+++ 幼年期の終わり 5+++

こんなのあたしじゃない。



「わざわざお呼び立てして申し訳ありません。アステア様がこちらにいらっしゃると聞いて、是非ともお会いしたいと思っておりました」
「アステアでいいです、ヴァネッサさん」
「ではお言葉に甘えさせていただきますわ」
アランは口を出さない。言外にお前が相手をしろと言っている。元々呼ばれていたのはアステアだけなのだから、自分が口を挟む必要はないと判断したようだ。
アステアも無理に話をさせようとは思わなかった。人には向き不向きがあるものだ。
二人が世間話に興じていると、ハーベイが茶器を持って部屋に入ってきた。
慣れた手つきで準備をし、カップに茶を注ぐ。ふわりと良い香りが室内に漂いはじめた。
彼のいかにも“貴公子”な外見からは想像しにくい特技に、アステアはちょっと目を見張った。
「ハーベイさんがお茶を……」
「意外、ですか?」
「はい。失礼ながら。でも……すごく絵になりますね」
ハーベイはおかしそうに笑った。
「よく言われますよ」
「幹部がお茶くみする所なんて、ここくらいじゃないかしら?」
「だれかさんのせいでね」
元締めは笑顔で今のせりふを聞き流した。
アランは黙って二人の会話を聞くともなしに聞いていたが、すこし視線を動かした時、元締めの執務室(らしき部屋)の入り口に人がいることに気がついた。。
妙に少女趣味なひらひらした青い服を着た娘が、じっと一点を見つめている。
睨みつけるようなその目が気になって、あれは誰なのかと聞こうとした時、ヴァネッサ達も少女に気がついた。
「あら、ミア。ちょうどよかったわ、ご挨拶なさい」
「ミア、さん?」
「私の妹よ。……何してるの、早くいらっしゃいな」
少女……ミアはためらうようなしぐさを見せたが、結局ひとり立っていたハーベイに促されて部屋に足を踏み入れた。
現れたのは金髪碧眼の美少女だった。年は恐らく10歳をすぎたあたり、大きな目を長いまつげが縁取り、ちいさな鼻は高く、赤い唇がとても愛らしい。そのこづくりな顔をゆるく波打った金髪がふちどり、肩を越えるあたりまで流れている。レースをふんだんに使った、瞳と同じ色のドレスがとてもよく似合っていた。
きっと声も可愛らしいことだろう。
(でもあんまり元締めとは似ていない……どっちも片親似なのかな)
アステアがのんびりとそんなことを考えていると、ミアは囁くような声で何事かを呟き作法通りの礼をしてみせ……直後、いきなりヴァネッサをつきとばした。
「ヴァネッサ!」
ハーベイが叫ぶと同時に、小さくうめいてヴァネッサが床に倒れる。
彼女の行動はそれだけにとどまらなかった。
机の上の茶器をなぎ払い、中身をぶちまける。当然のことながら陶器製のカップやポットは床に叩きつけられた衝撃で派手な音をたてて割れ、周囲に破片と茶色の液体を飛び散らせた。
「ミア!!」
ヴァネッサは身を起こして叫んだが、声に力が無い。どこか打ったのか、少し身動きするだけでかなり苦しそうに表情が歪む。
姉と妹を迷ったように見比べていたハーベイは、結局ヴァネッサを助け起こした。
その様子に一瞥をくれて、ミアはふんと鼻を鳴らす。
勇者二人はすでに立ち上がっている。
アステアは全く悪びれた様子のないミアをぽかんと見つめていた。しかしすぐに我に返り、じっとヴァネッサを見つめたままのミアに近づいた。
「あの、君……」
ミアの目がアステアを向く。年齢にそぐわない、強い視線だ。
子どもとは思えないその目つきに一瞬戸惑った……ほんのわずかな隙。
ミアはアステアに向かって体当たりした。
倒れこそしなかったものの、少女の全体重をまともに受けてアステアはバランスを崩す。
体当たりすると同時に体勢を立て直していたミアは、今度はアランに向かって突進した。
「……なめてんのか」
怒るというよりむしろ呆れたような声音でアランが呟く。
難なく少女の突撃をかわした……そう、突撃はかわしたのだ。
こんな『お嬢さま』に、すれ違いざまにあんな『攻撃』をされるなどと、誰が思うだろうか。
「なめてるにきまってんじゃない。大人なんてチョロイもんさ。のろまで間抜けで」
どこぞの深窓のお嬢さま風の外見からは想像もつかない、粗野な口調。
確かに声は可愛らしい。人を馬鹿にするような響きさえなければ。
「これまででいちばん簡単だったわよ、オニイサン」
ミアの手には、それなりに重そうな皮の財布が乗っていた。
彼女がスったのだ、と理解した時にはすでに、ミアは身を翻していた。

