+++ 幼年期の終わり 4+++

船頭に金を払い小さな船を降りて、足元の感触を確かめるように地面を踏みしめる。
久方ぶりの揺れない地面だ。
特に船酔いするたちではないが、やはり普段地面の上に生きるものとしては、始終揺れる海の上は落ち着かないものである。
安堵している自分に苦笑し、アランは街の入り口へと向かった。
早朝に漁を終えた漁船が岸壁にずらりと連なっているのを見て、さすがはアッサラームだとアランは素直に感嘆した。
これほどまでに規模の大きな港は殆どないだろう。
船だけではない。建物も多い―――獲れた魚介類の保存場所か、加工工場か何かだろうか?
当然ながら人の数も想像以上に多かった。
昔ゴルゴナに連れられて幾つかの町や国を見てきたし、単純に港の大きさという視点で見れば同じくらいの国はあったはずだが、取引量が一桁は違うのではないだろうか。
アッサラームは住民全員が商売人だともっぱらの噂だったが、案外本当なのかもしれない。
威勢良く声と値段が飛び交っているさまを横目で眺めていると、どうしてもそんなふうに感じてしまう。
アランの感覚からすれば「異様」な程の活気を見せる港市場で忙しそうに働く人々の間を器用にすり抜け、彼は門のそばまでやってきた。
「……?」
門の脇にある小さな建物、そのそばに一瞬、見覚えのある人影を見た気がした。
今ここにいるはずのない人が、自分に向かって手を振っていたような……?
気のせいだろう。あいつがまさかこんなところに―――
「遅かったね、アラン」
横合いからかけられたのは、笑いを含んだ涼やかな声。恐る恐る、首を動かす。
「3日も待ったんだよ?」
一月とちょっと前に地下世界に帰ったはずの―――
「驚いた?」
目の前でにっこりと笑うアステアを見て、アランは不覚にもあんぐりと口を開けたまま硬直してしまった。





幼年期の終わり

    アッサラーム
第四話:商人の街にて
〜再会〜




「……なんっで貴様がここにいるんだ!?」
「そりゃあもちろんルーラで待ち伏せを」
「そういうことじゃなくてだ!」
アランは語気も荒く詰め寄ったが、アステアはどこ吹く風と笑顔で受け流す。
門の前で騒いでいるため二人は非常に目立っていたが、どちらも気にしていなかった。
平気でギャラリーを無視できるという点で、確かに二人とも勇者である。意味合いは大分異なるが。
「ラダトームはどうした」
「そんなこと、君に関係あるのかい?」
「即位したんじゃないのか、お前」
「まだしてないよ。もうちょっと国が安定してから戴冠することになったんだ」
「ほう?」
アランの眉の片方がつりあがり、口元が微妙に歪んだ。
「それでは、国を安定させるべくお仕事をなさっていらっしゃるはずのアステア様は、一体このような所で何をなさっておいでなのでしょうか?」
それまで余裕の表情で、柳のようにアランの怒りを受け流していたアステアの顔がぎくりとこわばる。
どこか皮肉な笑みと抑揚のない敬語に、アステアの背筋は凍りついた。
どんな文句を言われようともアステアには聞き流す用意があったが、この底知れない怒りを秘めたアランの『敬語』は、心の底から恐怖を感じさせるものだった。
「ええっと……」
アランは無言で先を促す。そのまっすぐな視線は嘘を許さないだろう。
「………………」
落ちつかなげに視線を彷徨わせていたアステアは、何かを決意してアランの顔を見た。
「あのね」「何だ」
アステアは大きく深呼吸してから、言った。
「……君の旅にくっついていこうと思って」
アランはこの目の前にいる人間は本当に正気なのかと真剣に悩んだ。

