+++ 幼年期の終わり 7 +++

ハーベイに案内されたのは、ギルド本部と背中合わせで隣接した別の建物だった。
「本部は基本的に仕事場ですから。元締めはあちらに住んでおられますが、さすがに客人のためのお部屋を用意できるほど広くはありませんので…………こちらです」
通された部屋はさすが商人ギルドというべきか、立派なものである。
アランはゆったりと部屋を眺め、腰の剣を机の上に放り出す。
「アステアはまだあっちにいるのか?」
「はい、話が弾んでおられるようですね」
「そうか……」
「いましばらく時間はかかるでしょう。よろしければ、それまで私がお相手させていただきますが?」
アランは首を横に振った。
「いや、いい。あんたも仕事があるだろう。俺はここで休ませてもらうさ」
「分かりました。奥の部屋に人がおりますので、御用がありましたらなんなりとお申し付けください。それと……」
ハーベイはそこで一度言葉を切り、アランを正面から見つめた。
「……ありがとうございました」
「…………」
アランは無言で背を向ける。
その後姿に丁寧に頭を下げてハーベイは出ていった。
ぱたん、と扉の閉まる音とともに短く吐き出された吐息。ため息にも、自分を嘲っているかのようにも聞こえる。
「この俺が、礼を言われるとはな……」
別に悪い気はしない。ただ、不思議なだけだ。
アランはミアに忠告しただけだ。このままでは何も変わらないと。
忠告を受けてミアがどう思おうがそれは彼女の勝手であり、更に本音を言うならそれからミアがどうなろうと、彼にとってはどうでもいいことだったのだ。
どことなく自分に近い気がした。だから、無責任な立場から何も期待せず口出ししただけ。
「……それだけだ」
何かを振り払うように首を大きく振って、アランは机の上に放り出された剣を再び手に取った。
鞘から抜く瞬間に涼やかな音がアランの耳をくすぐる。
抜き身の剣が、窓からの斜光をはじいて鈍く輝いた。
やわらかく光をはじく刀身は、鈍くつめたく輝く鉄とは明らかに違うオリハルコンの色。
ロトの剣―――。
「持ってくる気はなかったのにな」
しかし手の中にあるのは紛れもないロトの剣、無二の宝剣である。
わずかにすり減った握り、ロトの紋章を意匠化した鍔の精緻な細工、ルーンの刻まれた幅広の刀身、ずしりとした重み……全てが彼の記憶と一致する。
「全部、あいつの所に置いてくるつもりだったってのに」
いつの間にか背に負っていた。
気がついたときは随分慌てたし、返しに行こうかとも思ったが、いまさらカーメンに戻りたくはなかった。
これは俺の弱さだろうか……アランは自問する。
身を守る術なら呪文だってあるし、格闘にも自信がある。カーメンにはそれなりに良い剣があったし、それでも良かったはずなのだ。もちろんロトの剣ほど名のある剣は見つからなかったが。
無意識にこの剣に頼っていたのだろうか? それとも―――
不意にある考えがアランの脳裏に浮かび、しかしすぐに打ち消された。
(そんなはずはない、そんなはずは……この俺に限って!)
―――「そう」だとしたら、自分の弱さや甘さを認めることになるからな?
アランは剣を構え、大きく一振りした。
よく手に馴染んだそれは、アランの思うとおりに光の軌跡を描く。
「……違う、はずだ」
ロトの剣を正面に掲げ、刀身に映った自分を見る。
剣の中のアランは、何も答えなかった。