「あンのガキ……」
すぐに追おうとしたアランをアステアは押し止めようとした。
「アラン! あんまり手荒なことは……」
「とっつかまえるだけだ!」
アステアの言葉をさえぎって言い捨てると、アランはすごい速さで駆けていった。
……追いかけようとして逡巡する。
残るべきか、追うべきか…………迷っているうちに二人はすぐに姿を消すだろう。
彼女は決断を下した。
「すぐ戻ります!」
部屋の二人に叫んで、アステアは駆け出した。
アランの姿はまだ見えている。足の速さには自信があるのだ、きっとすぐに追いつける。
アステアはアランを信頼していたが、彼の『常識』はあまり信頼していない。
とっつかまえるだけ、と彼は言った。だがどうしても力加減を誤るのではないかという不安が残るのだ。
冷静沈着に見えて、意外と激しやすいこともさっき分かった。侮辱を看過できないのかもしれない。
それに。
(……勇者が幼女を追いかける図、ってかなり危険だと思う……)
ちょっとシャレにならない事を考えながらも、アステアは何とかアランに追いついた。
すぐ目の前に、金色の髪と青いドレス。
アステアの右側から白い腕がのびて、少女の細い腕を掴んだ。
「……っ! 待っ……」
制止は間に合わなかった。
手首を掴まれたミアが足をもつれさせてバランスを崩す。
アランは少し力をいれて、地面に向かって手を振り下ろすだけでよかった。
……ミアの手首を捕らえた手を。
ミアは勢いのまま地面に叩きつけられた。
悲鳴はなく、かふっ、と唇から空気が漏れて、倒れた少女は苦痛に耐えるように体を縮めた。
アステアが慌てて駆け寄る。
悲鳴一つあげずに痛みに耐えるミアを、アランはただ静かに見下ろしていた。
「アラン、やりすぎだよ! 君の力で攻撃されたらこんな小さな子、ひとたまりもないよ!」
「ちゃんと手加減はした」
文句は言うな、とばかりにアステアをじろりと睨みつける。
「打ち身と捻挫程度ですむだろう」
「怪我をさせないで止めることだってできたはずだ」
アランは肩をすくめただけで何も言わなかった。

「あーあ、まだ本題に入ってさえいなかったのに、ミアったら」
「どうしたのでしょうね、いきなり」
「理由は分かるわよ。また甘ったれたこと言ってるんでしょ」
「……仕方ないのでは?」
「何が? 私に引き取られたことが? あの子が前に何をしてたかってことが?」
「あの子はまだ幼い」
「そうよ、まだガキなのよ……なのに、自分は一人前のつもり。矛盾した思いを抱いたままのくせに」
よっこらせ、と妙に年寄り臭いかけ声をかけて、ヴァネッサは起き上がった。
「いたたたたっ! うー辛い……ちゃんと支えててよ」
「根性のある腰痛ですね」
「ほとんど遺伝なんじゃないのこれ? 肩こりと腰痛が遺伝するかどうかは謎だけど……ああ、掃除の人を呼んで」
「破片くらいは私が片付けます」
ゆっくりソファに座りなおして、元締めは大きく息を吐いた。
手際よく片付けられていく陶器の破片を見つめて小さく呟く。
「頭がいいのは認めるけど、小賢しいのは我慢がならないわ。それに思い切りが足らない」
聞きとがめて、ハーベイが首をかしげた。
「ミアのことですか?」
「そうよ、あの子知ってて腰を突いたのよ。……どうせ暴れるなら刃物を持ってくるぐらいのことをすればいい。そうしたら……認めてあげてもいいわ」
「恐ろしいことを言われる」
綺麗な顔がひんやりと笑みを浮かべた。
「……ヴァネッサ。そのようなことをされては困るのですが」
「心配しなくても私は長生きするわよ、ハーベイ」
自信に満ちた声音は、商人ギルドという巨大な組織を束ねる元締めのもの。
ハーベイは表情を緩ませて頷いた。
「そうですね。間違いなく」
「あなたにそうきっぱり言われると腹が立つわ」
「気のせいです。ところで何故あの方々を呼ばれたのです? 本題と言っておられましたが、私は何も聞いておりません」
元締めの心底嬉しそうな満面の笑顔を向けられたハーベイは、その異様なきらめきを湛えた瞳を見て嫌な予感を感じた。
「演劇よ!」
「…………は?」
「劇に役者として出ていただくのよ!」
ハーベイの目が点になった。
「あなたほどじゃないけど二人とも結構顔いいし、舞台栄えすると思うのよねぇ〜♪ アステアさんには『アッサラームのヒーロー』の主役、やってもらいたいわ〜。うふふふ……勇者二人が出るとなれば宣伝効果も抜群! 財政も潤うってもんよ!」
さっきまで保っていた知的な美人の皮がきれいに剥がれ落ちている。
「ヴァネッサ」
これ以上ないというくらい低く冷たい声に、浮かれる元締めはぴたりと騒ぐのをやめた。
やや気まずそうに傍らの幹部を見上げる。
「……冗談よ。本当の本題は前に話してたアレよ」
「それならよろしいのですが。……では迎えに行ってまいります」

