+++ Irony A +++

休憩室のソファに腰掛けて俯いている彼を見つけたのは、本当に単なる偶然だった。
隠してはいるようだったが、うっすらと滲む汗と眉間に寄った皺と、ひどく力を入れて軍服の腿の部分を握りしめている姿が、恐らく何がしかの苦痛を受けていることを如実に物語っている。
我慢強い性格は軍人としても普通の人間としても美点だが、それも程度によっては他人の迷惑になる。
(やれやれ、何でこんなのに気付いちゃったのかねぇ)
ディアッカは荷物を抱えなおして嘆息する。
二つ三つ年下に見える赤服の少年兵。今の他者を拒絶する雰囲気は、苦痛を誤魔化すためのものか、それとも根っからのものなのかは知らないが、これはいけない。
昔の自分ならばともかく、諸事情により少しばかりのおひとよし属性を身に着けてしまった以上は見過ごせない。
ていうか見過ごしたら今の幸せ気分が吹っ飛んでしまいそうな気がする。
ああそうだ、幸せのお裾分けという意味でならばちょうどいいかもしれない。
他者には全く意味不明の理屈をつけて、ディアッカ・エルスマンは、苦痛に耐えている少年に近づいていった。
目の前に立っても少年は反応しなかった。
否、ほんの僅かながら顔を上げたが―――瞳はうろうろと虚空を彷徨っている。
「オマエ、大丈夫か?」
言いながら、ディアッカは相手をじっくりと観察し、驚嘆した。
(美人だな、おい)
優しげな容貌はたおやかで。今は苦しそうだが、笑えば花のように美しいのだろう。
これに煌く金髪が肩まで流れ落ちている様は、女性であれば誰もが反則だと叫びそうな容姿である。
熱に浮かされた表情にはひどくそそられるものがある。
しかしどれほど女性めいた顔立ちとはいえ、少年の体つきははっきりと男性の骨格をしている。
ディアッカはとりあえず同性には興味ないし、何より最優先すべき人が既に存在するので、目の保養と完全に割り切って眺めていた。
「う……ぅ……」
「無理はするな。楽な姿勢をとれ。ったく何でこんな場所で呻いてるんだか」
唐突にさしこみがきた、というならそれも仕方がないが。
どうみても彼の我慢の度合いは尋常ではなかったし、故にこれがいつものことなのだろうと察しはついた。
いきなり苦痛に襲われたなら、周囲の誰にでも助けを求めればいい。
それをしなかったということは、こいつは自分の病だか苦痛だかを隠しておきたいのだ。
「水は要るか?」
「い……ぇ、薬、は、飲み、ました……から、」
細かく息を継ぎながらの返答。どんな病状か知らないが、よくこんなのでアカデミーの健康診断を通ったものである。しかも赤だ、この美人。
「ふぅん。しばらく待っていれば治まるんだな?」
「はい……」
誰かを思い出させる青い目が、気を遣わないでくれと訴えていたが、もう乗りかかった船だ。
ディアッカは彼の隣にどっかりと座り、完全リラックス体勢になった。
「そうか、じゃあ動けるようになったら医務室に連れてってやる」
本当は所属を聞き出して連絡してやった方がいいのだろうが、あまり喋らせるのも良くない。
(まぁ、たまにはこういうのもいいだろう)
た ま に は 。……いつも誰かのフォローをしているという現実は棚上げだ。
新兵らしき赤の少年はもの問いたげに首を傾けていたが、結局諦めたのか再び俯いた。
(今年の赤、か)
この色の軍服は様々な記憶の引き出しを開けてくれる。
ディアッカは膝の上に荷物を乗せたまま、しばし物思いにふける。
幼く傲慢な思考でエリートの証を誇っていた過去や、それにまつわる罪と出会い。
今更未練はないが、自分が赤でなければ彼の船に捕らわれることはなかっただろうし、また身を寄せることもなかった。
それを思えば、少し愛着めいたものを覚える。……もう決して着ることはないが。
――さて、この少年は一体何を思って赤を纏い、その先に何を得るのだろう?
上司よりも長い髪に隠された少年の横顔を眺めた。
落ち着いてきたのか、呼吸は正常、青ざめていた顔色も、良いとはいえないがまだマシになっている。
はぁっ、と一際大きく息を吐いた少年は、色素が抜けそうなくらい握りしめていた拳を解いた。
そして額の汗を拭い、ふと思い出したようにディアッカに向き直り。
「お心遣い痛み入ります。もう大丈夫で……」
言いかけて、絶句した。