「アランってさ」
サラダにフォークを突き刺しながらアステアが言った。
「結構真面目な人だよね」
「お前は意外にいいかげんだな」
半眼でにらみつけてくるアランから目をそらしつつ、アステアはサラダを口に運んだ。
いいかげん人の注目を集めていることに気付いた二人は、街の中にある一軒の食堂に場所を移していた。
先にこの街に来ていたアステアが見つけた店である。
料理も酒もうまいということで結構繁盛していて、今日もなかなかにぎわっている。
当然店内はかなり騒がしく、少々言い争いをしたところで誰も聞いてなどいないから、二人にとってはかなり都合が良かった。
「大体国を放り出してくる王がいるか」
「まだ違うって言っただろ」
「戴冠が決まってる以上、同じことだろうが!」
さすがに声を抑えてアランが言う。正論であった。
「ラダトームの政治家たちはみんな優秀だし信頼できる。裏向きの仕事専門の人間もいるし……大丈夫だよ」
とても責任ある立場の人間が言うことではない。アランは怒鳴りつけたいのをこらえ、ため息を吐いて首を振った。
「俺が聞きたいのはだ。お前が脱走してきた、その理由だ」
「……アラン、料理が冷めるよ」
「話を逸らすな」
「仕事に嫌気がさしてきたんだよ。ただの気分転換」
「そんな理由で俺が納得すると思うか?」
「納得するしないは君の勝手だけど、他に言い様がないからね」
アステアの表情に変化はない。
しかし、それは建前に過ぎない。その事が分からないほどアランは鈍くはなかった。
何よりアステアの性格からしてそんなことはあり得ない。
ごく短い付き合いだがそれくらいは分かる。
それに『仕事に嫌気がさして』投げ出す程度の人間が、仲間を求めて単身地上に出てくるなどということができるだろうか。
答えは否、だ。
勇者としての義務を果たす力のある人間が王族としての義務を放棄する理由など、アランには考えつかなかった。
事情を聞けば納得できたのかもしれないが、それは少なくともこれまでの彼の知識、経験から導き出せるものからかなり外れている。魔物の中にいた彼に『結婚』についての知識はあったものの、自身にとっては完全に無縁のものであったから。彼にその答えを導き出せというのは少し酷だろう。
アステアの理解不能な行動に答えを見いだせず、アランは首をかしげるしかなかった。
「……他に言うことは?」
「シチュー、冷めるとおいしくないから早く食べた方がいい」
もう少し突っ込んで聞くつもりだったのだが、アステアの言葉に議論の無駄を悟り、アランは少し話を変えることにした。
「アルスに何か言われてきたのか?」
「アルス? 別に彼は関係ないよ。確かにカーメンで君のことを聞いてここに来たけど……僕がここにいるのは、あくまでも自分の意志だ」
そこまで言って、アステアは不思議そうにアランを見た。
「彼が何か?」
「あいつもついて来るって言い張ったんだよ。あの馬鹿。……いや、実際について来なかっただけお前よりましだな」
「……僕が馬鹿だと言いたいわけ?」
「そうだ貴様は馬鹿だ。それも底なしの馬鹿」
むくれたアステアの顔を見てアランはひとしきり笑うと、ようやく料理に手をつけはじめた。
外見からは分からないようにしていたが、アステアはひどく緊張していた。
何のために? そんなもの、『逃げてきた理由』を知られたくないからに決まっている。
まさかその理由に自分が関わっているなどとは思いもよらず、アランは結局口を割らなかったアステアにそっと目をやった。
緊張を解いたアステアが小さなため息を吐いたのを、アランは気付かないふりをした。
代わりにもう一つの質問を投げかける。
「……そもそも何故俺の旅についてこようなんて考えた? お前の実力なら魔物や盗賊を恐れる必要も無い。一人で勝手にどこへでも行けばいいだろうが」
アステアは一瞬きょとんとした後、不思議そうにアランを見た。
「そんなの、連れがいた方が楽しいからに決まってるじゃないか」
「……あのな」
「本当だよ。僕は誰かと一緒に旅をしたことって、あまりなかったし……」
嬉しそうに微笑むアステアに、アランは少し面食らった。
思わず食事の手を休めて彼女の顔を見つめる。
「……前に、仲間と一緒に地上に出てきたんじゃなかったのかよ?」
「僕のことをアステア様、って呼ぶ人を『仲間』とは呼べないよ……」
少し寂しそうな表情でアステアは呟いた。
なるほどそれは仲間とは言えない。自分と相手との間に主従という名の見えない壁がある状態では。その場合、こちらが歩み寄ろうとしても必ず相手のほうが引いてしまうのだ。
「アルスや君達と一緒に行動したけど、あれを『旅』とはお世辞にも言えなかったし」
「まぁ……確かにそれはそうだが」
「だから」
アステアは再びアランに微笑みかけた。
「僕は仲間と……君と一緒に旅をしてみたいと思った。それはおかしな事なのかな?」
嘘、だとは思えなかった。けれどそれが理由の全てではないだろうとも思った。
ただ―――彼女の本心からの言葉は、その笑顔と共に、彼の心に静かにゆっくりと溶けていった。

勝ったのはアステアの方だった。
単についてこられたくないだけの人間と、絶対についていくと決めている二人の人間がいれば、より強い意志を持った後者の方が勝つに決まっている。
首尾よくアランから「勝手にしろ」という言葉を引き出したアステアは、上機嫌で食事を終え、不機嫌そうにシチューを口に運ぶアランを眺めていた。
ちょうどアランが食べ終えようという頃、突然店の入り口が騒がしくなった。
誰かが騒いだり暴れたりしている、というのではない。
わき上がっていたのは感嘆の声だ。それも主に女性のものである。
興味を引かれてアステアはアランの向こうの入り口を見た。
「あ」
彼女の視線の先に、一人の男が立っていた。
年の頃は20代の半ばか後半くらい。漆黒の髪と瞳、妍麗な顔立ちの長身の男である。
整った鼻梁と切れ長の目、一文字に引き結ばれた唇、そして引き締まったバランスのとれた体格。
およそ女性の求める理想の男性とはこういう男のことをいうのではないかと思うくらい、見事に何もかも揃いすぎた感がある。
その男は店内をぐるりと眺め渡し、ある箇所で視線を止めた。
目が合ったアステアは驚いたような表情を浮かべ、こちらにやって来ようとしている男に向かって声をかけた。
「早かったですね、ハーベイさん」