アステアは、商人の顔で自分を見つめるヴァネッサを見つめ返した。
商人ギルドの元締めが自分を招いた時点で、何らかの取引を求めているのだろうと想像はついていた。
今はただのアステアとしてでも勇者としてでもなく、ラダトームの首長として相対しなければならない。
アステアは自分の思考を政治に切り替えて、商人ギルドの元締めと向かい合った。
「話というのは?」
「アステア様は、今の世界の状況をどう思われますか」
質問する形で切り出したヴァネッサに、アステアはわずかに首を傾げて応えた。
「……まだ混乱していますね。無理もない、異魔神が倒れてまだ二月も経っていません。僕は数日前に地上に戻ったばかりですから詳しい状況は分かりませんが、アレフガルドよりこちらの方が大変だとは理解しています。以前とほぼ同じ状態でという意味での完全な復興を求めるなら…………10年単位の時間がかかるでしょうね」
ヴァネッサは頷いた。
「ええ、我々も同様の認識をしております。ですが……その時間を縮めることは可能だと思われませんか?」
アステアは驚きに目を見開いた。
「それは……できるのなら、願ってもないことですが」
「できます」
ヴァネッサは自信に満ちた声音できっぱりと言い切った。
「あなた方のご協力があれば、必ず」
「……伺いましょう」
「ありがとうございます」
ヴァネッサは丁寧に頭を下げた後、一片の隙もない営業用の笑顔を浮かべた。
「我々は商人、損になることはしない主義です。できない、と言い換えてもいいですね。アステア様、我々商人ギルドはラダトームとの対等の取引を求めます。了承していただけますか?」
妙に意味深な、凄みの籠もった微笑みのヴァネッサを見て、もしかして試されているのかなとアステアは思った。
商人ギルドの力は侮れない。ギルド所属の商人に対する元締めの影響力はかなり大きいだろう。当然、国家に対しても。ヴァネッサはそれを知っていながら謙遜してみせているだけなのだ。
確かに、僕は若い。でもこんな事で対応を誤るほど馬鹿じゃない。
心の内でそう呟いて、アステアはヴァネッサに負けず劣らずの『外交用の笑顔』を発動させた。
「世界経済を握る商人ギルドを敵に回す事ほど、国にとって不利益になることはない…………僕は、そう思っています」
「…………」
「あなたの申し出が真に役立つならば、ラダトーム王女アステアの名に於いて、商人ギルドと対等の取引を行うことを約します」
アステアは元締めの顔を正面から見据えた。取引は信用が肝心であるが、相手に舐められるようではいけないのだ。ある程度までは大国ラダトームの名がその役割を負ってくれるが、そこからはアステアの力にかかっている。
「…………ご立派な態度ですわ」
ヴァネッサの『笑み』から凄みが抜けて、彼女の目は王女アステアではない一人の少女を見る。
だがそれをすぐに消して、ヴァネッサは本題に入った。
「改めて、まず地上の状況をいくらかお話ししましょう」
世界地図を机の上に広げて、紙上に無秩序に散った赤い×印を指し示す。
「地上はいまだ戦乱の傷深く、立ち直れない国や町は多くあります。幸いアッサラームはほぼ無傷で残ることができましたが、民全てが死に絶えてしまった国も存在します。それとアレフガルドの方は、ラダトーム以外に支部がありませんので情報が少ないのですが……」
「地上ほどではないにしろ、どこもかなりやられました……似たようなものです」
アステアは眉を寄せて呟くように言った。
こう真正面から被害に関して問われると、城を抜け出してきたことに罪悪感を感じる。
ラダトームの主は自分なのに、やるべきことをやらずにここにいる。
残してきた家臣たちに不安はないが……アステアは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
(ごめんなさい、できるだけ……早く帰るから)
その辺はアラン次第なのだけれど。
「我々は各国、街々に資金援助を行うことにしました。ですがギルドとしての援助だと、出来ることが限られるのです。商人ギルドは巨大な組織ではありますが、逆に言うなら単なる組織でしかない……。ギルドを動かす我々は一介の商人なのですから……。どうしても、できることに限界があるのです」
アステアは地図に落としていた視線を目の前の女性に向けた。
「国の後ろ盾が欲しいと言うことですね?」
「……話が早くて助かります」
「後ろ盾と言うより、国に使用目的を限定した援助資金を渡す、ということなのでしょうか」
普通と逆ですね、と言うとヴァネッサは頷いた。
「それが一番近いかもしれません…………正直に申し上げると、勇者の名前が欲しいのです。それがあるだけで随分違います。これまでは特定の国家と密接な関係になるのは避けていたのですが、今はそんなことを言っていられません。……人々を救うため、などとは申しません、しかし経済活動が活発になればお金が入り、人が増える……復興もより早く進むことでしょう」
淡々とした口調ながら、その言葉には非常な熱意が宿っている。
「商人は人とモノがあってこそ。そのための必要な投資ならば惜しみません。すでにカーメンにも同様の打診をしております」
「返答は?」
「恐らく、アステア様と同じかと」
アステアは狐につままれたような顔をしたが、即座に破顔して頷いた。
「お受けしましょう、十分その価値はあるようだ」
「正しいご判断、痛み入りますわ」
「それで、見返りとして何を求められるおつもりですか? 僕達の名前だけでいいのでしたら、それはそれで有難いですけれど?」
ヴァネッサの脳裏に、赤い衣装を纏ったアステアが浮かんだ。