ああ、そりゃ絶句もするだろうな、とディアッカは他人事のように考える。
ガラスの目がぼんやりと、固まっている少年の顔を見返している。
ディアッカが膝の上に座らせるように乗せているそれは、どう見てもアンティークドールだった。
白磁の頬に流れ落ちるは、彼らと同じ黄金の色。緩やかな巻き毛がレースのドレスを飾り立てる。
大きさは80センチくらいだろうか。子供サイズと言っても差し支えないだろう。
そんな人形を、色の配置からしてひたすら目立つ美形の、それも十分に男性らしさを備えつつある青年兵が持っているのだ、その異様さは人の思考を一瞬にして漂白するほどの破壊力を持っていた。
ディアッカがこの人形を受け取ったのはつい先ほどだ。
まず軍事基地に送られてくるようなシロモノではないので、余程徹底的に検閲された後らしく、包装も箱もなかった。
地球からの荷物だったため、余計に警戒感を抱かせたのだろうが……確かに怪しさ大爆発である。
人形を目にした途端、さすがのディアッカも硬直したが、差出人の名を確認して納得した。
几帳面な字で記された名前はミリアリア・ハウ。
ディアッカが求めてやまない愛しの君からの贈り物であった。
受付の係官も驚いただろう。いやむしろ退いただろう。
最初は固まっていた彼が、突然上機嫌になり、鼻歌すら歌いながら受け取りのサインをして、ごくあっさりと人形を手にして出て行ってしまったのだから。
道行く誰もが奇妙なものを見る目でディアッカを見送ったが、彼は全く気にしなかった。
「また顔色白くなってんぞ? 大丈夫か?」
「……いえ、ちょっと……」
目を逸らされるのは仕方がないが、ディアッカはこの人形を手放す気はなかった。
彼女としては大方意趣返しとか嫌がらせのつもりだったのだろうが、その思惑は見事に外れた。
ミリアリアからのプレゼントという時点で、良識とか世間の目とかいったものがディアッカの中で格下げされたからである。
「ああ、コレか? プレゼントなんだけど」
まだ本調子ではなさそうな少年に、気が紛れるだろうという意図と、ついでに惚気たい気持ちから一方的に話を続ける。
「誕生日プレゼントってことで送られてきてさ、恋人から」
恋人、のところを強調して口に出す。何も間違ったことは言っていない。
ミリアリア自身はどう思っているか知らないが、ディアッカにとってはただ一人の恋しい人だ。
「検閲のせいで当日には間に合わなかったけどな。でも嬉しいよ、アイツが俺の誕生日を覚えててくれて」
そう、ミリアリアの目的が何であれ、メッセージが一つもなくとも、これは確かに彼女からの誕生日プレゼントだった。
ディアッカにとって重要なのはその事実だけ。
少なくともまだ彼女に忘れ去られてはいないと確認することができた。
それだけで十分すぎるほどに喜ばしいことなのだから。
幸福な気持ちを隠しもせず、微笑し語るディアッカを、少年兵はひどく戸惑ったように見つめている。
「……その方は、あなたの唯一の人なのですか」
ぽつりと呟かれた言葉は、何故か訴えるような、希うような響きを持っていた。
ディアッカはきょとんと少年を見返した。
今の惚気のどこが彼の心の琴線に触れたのか、そこまではディアッカにも分からない。
ただ彼が求めているのは同意だろうと漠然と感じられた。
この少年兵の『唯一の人』が誰を指すのか知らないが、彼にとってその人物は、ディアッカにとってのミリアリアと同じだけの意味を持つ人なのだろうと、理解できてしまった。
「――身体も心も全部俺のものにしたい好きな女って意味なら、確かにあいつは唯一の人かもな」
「その人のためならば全てをなげうってでも、願いを叶えてあげたいと思えるくらい?」
「そりゃあな」
反対すべきことには反対するけど。
付け足しのように呟いた言葉に、少年はそうですか、と頷く。
「大切な人のためなら、どんなこともできる……受け入れる。私と貴官は本質的なところで似ているかもしれない」
ディアッカは少し眉を寄せた。……どこか目の前の少年に違和感を感じる。
先ほどの苦痛に耐えていた時とは違い、今は何もかもを受け入れたかのような穏やかな表情をしている。
腕の中の人形に目を落とす。彼は人形ではない。間違いなく自らの意思で動いているはずなのに。
強靭な意思を持ちながら、脆いガラスのような気配がする。
歪んでいるのにまっすぐで、想いの形は似て非なるもの。
――ふと、そんな感慨を抱いた。

それから一年の後。再び起こされた戦争の後。
レイ・ザ・バレルという一人の少年について、キラとアスランの口から語られる。
彼の言っていた『唯一の人』は、ギルバート・デュランダルのことだった。
なのに彼自身が議長を撃ち、この戦争の最初の幕を引いたのだという。
「皮肉な結末っていうべきなのかな、コレは。それとも……」
最も大切な人を撃ってしまった彼の気持ちは、彼自身にしか分からない。
けれど、自分がレイという命であることを知った彼は、もしかしたら幸せに死ねたのではないだろうか。
腕の中で暴れる温もりをやんわり押さえつけながら、ディアッカはぼんやりと考える。
……地獄から響くような、怒りのこもった低い声が流れてきた。
「……私にとっては皮肉な結末よ。何で部屋にアレが堂々と置いてあるの」
再びAAのオペレータに就いていたミリアリアを拉致っていたディアッカは、全く悪びれずににっこりと笑顔になる。
「だってミリィがくれた物だし。大事にとっとかないと」
「いやぁぁぁ変態ぃぃぃ!!」
「自分で送っておきながら」
これもある意味では皮肉なことか。
あれだけ戦場には近づくなと言ったのに、彼女はジャーナリストどころか正式な軍人になって宇宙にやってきた。
そして今、全然大人しくしてくれないが、ディアッカの腕の中にいる。
――今はただ、この幸せを享受しよう。あの少年の分までも。
細い肢体に腕を巻きつけて、小さな顎を指で持ち上げる。
動きの止まったミリアリアの艶やかな紅唇を塞ぎ、久方ぶりの蕩ける甘さを味わいながら、力の抜けた身体を寝台に押し倒した。


 →B ver.

ディアッカとレイという有り得ん組み合わせ。ディアッカバージョンです。
誕生日おめでとうおめでとうディアッカ!(遅い)
最後ちょっとイイ思いさせてあげたから許して。
2006.4.10 イーヴン