+++ 幼年期の終わり 11 +++

「まだここらだって賊が出るくらい物騒なんだ。北なんて魔物の巣窟だぞ。それでも行くのか?」
できたらロマリアまで護衛を続けてくれたら嬉しいんだけどなぁ、と商隊の長は言ってくれたが、アステアは礼を述べつつ丁重に辞退した。
「まあ、そういう契約だったからな。仕方ない。あんたらも分かってるだろうが、こっちに比べると北は本当に危険なんだ。カザーブ、ノアニール地方は魔人王による虐殺が行われた地域だし」
アステアが僅かに表情を動かしたが、すぐに平静に戻る。
アランの方は眉一つ動かさず、愛想のない表情で視線を遠くに向けていた。
「人は少ない村も少ない、その上魔物は多い。あんたらは強いから大丈夫かもしれんが……本当に気をつけろよ、無理はするな」
「やけに心配してくださいますね」
苦笑しつつアステアが言うと、あったりまえだあ!と返された。
「あんたらは確かに、年齢の割に強い戦士だ。心配することすら失礼なのかもしれんがな。まだ十代のガキだろう。子どもの心配をするのは、大人として当然のことだ!」
ふんっ、と鼻息荒くして言った彼を、アステアはあっけにとられて見ていたが、すぐその表情を和ませる。
「感謝します。―――お世話になりました」
「おう、こっちこそな。また会おう」
「どうか皆様もお元気で」


彼等は南西へ。そして二人は北へ。名残を惜しむように手を振りあって別れた後、アステアはゆっくり腕を下ろし、小さく呟いた。
「ごめんね……アラン」
黙ってアステアを待っていたアランが、怪訝そうな視線を向ける。
「?……さっきの話の続きか?」
「そうじゃなくて」
強い調子の声がアランの言葉を遮る。
「かわりに謝る。その……魔人王の……」
ほんの一瞬だけ、アランの目に苦い色が走る。しかしアランは殊更に奇妙な表情を浮かべて見せたので、アステアが気づくことはなかった。
「はあ? そんなのお前が謝ることじゃねーだろ。あいつらは客観的な事実を言ってただけだぜ。気の回し過ぎだ」
言って、アランはすたすたと歩き出してしまった。
アステアがまごついたように突っ立っていると、アランが首を後ろに傾けるようにして振りむいた。
「何してる。行くぞ」
「……うん」

「それで、このまま山沿いを歩くのか?」
「そのつもりだ。川沿いの方が分かりやすいんだが、あちら側だともっと急な道を歩く羽目になる」
場所によっては崖になっている可能性もある。それほど旅慣れている訳ではない身で、それは自殺行為だろうとアランは言った。
「それに、こっちは元々街道だからな」
「アッサラーム、ロマリア間は整備された街道だったけど……こっちは?」
「察しがいいな」
俺もそれほど詳しい訳じゃない、とアランは前置きした。
「ロマリア以北は、かつては立派な街道があった。だが今は誰も整備していない、まるで裏街道みたいになっているはずだ。ある程度の大きさはあったはずだから、道が分からなくなることはないと思うが……随分荒れ果てているだろう。移動には結構な時間を喰うぞ」
それでもついてくる気なのか、という含みを持たせてアランは言った。
アステアの方はこともなげに返す。
「悪路には慣れてる。心配いらない」
「ふ……余計な世話か」
「そんなことない。ありがとう、アラン」
礼の後に、一言付け加えた。
「君がこんな風に心配してくれるんなら、もっとか弱いふりしておくんだったよ」
「好きに言ってろ」
共に戦った身でありながら、今更弱いふりもないだろうとでも言いたげだった。
もちろん、アステアの言葉が冗談だと分かっていて、だ。
「あはは。まあ冗談はさておいて、僕はこちらの地理にはあまり明るくないからね。君がいなきゃ、非常に辛いのは事実だ」
「全然分からないことはないだろう」
「うん、世界地図は見たことあるし、この大陸の地図ならハーベイに貰ったものを見たから……でも、僕は地上生まれじゃないから、付け焼き刃な知識として持っているだけだ」
だから頼りにしているよ、と言うと、アランはアステアをじろりと睨んだ。
「押しかけの道連れに頼りにされても嬉しくはないな」
「素直じゃない」
二人は並んで、お世辞にも歩きやすいとは言えない雑草だらけの街道を歩く。倒木が道を塞いでいるところもあった。
それでも時折人の通りがあるのか、かろうじて緑に侵食されず残った道に、薄く轍の跡が残っていた。
虫の多さにだけは閉口しつつ、二人は道に沿って歩を進める。
「まっすぐ北上すれば、確かカザーブ村だったね。そこまで行くつもり?」
「それだと行きすぎる。もっと手前で東に行く」
「ええっと……」
アステアは地図を取り出して、見やすいように小さく畳んだ。
「多分今がこの辺り……で、……ああ、ここで山が切れるんだ」
アステアは街道があるらしき箇所を指で辿った。
二人が歩いている山は途中で終わっているように見えるが、実際は北の峻険な山々と繋がっている。ロマリアの方から続く山脈と、アッサラームのずっと南から続く山で、巨大な山脈を形成しているのだ。
この山脈はカザーブの東にさらに伸び、また遥かノアニールまで続いている。
ロマリア側、アッサラーム側の山が繋がる箇所で、地図上では一旦谷のようになっている場所があり、それをアステアは「山が切れる」と表現したのである。
「湖から川になっているんだね。ここを渡るということか?」
「そうだ。昔は橋があったはずだが、さて、今はどうなっているか」
「……なかったら?」
「やや遠回りだが、少し川を下れば渡れるところもあるだろう」
「結構、でたとこまかせだね、アラン……」
呆れたように言ったが、アランは動じなかった。
「何度も言った。ついてこなくてもいいとな」
コンパスで時折方角を確認しながら、彼は着実に前に進んでいく。
それが回り道であれ、遠回りであれ、目的に向かってまっすぐに……少なくともアステアには、そう見えた。
ふとアランが顔をあげて、コンパスを服の隠しに突っ込む。
邪魔になる荷物を道の脇に放り投げて、剣を抜いた。
もちろんアステアも反応している。
手早く地図を袋に仕舞い地面に放り出して、剣を構え援護呪文を唱え始める。
二人が戦闘態勢を取って数秒の後、魔物の集団が森から彼らめがけて飛び出した。

