+++ ロト紋命題 16〜20 +++

† 16.雨 †


水を含み肌で感じるほど重くなった空気を押し分けて彼は歩みを進める。
地下の湿気とは違う感触と匂いに、そういえばこんな感じだったな、とらしくもない感慨に浸る。
アレフガルドの大地に降り注ぐ雨―――
地下世界では基本的に大雨が降ることはない。大気は穏やかに循環していて、海から蒸発した水分をその内に抱き、ほんの時折優しい雨を大地に降らす。
常に明るい光が満たされているアレフガルドにおいて、それはルビスの涙と言われている。
もちろん単なる伝説だ。だが伝説故に、その説明は様々だ。生あるものの死を悼んで泣いているのだとも、共に生きることの叶わぬ恋人を想っているのだとも。
タダの自然現象にすぎない雨に、よくぞそんな理由を思いついたものだと思う。
彼にとってはその程度のことだ……これはただの雨なのだから。
古びた回廊の外は水のベールを被り、遠くを見渡すのが難しくなっている。空から舞い降りる大きな水の粒が名も知らぬ植物の葉に落ち、跳ね返って彼の手を濡らした。
「……ただの雨、か」
『雨が降っている』と知らせを受けて、竜王は久方ぶりに地上の土を踏んだ。
何故そんな気になったのか、彼自身にもよく分からない。
かつて地上世界に本拠を構えていた彼にしてみれば、雨など珍しいものではない。現に何度もアレフガルドの雨を経験しているが、わざわざ見物しようなどと思ったことはこれまで一度もなかった。
それが今日、滅多にないほどの大雨だと聞いた途端、彼は重い腰を上げていた。『何か』が彼を動かした。
嵐と呼ぶに近い天候。
こんな日は人であれ魔物であれ、隠れてじっとやり過ごすのが常である。
しかし竜王は屋根のある回廊を抜け、城のテラスを通り、手入れされず植物が生えるに任せた庭園に降りたった。
痛いほどに降りしきる雨の中、黒いマントが水を吸って重くなるのにも構わず、竜王は歩き続ける。
その先に、朽ちた四阿があった。
石造りの土台は苔むして緑の絨毯を敷いている。同じく残った柱などの骨格は、細い蔓でぐるぐる巻きに縛られている。かつて置かれていた木の机や椅子はとうに腐り落ちて他の植物の苗床だ。
竜王は四阿の前で足を止めた。恐らく小さな階段だったであろう場所から生えた薄紅色の花が、雨にうたれて揺れている。
………誰かを思い出す色。
竜王は雨にもかかわらず薄明るい空を見上げた。水滴は容赦なく彼の顔に肩に叩きつけるように落ちかかる。
(多分、俺は、懐かしいのだ)
遙か遠い記憶に想いを馳せる。そう、あの時とよく似ている。
かつて、彼が初めて彼女と相対した時も、強い雨が降っていた。確かあの時は彼女が降らせていたのだったか。
風といかずちを纏った誇り高き敵。
竜王と呼ばれる存在に敗北を認めさせた娘。
薄紅色の花が目の端で大きく揺れた。
四阿に立つ幻がこちらを振り返ってふわりと笑う。王妃と呼ばれるよりも前の、少年の格好をしていた頃の彼女が。
―――僕に言ったこと、思い出したの?
『あの時』彼女は既に子を成していて、自身のことは私と言っていた。だが、これは幻だ。
最も強くこの目に焼き付いた姿の―――
「思い出したとも。成すべきことを。我が望みを」
魔であることを選び主と仰がれ、地下世界の陰を支配する。それでいいと思っていた。
だがこの雨が思い出させた。かつて敗れた敵の存在を。歴史に燦然と光り輝くその名との因縁を。
―――むしろ忘れててくれた方が、僕ら人間にとっては都合が良かったんだけどね。
「きっかけを作ったのはお前だ」
―――そうなの? でも僕が何も言わなくたって、君はいつか決意していたはず。……竜の王。
「そう、我は王たる者」
―――そして人に仇なす魔王……。
幻が真っ直ぐに彼を見た。蒼い目が力強く輝いて彼を射る。かつてのように。
―――「血と意思を継ぐ者が君を倒す」……僕はそう言った。
「覚えている」
―――約定は違えない。遠からず現れるよ……君の敵が。
白い手がまっすぐ横にのばされる。指先が指し示すは、かつて彼女が暮らした国。
竜王は笑った。心の底から楽しそうな声で笑った。
魔王として立つ高揚感に。いずれ彼女との『約束』が果たされるであろう喜びに。
「返り討ちにしてくれよう」


