+++ 幼年期の終わり 2+++

ラダトーム城の屋上で、アステアはぼんやりと外の景色を眺めていた。
水を湛えた堀を通って城壁を駆け上がる風は冷たい。
その風に髪をなぶらせていると、若い侍女がやってきて彼女に声をかけた。
「…アステア様、このような所におられましたか」
「午前中分の仕事は終わらせた。僕がどこで休憩しようと勝手だろう?」
「お風邪を召されては…」
「心配ない。下がれ」
早く下がらせようとかなりつっけんどんに言うが、侍女の方も負けてはいない。
「式部官と侍従長がアステア様を探しておられます」
「後にしてくれ…」
うんざりしたように言う。
そう、どうせ言ってくることは分かっている。ここ<ラダトーム>に戻ってきてから、それこそ誇張でなく毎日のように言われつづけているあのことだろう。
(まだそんなつもりはない……必要なのは分かるけど、本当に今必要なことなのか?)
あのこと。
いくら考えても堂々巡りになってしまう。
異魔神との戦いの時でさえ、こんなに悩むことはなかった。
平和になったがゆえの悩みは、ある意味あきれるほど簡単なことだった。
「アステア様には、誰か気になる方はおありでしょうか?」
きっかけは侍従長のこの一言だった。
さりげなさを装いつつも、教えなければ許さない!とでもいうような異様な熱意を持って聞いてきた侍従長に、アステアは若干引きつつも答えてしまった。
思えばこのときにもっと警戒しておくべきだったのだ。
……しかしいまさら反省しても遅い。
「まぁ…いないと言えば嘘になる…かな」
「ほう、どなたですかな、その果報者は?」
「…人の恋愛にまで首を突っ込まないでほしいな」
「なにをおっしゃいますか!王族に『ぷらいばしぃ』などというものは存在しないのですよ」
きっぱり言い切った侍従長の言葉にアステアは思わずひるむ。侍従長はアステアの反撃がくる前になおも言い募った。
「あなたはこの国でただ一人の直系の王族であらせられます。それがどういうことか、お分かりでございましょう? 戦から1ヶ月、平和になったとはいえまだ国も人心も不安定です。一刻も早く、王女殿下には婚姻を結んでいただかなければならないのです!」
要するにそういうことであった。

(…そんなこと言われたって。まだ1ヶ月しか経ってないっていうのに…)
結婚自体には抵抗はなかった。王族である以上避けては通れない道だったし、覚悟もできている。問題は時期と……相手なのだ。
アステアにしてみれば、国を安定させてから、という思いがあった。
しかし家臣たちのほうはそうではなかったらしい。『アステアが結婚すること(=世継ぎの誕生)』によって国を安定させたいと思っているのだ。
どちらが正しいとは一概には言えない。が、アステアは一人で、家臣達は多数である。どう考えてもアステアのほうが分が悪かった。
ただ彼女にとって救いなのは、いきなり見も知らぬ相手との婚姻をさせられる恐れはないだろう、ということだった。
どういうわけか、家臣達はできるだけアステアの意思を通してやろうとしている。それは彼らが王女に敬意を表していることもあるが、正直な所を言えば、候補が少ないからなのだ。
いや、少ないと言うとかなり語弊があるかもしれない。
アレフガルド全土でラダトーム王女と結婚したがっている男は、それこそ一国の国主や王子から大都市の富豪の息子まで恐るべき数にのぼる。
アレフガルドで現在最も力のある王家の王女……ロトの血筋に関しては知られていなかったが、大国との縁は世間に対し武器となる大きな力だ。はっきりいって、これを見逃す手は無い。
ゆえに、兄アロイスの存命中から結構な数の打診があったのだが、アステアはこれまでそれらの全てを断っていた。
本来なら、王族に生まれた身としては許されないことだ。
しかし「王の年、王の月、王の日」に生まれた運命の子として、アステアは国内ではある程度特別扱いされてきた。
実際勇者として実力をつけつつあったアステアに意見できる家臣はそうはいなかったし、魔物との戦いも激しくなっていたのでそんなことを言っていられる余裕もなかった。
しかし戦は終わった。異魔神は倒された。
それらが誰の手によってなされたのか? 当然何処の国や町も独自に情報を集めている。事実はあっという間に知れ渡る。
アステアの「価値」は更に高まることとなったが、逆になまなかな家格や人間では彼女と釣り合わないということになり、結果的に縁談は減少した。
単に自分より明らかに強い女と結婚しようという男がいないだけかもしれないが。
とにかくアステアにとってはうっとおしいだけの縁談が「どういうわけか」減り、本人は口には出さないまでも喜んでいたが、家臣たちとしてはそうはいかない。
世継ぎの誕生は国にとって死活問題だからだ。
だが今のアステアと釣りあうだけの男をどこから探してくるかとなると……候補は自然と絞られることになる。
彼女と同等の資格を持つ者達に。
どちらの候補もラダトームという国にとっては申し分ない存在だ。
一人は誰もが知る、世界の救世主となった勇者アルス。
もう一人はロトの長男ローランの直系、勇者アラン。
家臣団はアステア王女の結婚の実現に向けて、一致団結して動き出すこととなった。
アステアにとっては迷惑なことであったが。