アッサラームには商人ギルドの本部が存在する。
商人ギルドというのは、基本的に商人の互助組合のようなものだと考えればいい。
だがもちろんそれだけではない。
商人というのは、儲け話を見逃さず実行するだけの行動力と、そのための情報収集を怠りなくする忍耐力と我慢強さ、そして集めた情報について即座に判断できる頭の回転の速さを必要とされる。
ゆえに商人の情報は非常に素早く豊富、かつ正確であり、ともすれば盗賊ギルドの持つ情報にも匹敵するとまで言われているのだ。
経済と情報を支配している商人ギルドこそ地上世界を仕切る影の支配者だ、という噂もあるが、あながち間違っているとも言えまい。
少なくともアッサラームにおいては、商人ギルドの元締めは行政長より強い。
「で、その元締めが俺達に会いたいって?」
「うん。ここに到着するなり使者の人……つまりハーベイさんが来てね。その場で会いに行ってもよかったんだけど、僕は君と合流するつもりだったし、多分相手のほうも君に会いたがるんじゃないかと思って後にしてもらったんだ。二度手間になるしね」
言ってアステアは前を歩くハーベイを見上げた。
「でも、こんなにすぐにあなたが来られるとは思ってもみませんでした。僕がアランに会ったのは本当についさっきなのに」
「商人ギルドの情報網を侮ってもらっては困りますね」
笑いを含んだ声で彼は言った。
完璧な美貌というのは彼の容姿のことを指すのだろう。道行く人のほぼ全員が振り返って彼を見ていく。
アランは最初彼を見たとき役者かと思ったのだが、それにしては声をかけてくるものがない。
アッサラーム商人ギルドの幹部だと知って意外に思ったものだ。彼を一目見て商人だと判断できる者はまずいないだろう。
聞いてみると、「確かに毎日のように誘われて少々辟易しておりますが……」と苦笑とともに答えが返ってきた。私を必要とされている方がおりますので。
人の目を引くということに関してはアステアもたいしたものである。
もっとも彼女に視線を送ってくるのは大抵が女性だったが。
二人の容貌には明らかな違いがある。アステアの中世的な美しさに対し、ハーベイは確かに「美しい」という形容詞が似合うのに、男性的な力強い印象をも与えるのだ。
またアランも二人には及ばないまでも、十分鑑賞に堪えうる容姿をしている。
ただしアステアやハーベイとは方向性が違う。
むしろ「凛々しい」とか「精悍」といった言葉がしっくりくるタイプだ。
本人は自分の容姿などには無頓着なため全く気付いていなかったが、その近寄りがたい雰囲気とあいまって、カーメンでは結構人気があった。
周囲の人々の視線を浴びつつ、三人は商人ギルド本部に到着した。
とある劇場のすぐ隣に建つ大きな建物である。
つくりはいたってシンプルな二階建てだ。入り口には商人ギルド本部を示す看板が掲げられている。
「昔はギルドそのものが劇場内にあったらしいんですが」
ハーベイは二人を招き入れ、応接間に通した。
「しばらくお待ちください。すぐ元締めをお呼びしますので」
一礼して、彼は入ってきた入り口とは別のドアから出ていった。恐らく元締めの部屋とつながっているのだろう。
「元締めって、どんな人だと思う?」
「さあな。これだけ巨大な街の商人全員……いや全国の商人を束ねてるんだろ? 只者じゃないとは思うが」
「あら、“ただもの”ですわよ」
ハーベイが消えた扉の向こうから柔らかな女性の声がした。
「ご大層な肩書きを背負う羽目になっただけの女にすぎませんわ」
声とともに、一人の女性が応接間に姿を見せた。
茶色の髪を肩のあたりで揃え、理想的な起伏を描く体の線がはっきりと出る服の上に上半身が隠れる薄い上着をまとっている。大きな瞳が印象的な美人だ。口もとは常に穏やかな笑みを湛えている。
「はじめまして、お二方。私はアッサラーム商人ギルド元締め、ヴァネッサと申します。名高い勇者のお二人にお会いできて光栄に存じます」
優雅に一礼したヴァネッサを、二人は驚きをもって見つめた。
年齢はハーベイと同じくらいだろうか。『元締め』などというくらいだから、どちらも中年以上の男性を想像していたのだ。
ようやく我に返ったアステアは慌てて挨拶を返した。
「あ……こちらこそ。僕はラダトームのアステア、こちらはアランです」
「存じ上げております。ようこそ、アッサラームへ」
商人ギルドのボスは、営業用のこぼれるような笑みを浮かべた。
(……ぜったい只者じゃない)
勇者二人は同時に同じ感想を抱いた。

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