現れたのは、キラービー系の魔物が7体、グリズリー系が2体だった。
二人の勇者の敵ではなかったが、今のアランは堅い鎧を纏っているわけではないので、やや慎重に戦っていた。
キアリーが使えると言っても、やはり毒攻撃を喰らうと厄介だからだ。
アステアにスカラをかけてもらったアランは、真っ先にグリズリー1体をほふり、他の8体の目を自分に向けさせた。
もう一体のグリズリーからは即座に距離をとり、アランは集団で突っ込んでくる殺人蜂を真っ向から迎え撃つ―――その直前に、身体を横に滑らせるようにして回避した。
魔物が慌てて方向転換したその瞬間、アステアのバギマが直撃する。
虫の頭や足が宙に舞い、ばらばらと地面に落ちた。墜ちたのは4体、そのうち1体はまだ飛び上がる余力を残していたが、もがいて起きあがる前に、走り寄ったアステアがとどめを刺した。
当たりが浅かった3体は、甲殻に少し傷を負った程度で、再びアランに向かっていく。
アランは一体をすぐに切り捨てたが、残りの2体がすぐに仕留められない。 彼の攻撃を阻むように、交互に攻撃を仕掛けてくるのだ。
アランは仕方なく、毒の塗られた針の攻撃だけは絶対に喰らわないように立ち回っていた。
しかし突然、器用に回避し続けていたアランの身体が傾いだ。地面の小石にでも足をとられたのか……もちろん敵がそんなアランの動きを見逃すはずはない。
耳障りな音を立てながら、必殺の攻撃を繰り出してくる!
アランが致命的な一撃を喰らったかと思えたその時、キラービーは2体とも遠くに吹っ飛ばされていた。
アランの右足が空に半円を描き、とん、と地面に下りる。
左足を軸に、身体の向きが180度回転している。
彼が隙を見せたのはフェイク、その運動能力を最大限に生かし、わざと体勢を崩した状態で、渾身の蹴りを喰らわせたのだ。
念のため剣でとどめを刺した時、ひときわ大きな苦鳴が周囲に響きわたり、アランは顔をあげる。
彼の視線の先で、アステアが最後の1体の眉間に剣を突き入れていた。
ゆっくり剣を引き抜いて、アステアはアランに一瞬複雑な笑みを見せた。
「……どうした?」
「別になんでもない。それよりアラン、無事?」
「誰に言ってる」
自信家というよりはえらそうなアランの声の響きに、アステアは微苦笑を浮かべる。
「魔力を温存して戦ってたね。剣と体術だけで戦う気なのか?」
「見えたのか?」
「視界の端にちらっと。僕じゃあ身体の平衡とるのはともかく、力では君より格段に劣るから、あんな蹴りは無理だな」
「別にやれとは言わん。……とにかくここを離れて休めるところを探すぞ。ぐずぐずしてると、血の匂いに惹かれて別の奴が来るぞ」
「分かってる」
剣の血を拭いながら、アステアはやや沈んだ表情を隠すようにアランに背を向ける。
アランも剣をひと振りして血油を飛ばし、刀身の状態を確認するように眺めて、ふと気難しげに眉根を寄せた。