「アステア様」
「うるさいってば」
「ウィニアならば下がらせました。一体何を拗ねておいでなのですか」
「だから放っておいて……って、ソフィー?」
先程までいた侍女とは違う。アステアが振り向いた先にいたのは、薄い青の女官服を一分の隙も無く着こなし、栗色の髪をきちんと結った、20代半ば位に見える女性である。
顔立ちもそこそこ美しいといえるのだが、ただ微妙に目つきが悪いというかぼんやりしているというか……明らかにそのことが彼女の魅力を半減させていた。
「はい、ソフィーでございます。女官長の方がよろしかったですか?」
「いや……君の方が今はいい……」
「随分堪えていらっしゃるようですねぇ」
顔つきから受ける印象通り、どこかぼやぁ〜っと話すこの女性はアステア付きの女官である。
実際の身の回りの世話等は侍女達がしているが、彼女は表向きアステアの気の置けない話し相手として存在している。
普通なら言えないようなこともはっきり言ってのけるので、アステアは結構彼女を重宝していた。
「まだそんな気はないって言ってるのに……」
「ああ、結婚のことですか。殿下も大変ですね」
「他人事みたいに言わないでくれる…?」
「だって他人事ですから」
アステアは思いっきり脱力した。
「それはそうだけど……」
「もうしばらくは大丈夫でしょうけれど、あと…半年もすれば戴冠式ですよ」
ソフィーの言葉にアステアは重い重いため息を吐いた。
アステアはまだ正式の戴冠を済ませていない。だから城内でも王女だとか殿下などと呼ばれている。
事実上の王であることに変わりはないのだが、まだ国が混乱している今、正式な戴冠式などしていられる余裕はなかった。
しかし国を安定させるためと言うならば、本当は早く戴冠してしまった方が良いのだ。
アステアもそうしようとしたのだが、一部の家臣が盛大な戴冠式を行わなければ国の威信にかかわるなどと言い出したため、結局先に延びてしまい今に至っている。
その後、まるでそれと入れ代わりのように結婚問題が浮上し、アステアは頭を悩ませていた。
「女王になったら……即座に決めろとか言われそうだ……」
「いいえ、戴冠されるまでが大変ですよ」
何かに気づいたように「あ」と呟いて、アステアは顔をしかめた。
「……今でさえこんなに辛いのに、これから毎日、しかも一日ごとに圧力が高まっていくのか…」
「まぁ、王族に生まれた宿命ですねぇ」
「……兄様が生きていてくれればよかったのに……」
「殿下」
たしなめるようなソフィーの声。
「分かってるよ。でも、たまには……」
たまには弱音ぐらい吐くよ、と声に出さずに呟く。
兄の死に関しては、もう彼女の中できちんと整理はついている。
けれどだからこそ分かるのだ。
兄によって、いかに多くのものから「護られて」いたのか。
今悩まされている縁談についてもそうだ。
アロイスがいた頃は、彼女にまで細かい話が来ることはなかった。
こんなのはどうだと山ほどの縁談と肖像画を持ってこられて、見もせずに断るというのがアステアの常だったが、それでも多分、あれは吟味された上で選ばれたものだったのだろう。
今自分が政治を預かる立場になって、初めてアステアは多くのことを知った。
その壮絶なまでの仕事量を実際に処理し、兄はこんな事までやっていたのかと改めて驚いたのだ。
兄様が生きていれば……勇者としての義務、また国を支えるという重責、そういったものに挫けそうになるたびにそう思ったものだが、その度に兄の言葉を思い出した。

――アステア、未来はいくらでも夢見ていい。
――でも過ぎ去った過去の『もしも』は、決して考えてはいけない。
――お前は……いいや、生きとし生けるものは皆……
――時に振り返ることはあっても、後ろを見つめて生きてはいけないんだ。

そう言われたのはいつだったのだろうか。
あれは……今にして思えば、自分自身に言い聞かせていたのではないか?
王であり、勇者であり、上に立つものとして民を率いねばならない自分に。
もう真実を知ることはできないけれど。
「アステア様?」
「え? ああごめん、何?」
「いえ、何だか幸せそうに物思いに耽っていらしたので」
「幸せそう?」
「ええ。ですから思わず邪魔してしまいました」
「……何の話をしてたんだっけ」
「確か殿下の御結婚の話でしたけれど」
一気に顔をしかめたアステアに、ソフィーはさらなる追い討ちをかけた。
「ご昼食の後は会議がございます。殿下、逃げてはなりませんよ」