ミアを抱き上げて連れて行こうとしたが、暴れるのでラリホーをかけて眠らせてから運ぶ羽目になった。
「下手にひとさらいとか叫ばれるよりはいいだろう」
「……でもこんな子どもを担いで歩いてたら、それこそ犯罪者に見られても仕方ないよ……?」
黙り込んでしまった二人を救ったのは、迎えに来たハーベイだった。
彼は眠ったミアを抱き上げると、二人に向き直って深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。お二方にはご迷惑を……」
「いえ、あの、こちらこそ、怪我をさせてしまって」
「自業自得だ。回復呪文をかけてやる必要もない」
「アラン!」
ハーベイは妙に諦めたような苦笑を浮かべた。
「分かっています。罪には罰が必要です。それに、手首を痛めていては得意のスリもできないでしょう」
「……得意の……?」
訝しげなアステアの呟きを聞いて、ハーベイが顔を向ける。
苦笑は消えて、真剣な表情がそこにはあった。
「アステアさん。あなたはこの子と元締めを見て、どう思われましたか?」
「……?」
質問の意味をつかめず目だけで問い掛けたが、「最初の印象でいいんです」と言われ、ある事に思い至った。
「姉妹にしては似ていない……と。……まさか」
「……血が繋がっていることは間違いありません。彼女達は腹違いの姉妹です。しかし……」
ハーベイは一旦言葉を切った。
「どのような事情があったかは、私は知りません。ミアは元締めと共に育ったわけではなく、去年こちらに引き取られたばかりなのです」
ハーベイは腕の中の少女を見下ろした。
呪文によって眠らされた邪気のない顔は、まだ幼い。
「この子は、悪所にいました。そこで仲間と組んで、スリをやって生活していたのです」
アランが金髪の娘にちらりと目をやり、すぐに逸らした。

アステア達がギルド本部に戻ると、元締めが出迎えてくれた。
ハーベイはミアをどこかの部屋に運んでいった。
「妹が申し訳ありません」
頭を下げる元締めは、少し身体を扱いかねているように見える。
さっきのことでどこか痛めたのかとアステアが問うと、単なる持病だからと笑って返され、今度は別の応接室に通された。
彼女は改めて丁寧な謝罪の言葉を述べ、迷惑でなければ客人として遇させていただきたいと申し出た。
元より断る理由もない。別に構わないよねとアステアは隣に座るアランに確認しようとしたが、そこに彼の姿はなく、扉を開けて部屋から出ようとしていた。
「あれ? アラン……どこへ」
「別に。俺はここにいても役にたたんからな、外に出ている」
「ちょっと……」
止める間もなく、アランはさっさと部屋から出てしまった。
残されたアステアとヴァネッサは顔を見合わせた。
「……つまらん話なんかつきあっていられないということかな?」
「政治的な話は面倒だと思われたのかもしれませんわね」
アステアははっとして元締めを見た。
ミアの姉の顔ではなく、商人ギルドの元締めの顔。
「お話があります。ラダトーム王女、勇者アステア様」

部屋を出たアランは、ある小さな部屋にいた。
小さな、とはいえギルド本部内の部屋である。他の部屋と比べて小さいというだけで、ベッドを三つくらい並べてもなお余裕がある程度には大きい。
そこは本部の建物の二階、階段を上りきって二つ目ドアの部屋にあたる。
明るい色調の壁紙、レースのカーテン、棚に置かれた本やたくさんの人形。「あけるな!」と書かれた小さな箱。
子どもの部屋か、と小さく呟く。苦い記憶と皮肉をこめて。
机の方に歩みよると、その上には何かの演劇の宣伝ポスターが何枚か散らばっている。
一枚を手にとろうとした時、隣の部屋に繋がる扉が開いた。
現れたのはハーベイだ。
「……目を覚ましました。どうぞ」
アランが室内に足を踏み入れると、ビュンと音をたてて枕が飛んできた。
「つまらん抵抗だな」
あっさりそれを払い落としたアランを、ミアはじっと睨みつけた。


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