えかけるような、葛藤に揺れる瞳がアランを捕らえた。
救いを求めているかのようにも見える、青い瞳―――
アランはアステアを見てはいなかったが、ひくい声で呟いた。
「……お前が気にしてどうする」
「わ、かってる、よ……」
周囲の戦闘は徐々に収束しつつあったが、今起こった事はただその結果の一つでしかなく、事実その通りだということ知らしめるかのように、世界は何も変わらなかった。

死傷者6名。負傷者多数。
こちら側に死者はでなかったが……この数を多いと見るか少ないと見るかは、判断の分かれるところだろう。
アステアは、多い、と思った。
最大の戦いが終わったというのに、何故剣による人死にが出るのだろう。それも、人間同士の戦闘で。この世界の最大の脅威は取り払われたのに。
アステアは唇を強く噛んだ。護衛を引き受けた時点で、こうなるだろうことは薄々分かっていたのに、どうしてもそれを受け入れ難い自分がいる。
崩壊を食い止めるより、再建のほうがずっと大変だ。
今は再建の時期なのだから、当然―――とは、アステアは思えなかった。
アランは『事後処理』の手伝いをしていた。死者の埋葬と怪我人の手当てだ。軽傷で済んだものは皆駆り出されている。
死者は略式ながら埋葬された。山賊は殆どが逃亡したが、そのうち帰順の意を示したものは、手の自由だけ奪い、ロマリアに連れていくことになった。
そもそも投降した山賊達が、「時代のせいで道を踏み外した」ロマリア出身の者ばかりだったからだ。
彼等は手だけを縛され、今はおとなしく与えられた食事を食べている。
受け入れるにあたって商人達の間で喧喧諤諤の相談がなされていたが、最終的に連れて行くことになったようだ。
「そんな余裕あるのか?」
誰かが発したその疑問は当然のことだった。
投降したとはいえ、一応敵だったのだから警戒は必要だし、食料にだって限りはある。
捕虜などというお荷物を抱えて、余計な出費や仕事が増えるのはありがたくない。
この質問を予想していたのだろう、商隊の長はよどみなく答えた。
「心配はいらない。確かに余裕があるとは言えないが、飯を食わせるくらいならばなんとかなる。商人ギルドも援助を惜しまないと言ってくれている」
「けれど、危険では? 捕縛もあの程度で……」
「あいつらだって、もう山賊なんてしたくないから降参したんだろう。でなけりゃ、他の奴らみたいにとっとと逃げてるさ。大した怪我もないし、足は縛ってないんだからな」
ああ、と納得するような声と、困惑の声が同時に湧き出す。
隊長はゆっくりと首を横に振った。
「人手はいくらあっても足りないんだ。ロマリアの民なら助けてやりたいし、復興の手伝いくらい期待したい。こちらに害を為すようなら、放り出していけばいい。それだけのことだ」
事情と現状を考えれば上手い手かもしれない。
山賊の大半は元々ロマリア在住の堅気の人間だ。放っておくより取り込んだ方が、報復を受ける確率も低くなる。
今はまず何をおいても労働力の確保を最優先したかったのだろう、確かにロマリアに戻れば猫の手も借りたいほどの忙しさだろうから。
その後もいくらかの意見反論が出たが、結局決定が覆るほどのものは出なかった。

事後処理を終えて、小休止の後出発する事になり、各馬車の代表や護衛達が呼び集められる。
二人はここで彼等と別れる契約だったため、集まりには加わらなかった。
「僕は荷物を整理してくるから」
返事をしたが、逃げるように馬車の方へと走っていくアステアに聞こえたかどうか。
アステアの背中を見送って、アランは特にすることもない様子で橋の欄干にもたれてぼんやりしていた。
彼の近くで働いていた老商人が声をかけてくる。
「よう、強い兄さん、確かここから北へ行くんだろう? 別れる直前に山賊が出るなんて運がねえなあ」
「日頃の行ないが悪かったのかもな」
軽口めいたアランの返答に、商人は楽しげに笑った。
「もうしばらくしたら連絡会が終わる。行ってきたらどうだ?」
「ああ、あいつが挨拶するとか言ってたな……」
気をつけてな、という旅人への普遍の決まり文句に、アランは短く礼を言う。
馬車にいるはずのアステアを思って、アランはふと氷蒼の瞳を曇らせた。
なにを考えているのか、どうせならば、これで幻滅したとか言って自国に帰ってくれれば気楽なんだがな。

馬車に飛びのったアステアは、改めて荷造りする必要もない荷物を前に、力が抜けたように座りこんでしまった。
彼から離れる口実だということは、カンのいい彼のことだ、とうにばれているだろう。
自分の意志で彼についてきたのに、もう逃げている。
「……僕は弱いのかな」
アランに対してわずかなりとも隔意を感じてしまう自分は。
賊を殺しているのは何も彼だけではないのに、妙なものが心の奥にわだかまっている。
誰も彼等を責めない。誰も彼等を賞賛しない。
つまり、何でもないことなのか?
いや、そうではないだろう。アステアは自ら反証を導き出す。
僕は、身を守るためであれ、殺人を「仕方がない」と割りきることができない。
魔物は殺せるのに、人は殺せないのか? ……傲慢だな、僕は。
アステアの唇から重い重いため息がこぼれた。
荷物を引きずって出入り口に座りこみ、幌にもたれて外を眺める。
水のせせらぎも木々のざわめきも、心を落ちつける役には立たなかった。
空を見上げれば、アステアの心を表しているかのような、薄墨を刷いた曇り空。
(……どうせなら青空を見たかったな)
このままだと、アランの前で愛想笑いをすることになる。仲間に対して演技をすることになる。
「それは嫌だ」
結局のところこれは自分のわがままなのだから。
アランの事情は分かっているけれど、それでも……彼が人を殺すところなど見たくなかった。殺して欲しくなかった。昔の彼を見ているようで―――理由はそれだけなのだ。
「アステア。連絡会が終わる。挨拶済んだらさっさと行くぞ」
呼びに来た彼に―――ちゃんと笑顔を返せただろうか。
「……変な顔だな」
やはりダメだった。それにしてももっと言い様があるのではないかとアステアは思った。
微妙な表情のアステアを見て、アランは「あのな」と、一拍おいて語りかける。
「アステア、俺は必要とあらばなんだってできるし、やる。それにあれは俺の油断が招いた結果で―――」
アステアの視線がうごいて、印象の異なる青い瞳同士が一瞬だけかちあう。
すぐに目を伏せてしまったアステアは、やや怯んだ様子のアランを見る事はなかった。
「それでも悔しい」
「?」
「僕が君の隣にいたなら、君にあんなことさせずに済んだのに、って」
「……今さらだ」
「うん、過去のもしもに意味はないって……分かってる」
反撃しなければアランの方が危なかったのは事実なのだし……それにいつまでもアランとぎすぎすしていたくはない。
「でもごめん、もうしばらく沈んでるかもしれない」
アランはふっと鼻で笑った。
「別に無理してついてこなくてもいいぞ。元々お前が勝手におしかけてきたんだ」
ああこれは心配してくれているのかもしれない。アステアはふわりと笑った。
理不尽な理由で避けられているのだから、アランはアステアをもっと突き放してもいい筈なのだ。
そうしないのは……仲間として、旅の道連れとして一応は認めたからなのか。
「“おしかけ”はひどい」
アステアはアランに荷物を押しつけ、背筋を伸ばして立ちあがった。


NEXT≫