会議は滞りなく進んだ。
国内情勢、国民の住居と食料の確保、治安の維持、連絡体制などの基本事項の報告が済み、今後の政策の決定が行われる。
最も未だ国内が安定していない今では、する事は大量にあってもある程度限られてしまうため「現状維持」的な結論が出たのみだ。
それからアステアの戴冠式の詳細な打ち合わせが行われ、それが終わってやっと会議は一段落着いた。
「何か軽食を用意させましょう」
「頼むよ……ああ、皆の分も」
「かしこまりました」
アステアはため息を一つ吐くと、どさりと椅子に体を沈めた。
「お疲れのようですね」という宰相の声に、誰のせいだと心の中で呟く。
「甘いものが欲しい……」
「ははは。殿下もやはり女性ですな。ところで……」
来たっ!とアステアは全身に緊張をみなぎらせた。
「殿下の御結婚のお相手のことなのですが」
「………………」
「殿下のご苦労を我々が少しでも和らげて差し上げようと思い立ちまして」
「………………」
「候補の方を二人にまで絞り込んだのですが」
「……それで?」
異様な程にこやかな宰相の顔を一瞥して、運ばれてきた紅茶と菓子に手を伸ばす。
「やはりアルス王子とアラン王子をおいて他にはいないだろう、という事で家臣一同一致いたしました」
アステアは無言で、砂糖をひとかけら落とした紅茶に口をつけた。
軽食は他の者達にも行き渡り、会議は自然と砕けた雰囲気になる。
「やはりアルス殿が最もよいご伴侶かと……」
誰かがそんなことを言い出し、他の者も口々に自分の意見を言い始めた。
「私も賛成ですな。アルス王子は世界を救われた勇者であらせられる。これ以上ない方ですぞ」
こいつこれを狙ってたなと宰相を睨みつけるが、彼はどこ吹く風といった表情だ。
「私めもそのように思いますが……一つ問題が……」
「カーメン王国のただ一人の後継者でございましたな。アステア様もご同様のお立場……」
「私はアラン王子を推しますぞ」
「うむ、残念な事にローラン王国はもはや存在せぬが、アラン様は間違いなく直系の王子。逆の考え方をすれば、王位を継がぬでもよい方、婿に来ていただくにはちょうど良いではないか」
「しかしあのお方は……」
「そうだ、アラン様自身が悪いわけではないが、あの過去が……」
だんっ!という鈍い音とともに、机の上の茶器が甲高い音をたてた。
皆の視線が音をたてた張本人に集まる。
「…僕の婚約について何を言おうと勝手だが、悪口が言いたいなら他所へ行け。彼は異魔神に運命を狂わされただけ……なんだ」
一瞬、議場が静まり返る。
何人かが不安そうに目配せをしあう中、一人紅茶を味わっていた宰相がのんびりと言った。
「つまり殿下はアラン様の方をより好ましく思っていらっしゃると? なるほどなるほど」
「な!? ちが……」
思わぬ攻撃にアステアはたじろいだ。
「ほお、そういことでございましたか」
「そのように庇いだてなさるのですからなぁ」
「いや、確かにあの方はなかなか良いお顔立ちをなされている」
その隙を逃さず口々に言い始めた他の家臣たちを眺めて、アステアは事態を悟った。
(はめられた……!)
間違いなく筆頭は宰相だろう。賛同者は議場内の家臣ほぼ全員。
いつまでたっても結婚相手を決めようとしない主君に業を煮やして、こんな回りくどい誘導尋問をしかけたのだ。
「……忠臣ばかりで涙が出てくるよ……っ!」
皮肉をこめてアステアは呟いた。
底光りする瞳で宰相を見据えたまま、物騒な決意を胸に秘めて。

「殿下、お行儀の悪い……」
ベッドに突っ伏したアステアを見てソフィーが言った。
「ソーフィーー。知ってて会議に行かせただろう……」
「何をおっしゃいます。最終決定権を持つアステア様がいらっしゃらなければ会議になりませんでしょうに」
ほほほ、と上品に笑って見せるがどこか白々しい。
「……別に、アルスやアランが嫌いだってわけじゃないけど、あんなやり方」
「はい、愚痴はそこまでですよ」
頭だけを動かしてぼんやりした顔の女官を見る。
「何をお考えですか?」
「……どうして分かったの」
「ただの勘ですけれど、私の勘も捨てたものではないようですね」
「まぁ、ソフィーには協力してもらうつもりだったからいいんだけど」
「できることでしたら、なんなりと」
「君にしか出来ないことだよ」
ソフィーの顔から笑みが消えて、その半分閉じられたような目が更に細くなった。
ベッドの上に起き上がった彼女の主人と視線が合う。
ソフィーはその足元に膝をつき、頭を垂れた。
「……お望みのままに」

三日後、ラダトームの城から主人の姿が消えた。
慌てる城の人間達に緘口令が敷かれたが、ある女官はこう語ったという。
「ルーラだとばれるから、こっそり逃げられたのですわ」


2005.1.3 加筆修正
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