「アラン…………何してるの」
ヴァネッサとの会談を終えたアステアが通された部屋に入ってみると、刀身に自分の顔を映してぼんやりとしているアランがいた。
(ええっと、なんて言うんだっけ、自分の容姿に見とれるのって。ナル?)
アステアは思わず少し引きそうになったが、それにしては雰囲気が暗い。
アランはのろのろと顔をあげて、「お前か……」と呟いた。
いつもの彼らしくない。覇気が感じられないとでも言えば良いのか、妙にけだるそうな雰囲気を纏っている。
不思議に思って近づき、その手元を覗きこむ。目に飛びこんできたのは見覚えのある形状の剣。
「! それ……ロトの剣?」
「ああ」
間近で見るのは初めてだった。戦闘中に何度か見たとはいえ、そんな生死を分ける場面でじっくり見ていられる余裕はない。
ロトの武具を扱えるアルスとアラン。
羨ましい、と何度か思ったことがある。
ラダトームにも勇者ロトゆかりの武器防具は存在したが、アステアに扱えるものはひとつも無かった。さすがにその時は、女に生まれた自分を恨めしく思ったものだ。
好奇心と期待を込めて、アステアはアランに聞いた。
「持ってみても、構わないか?」
「好きにしろ」
鈍い音をたてて剣が机の上に置かれる。
柄から握り、鍔の部分を指先で撫でてみる。ひやりとした感触だが、不思議とあたたかな感じがする。アステアは握りを両手でつかみ、そっと持ち上げた。
ずっしりとした重みが両肩にかかる。とてもではないが、自分が扱える重さではない。
「うわ……重っ……よくこんなの振り回せるね、君もアルスも」
「お前に体力がないだけだろ」
「君達はかなり特別っていうか異常なんだよ。僕で標準だって」
「い……」
あまりの言葉にけだるい気分など吹っ飛んでしまった。アランは、今鏡を見たらとてつもなくマヌケな顔を見る羽目になると断言できた。
勇者などと呼ばれていて『普通の強さ』であるわけがない。だったら他の人間がとっとと異魔神を倒していたはずだ。人によって戦闘スタイルの違いや武器の向き不向きはあるが、「俺は強い」と言いきれるだけの自信はある。
とはいえ、さすがに異常とまで言われると傷つくものがある。
だがまず何よりも、自分を標準と言いきるアステアの感性の方がおかしいのだと指摘してやるべきかどうか。アランはかなり本気で悩んだ。
アステアは彼がやっていたように刀身に顔を映してみた。見慣れた顔が、神秘的な光を宿すそこに映りこんでいる。
「……何、考えてた?」
「……言う必要性を感じない」
「そう……そっか」
アランの性格から考えて、絶対に口を割らないだろうとは予測していた。
さすがに腕が疲れてきたので、アステアは剣を机に置いてアランに向き直る。
「僕と馴れ合うのは、嫌?」
「べつに」
そっけない台詞が返ってくる。アランは剣を取って鞘に収めた。あの重い剣を片手で扱う様を見て、アステアはやはり羨望を感じる。
「……何だよ」
「その剣、軽々と扱えていいなぁって」
ため息をつきながら心底羨ましそうに言うアステア。
一瞬目を丸くしていたアランは、ふっと表情を緩ませて、
「だったら、俺達の年であの元締めと対等に話せる人間なんて、他にいないと思うぜ、俺は」
笑いを含んだ声で言った。
しかし、反応がない。
不審に思ってアステアを見ると……その顔は真っ赤になっていた。
「……もしかして、照れてんのか?」
「えっと、いや、その、そんなこと言われたの、は、初めてで」
ああいう態度とか対応は必然的に身についたもので、別に誉められるような事じゃないと力説する。
普段のアステアが信じられないくらいの照れ様に、突然アランが笑い出した。
昔聞いた大笑いするようなのではなくて、口元を押さえ、喉の奥で必死に笑いをこらえているような笑い方。
「なにも笑わなくても!!」
真っ赤な顔のまま怒ると、今度は机をばしばし叩いて床にうずくまる。
肩を震わせて笑うアランの後姿を見ていると、アステアは自分の心の中によく分からない嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。

彼に、少しでも受け入れられた証だと思うから。


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