+++ 幼年期の終わり 6 +++

「あたしに何の用」
「さあ、何だろうな?」
「ふざけんな」
ベッドから身を起こしたミアは、敵意に満ちた目でアランをにらみつける。まるで毛を逆立てた猫のようだ。
「……そこは開けておいてくれ」
「はい」
アランは一言ハーベイに声をかけてからベッドに近づいた。
「……よるな」
「近づかなければ話ができん」
「あんたに話すことなんてない」
「貴様になくても俺にはある。貴様の意見など聞いてはいない」
「はっ、もしかしてあたしに財布をスられたことを根にもってんの? 意外に心せまいん……」
アランの顔を見たミアの言葉がとぎれた。
彼が何かしたわけではない。ただ、真横に立って見下ろしただけだ。
レイアムランドの氷より鋭く冷ややかなアイスブルーの瞳が、ミアの熱を冷まさせた。
(何……こいつ……)
応接間では簡単に接近できた。いかにもお嬢さま然としたミアを頭からなめてかかってくれたから、それは当然でもある。
とはいえ今は何故、こんなにも恐ろしい?
(あたし、こいつを怖いと思ってる)
それはミアにとって屈辱的な事だった。
かつていた環境の賜物か、年齢以上に頭も口も回る彼女にとっては。
(何で? こいつは……勇者とかいう奴なんだろ? 強くて当然だけど、何でこんな……まるで……)
「どうした」
ミアははっとして目を逸らした。
何でもないと口の中でもごもごと呟き、それから目だけを動かして突っ立ったままのアランを見た。
「……座ったら」
「話をする気にはなったようだな」
(あれ?)
アランが少し唇の端を上げて笑うと、ミアの中にわだかまる恐怖感が薄れていった。
さっきまでのは一体何だったのかと内心首を傾げるが、答えは出なかった。
「それで? スラム生まれのかわいそーなオンナノコに何を言いにきた?」
「少なくともお前の不幸自慢を聞きにきたわけじゃない」
バカにされた気がして、ミアはむっとした。
「馬鹿なことをしたな」
「やっぱり根に持ってるんじゃない」
「嫌な事があるなら言えばいい。少なくともお前の姉は話のわからん女ではないはずだ」
ミアの顔が怒りのためか真っ赤になった。
「うっるさい!! あいつのことは言うな!!」
アランに噛み付くように叫んだミアに怯むことなく、彼は言った。
「姉が嫌いか。それは何故だ」
「あたしは……あたしはこんな所に来たくなかった!」
「答えになっていない」
ミアはどこまでも冷静なアランを苛立たしそうに睨みつけた。
「こんなお上品なのはあたしじゃない、なのに、ヴァネッサはあたしにこんな服を着せて、勉強しろって言って……」
アランは無言で先を促す。
「……あいつはあたしのことを厄介者だと思ってる! 自分がギルドの長だから……こんな、スリの妹なんていちゃいけないって! だからこんないかにもオジョーサマな格好をさせて……っ!」
「…………」
ミアはぎりっと唇を噛む。それは悔しさゆえか、憎しみゆえなのか。
血が滲み出そうなくらい強く噛みしめた唇は真っ白になっている。
それに、じわっ……と血の色が戻った。
『毛を逆立てた猫』の印象は変わらないが、少し落ち着きを取り戻したらしい。
「―――あいつは嫌いだ。これが理由」
「そうか」
あまりにもあっさりしすぎているアランの相槌に、ミアは面食らって彼の顔を見つめたが、そこにあったのはやはり愛想のない顔だった。
ここへきてやっと、何故アランが自分の所へ来たのか疑問に思った。
赤い髪の方がヴァネッサに呼ばれて来たことは確かだ。
この男はその連れ。
ミアに用があるとしたら、さっきのことで叱りつけに来たとしか考えられないのだが、そんな理由で来たわけではないらしい。
「……あんた、何しにココへ来たの?」
「さあな」
「さあなって……」
「強いて言うなら……説得? いや違うな……忠告、か?」
「あたしに忠告?」
「俺にもよく分からないんだよ」