緩やかに見えて、急激に陽は落ちる。
油断していると、あっと言うまに周囲は漆黒の闇になる。森の中などではなおさらだ。
二人は戦闘の後すぐにその場を離れ、かなり距離を取ってから休むことにした。
アランが野宿すると言い出した時、木々に遮られているとはいえ、まだ空は明るさを保っていた。
故にアステアは最初反対したのだが、「地下世界にないものがここにはあるだろう」と指摘され、納得はしていないながらも受け入れたのである。
アランの指示が正しかったと心の底から納得できたのは、野宿に適していそうな所をようやく見つけた時だった。
周囲がよく見えない。周囲の木々の輪郭がぼやけている。
「……?」
数回瞬きしてみたが、視界の奇妙さは変わらなかった。あえて説明をつけるならば、ごく弱いマヌーサをかけられたようだ。
ぱきん、と枯れ枝を踏む音がして、アステアはそちらに目をやってみた。
歩み寄る黒い人影がそこにあった。気配はアランだ。なのに―――顔が見えない。
「ッ……あ、アラ……ン?」
「そこで寝るのか? こういうことは、地下で移動しながら奇襲戦してたお前の方が得意だからな」
ごくあっさりした返事が返ってきて、アステアはなにやらほっと息をついてしまった。
当然ながらアランは訝しげに首を傾げる。小脇に抱えていた枯れ枝の束を地面に下ろして、アステアの顔を覗きこんだ。
「何かあったのか」
アステアはぶんぶんと首を横に振って笑って見せた。一体何に動揺しているんだと自分を叱咤しながら。
「いや、ちょっと吃驚したんだ。こんなに周囲の景色が見えにくくなるなんて、思いもしなくて」
「ああ……」
そういうことか、とアランは頷いた。
「黄昏時だ。薄暗くなりはじめて、人の顔の判別が難しくなる」
ごそごそと荷物の中を探っていたアランは、魔除けの香を引っ張り出して、携帯用の香炉に載せて火をつける。
薄く白い煙が二人の間をすぅっ、と流れて行った。
「アレフガルドには存在しない時間。夜と昼の狭間」
アランは香炉をアステアに差し出した。
「大禍時、逢魔が時とも言う」
「おうまがとき……?」
「『魔物』に出遭う時間帯ってことだ」
煙の向こうで、アランがにやりと笑った。
アステアが喉の奥で息を呑む。その気配が伝わったのか、アランは更に人の悪い笑みを浮かべた。
「……本気にしたか? 結構怖がりだな、お前」
「アランっ!!」
「魔物どもの動きが活発になる時間ってのに間違いはないぜ。何の為の香だと思ってるんだ」
アランは足下にある集めてきた枝に火をつけ、この中にも香を放りこんだ。
魔除けの香は、魔物の多い所で野宿をするときの必需品だ。所謂匂い袋と逆の性質を持っている。魔物が好む匂いか嫌う匂いか、2つにはこの違いしかない。
但しこの香は火をつけなければ全く効果がないのが難点だった。
その代わり、幾度もの改良の結果か、一晩は効果が続くのである。
「突っ立ってないでお前も早く枝を拾え。もう日が沈む」
憤然とした口調の返事が返ってきて、アランは口元だけでちいさく笑った。
(『魔物』は外から来るものだけとは限らないが、な……)
それは回避し得ぬもので、いずれ姿を現すこころの闇。誰もが例外なく持てるもの。アステアですらも。
(さりとて今は、関わりないが―――)
―――本当にそうか? 覚悟は早い内にしておくものだ……。
アランもアステアも、何かしら心の奥に拘るものがある。
空を振り仰ぐと、木々の間に見えていた紫の空が、じわじわと闇色に染め替えられていた。
二人旅の最初の夜がやってくる。
長い夜になりそうだった。


2004.11.6 一部修正


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