アランは本当に困惑しているらしい。唸るように言った。
「お前と話をする必要がある……そんな気がしただけだ。ただのカン、と言っていいかもしれん」
「ただのカンで、わざわざスリの小娘んとこまで来るわけ?」
「自分がガキだと分かっているならいい」
じろりとミアを睨みつける。
「あの程度で許したのは、お前がガキだったからだ」
「コレで……?」
手首の包帯を指し示すミア。じょーだんでしょ、と目が語っている。
「普通だったら骨の2、3本も折っている」
「……あんた、勇者なんじゃなかったっけ」
思わず呟くと相手はさらりとこう返してきた。
「『ほんもの』は別にいるからな」
「勇者アルス? じゃああんた、にせものなの?」
「さて……どうだろうな」
抑揚のない声だった。
何かが変わった……そんな気がして、ミアは再びアランに恐怖を感じた。
本当は、恐怖とは違うのかもしれない。
しかしミアには他に表現するすべがなかった。
体中の産毛が逆立つほどの危険な気配。
スラムにいた時でさえ、こんな気配を持つ人間はいなかったのに。
じゃあ何なの、とは聞けなかった。
聞いても答えは返ってこない。なんとなくそれが分かった。
危険な気配はすぐに消えた。波が引くように薄れていく。
「お前は」
「え?」
「お前は……ここにいるお前はにせものなのか?」
それは―――さっきの言葉を受けた質問だった。
ごく普通に話の流れから来た問いかけの『はず』である。……それを発したのがアランでなければ。
(俺が聞いていい質問じゃねぇな……)
ミアの返答を待ちながらアランは自嘲した。
(『ここにいる俺が本物か』なんて……自分でも分かっちゃいないってのによ。それこそ……俺の知りたいこと……)
しばしの沈黙の後―――ミアが、ぽつりと呟いた。
「ここは、あたしのいるべき場所じゃないんだ」
アランは僅かに目を見開いた。
そう……誰かが同じ事を考えなかったか?
「あそこに帰りたい。こんなとこにいたって……辛いだけ」
「あそこ?」
「スリなかまのいたとこ。スラム。皆あたしみたいな子どもばっかりで」
「昔のみじめな暮らしに戻りたいのか」
ミアはきりっと眉を吊り上げたが、すぐに元の表情に戻った。
「みじめ……そうだ、みじめだったよ。町の中心に住んでる、親に守られてる子どもを見てると……ちゃんとした服を着て、毎日ごはんが食べられて……」
はあ、とため息をつく。
「でもあたしにはなかまがいた。生きていくためにいっしょに『仕事』をするやつらがいた。……苦しかったけど、楽しかった」
「子どもが集団でスリを……?」
「そうさ。大人だって組んでやるんだ。子どもはすばやいけど、身体は小さいし力もない。皆でやらないと稼ぎなんて上がらない。それもほとんど持っていかれるし……」
「持っていかれる?」
知らないのか、とでも言うようにミアは目を見張った。
「『仕事場』にはナワバリがあって、そこを牛耳ってるやつに稼ぎの6割を上納するんだ。胸くそ悪いヤツだったよ」
「それでも、お前はそこに戻りたいのか?」
「…………」
「無意味だな。ガキだって証拠だ」
言い返そうとしたミアを制して、アランは続けた。
「戻ったところで、お前の居場所などない」
「何を! 何で、そんなことがあんたに分かるんだよ!!」
「お前が商人ギルド元締めの妹だからだ」
「そんなことは関係ない!」
「本当にそう言い切れるか? お前の元仲間は……お前の素性を知ったのだろう?」
「!」
今にもアランに飛び掛りそうだったミアが、不意に脱力した。
「お前の本意でなかったとはいえ、引き取られた以上はここの子どもだ。金持ちになった奴が何の用だと……追い返されるか、無視されるだけだ」
むしろみぐるみ剥がされる可能性のほうが高いかもなと思いつつも口には出さず、アランはただ淡々と述べる。
ミアはベッドの上で呆然と座り込んでいた。
「本当にここにいることが辛いのか? 俺からすれば、それはただのわがままだ。何もかも与えられて、喰うに困らない生活ができて、何が不満だ? スラムで暮らしていたというなら分かるはずだ……それがどれだけ重要なことか、どれだけ恵まれていることか」
「だって……だって……」
「お前は姉が嫌いだと言った。自分に干渉してくるからと。だが、どこの子だろうと同じだぜ……親の庇護を受けるということは、干渉されることとほぼ同義だからな」
11歳の子どもには難しい言い方だった。
それでもミアは、アランの言わんとする所を正確に把握していた。
泣きそうな顔でアランを見る。
「何故利用しようとしない。好き嫌いなど考えるな。お前は今恵まれた立場にある」
「だって……」
「何だ」
「あたしは……スリとか、かっぱらいとか、してたんだもん。こんなとこにいて良いわけがない!」
初めて―――ミアの目から涙がこぼれた。
年相応の泣き顔になる。その悩みは子どもが持っていていいものではないにしても。
(自分を許せなかった、ってとこか……)
だから全ての好意を拒絶した。自分がそれを受け取るに値しない人間だと思い込んでいるから―――
(スラムにいたってのに意外とまともに育ったもんだな。少々真面目すぎるくらいだが)
自分の所に飛び込んできた幸運を、何も考えず素直に受け取ることができていたなら。
この子どもは賢い。だからこそ悩む羽目になったのだとしたら、何と皮肉なことだろう。
「ヴァネッサはお前を引き取ったんだ。堂々とここにいればいい」
「でも。ヴァネッサは……あたしのこと、嫌いなはずだ」
「お前は?」
手の甲で涙をこすり、鼻をすするミア。
「…………わからない」
アランはからかうように言った。
「自分のことも分からん奴に、他人の心の内が分かるってのか?」
「…………」
「もう一度聞くぜ。ここにいるお前は、にせものか?」
「……あたしはあたしよ。ほんものもにせものもない」
「なら、どこにいたってお前はお前だろう」
ミアはうつむいてアランの言葉を聞いている。
「嫌いならそもそも引き取ろうなんて考えねぇよ。それは間違いない。それに……」
単なる勘だがな、と前置きして言った。
「その服、多分、お前の姉の趣味だ」
金髪に青い目、それに、アランから見てもとびきりの美少女。
ひらひらした可愛らしいドレスは、どう見ても彼女のため「だけ」に誂えられたとしか思えない。
どこか沈痛な表情のアランと、ぽかんと口を開けたミアの視線がかち合う。
なんともいえない沈黙が降りた後―――弾けるような少女の笑い声がギルド中に響いた。

(笑った……なら、大丈夫か……)
いまだ笑い転げるミアを見ながらアランは思った。
(別に、このガキがどうなろうと俺の知ったことではないはず、なのに)
不思議と安堵している自分がそこにいた。
自分のようにならずにすむと。
(……俺のように?)
―――そう、俺のように。
アランははっとして自分の両手を見つめた。
かつて人の血にまみれたその手……幻のように浮かぶ血のりは消えない。
それは確かに目の錯覚であるはずなのに、時折現れては彼に罪を意識させる。
(分かってる。過去の事とはいえ、罪は罪だ……だが俺は、父と母に許されたんじゃなかったのか? 俺は勇者アランになって……なのにどうしてこんなものが見える!?)
―――分かってるんだろう。
アランは力を込めてぎゅっと手を握り締めた。
そう、分かっていたのだ。認めたくなかっただけで。
……アランは自分で自分を許していない。ミアよりももっと深刻な理由ゆえに……。
(子どもの人生相談なんて……やってる場合じゃないのによ)
やっと笑いやんだミアに目を向ける。
自分に比べれば、全くと言っていいほど罪のない子ども。
彼の内に在る彼が笑った。
アランはそれを認めた。

不思議そうにアランの顔を覗き込むミアに、ほんの少し笑いかけてやった。
珍しく、アランの表情が柔らかくほどけた瞬間だった。

NEXT≫