竜王、アレフガルド全土の支配を宣言。
同日ラダトームを襲撃し聖域に安置されていた光の玉を奪う。
また王女ローラを拉致。意図不明ながら某所にて監禁す。

世界が闇に閉ざされてより幾日か。王の年、王の月、王の日。
『勇者』、アレフガルドの地に降り立つ。

全三話の続き物です。16.雨→17.敗北→18.王の順に続きます。
しばしおつきあい下さい。
2005.6.1 イーヴン


† 17.敗北 †


竜王はその巨体を大きくくねらせて苦痛の咆哮をあげる。
柱を破壊するほどの物理的な力をも得た絶叫が、空気を震わせて地下空洞中に響きわたり、それが余韻となって消えた時、彼の巨体は鈍い音を立てて地に沈んだ。
もはや死は目前にあった。満身創痍となった重い身体はままならず、尾や指先でさえも動かすことができない。
呼吸すら自らの意思で操れず、時折口からちろちろと残り火のような炎が吐き出される。
唯一動かす事のできた目をゆっくりとさ迷わせる。
探すものは一つしかない。この場にいるのは二人だけ。
竜王と、彼をこのような目に遭わせた『勇者』のみ―――
青い鎧を身に纏った人間が、剣を支えにして片膝をつき、荒い息をついていた。
それでも油断無くこちらを睨みつけてくる瞳が……かつての敵を思い起こさせる。
竜王は笑おうとした。しかし固い皮膚は動かず、代わりに全身が緩やかに収縮し始める。
ヒトガタに戻る。今の力ではこの竜の巨体を維持できないからだ。
だが戻ったところで死ぬまでの時間が少し長くなったにすぎない。竜王自身がそれをよく分かっていた。
彼は、敗れたのだ。
竜王の野望は潰えた。それなのに―――
「何故、そんなに満ち足りた表情をしている……」
立ちあがった『勇者』が、人型に戻り小さくなった彼を見下ろしていた。
悲しげな表情を見て竜王は思わず苦笑する。
彼女に似ていると思ってしまったのだ。未だに面影を探そうとするか、と。
「哀れむな……早く、とどめをさせばよい……」
「放っておいても、お前は死ぬ」
剣によって殺すのもひとつの慈悲だ。苦しみを長引かせないために。
そうしないのは、『勇者』にとって彼がもう剣を向ける相手ではないからなのだろう。
「甘い奴だな、貴様は……」
しかし一人を除けば勇者とはそういうものだった。あの勇者も、彼女も。
「継ぐ……者、よ……」
ごぼり、と嫌な音がして身体が痙攣する。同時に口から赤い血が大量に吐き出される。
聖なる血を引く竜神の一族でありながら魔王となったこの身はどうなるのだろう。
ただ朽ちゆくならばそれもいい。堕ちた神には相応しい末路だ。
彼を悲しげに見下ろす『勇者』の血は続くだろう。
ルビスの守護を得て、幾度となく魔を屠り光のもと正義の具現者であり続け……。
かならず魔王の前に立ち塞がる。
故にこそ、竜王は選んだ。
魔王であることを。
既に死相の浮き出た竜王の顔に、穏やかな微笑が広がった。
もう望みは叶った。再びロトの勇者と雌雄を決することができた。
約定は果たされたのだ。
伝えたいことはただひとつ。『勇者』の顔の向こうに、薄紅色の髪の娘を見る。
「感謝する………」
かろうじて耳に届いた最期の言葉の意味を、『勇者』は知らない。
竜王が突然挙兵した理由も人間にとっては謎のままだった。
だが死力を尽くして竜王と勇者は戦い、魔族の王は満足して逝ったのだ。それだけは確かなことで。
『勇者』は兜をとり頭を垂れる。目を閉じて、偉大なる敵の死に黙祷を捧げた。


初めてその男と相対した瞬間、竜王は全身を喜びが駈け抜けて行くのを感じた。
ああ、あの娘は約束を守った。間違いなくこの男が『勇者』だ。
血と意思に導かれ、かの人の約した我が宿敵……ロトの勇者!!
この瞬間の為だけに魔王として立ったのだと、竜王は不思議な感慨を覚えながら思う。
我ながら愚かなことだ。勇者と魔王は滅ぼしあうしか道はないのに、と。
見覚えのある武具に身をつつんだ男が、まっすぐに竜王を見つめている。
憎しみでなく、怒りでもなく―――倒すべき敵として。

貴様が来るのを待っていた。我が半身にも等しき者……勇者よ。我は待ち続けたのだ。


竜アスです。DQ1もこんな視点でプレイするとまた違う発見があるかも?
あ、『勇者』に名前がないのにはちゃんと理由があります。
2005.6.2 イーヴン


† 18.王 †


緑濃い庭園に佇む簡素な造りの四阿は、随分と年季の入った代物だ。しかし古くはあるが丁寧に手入れされていて、年月の生む落ちついた風格を醸し出している。
中央には樫材の小さな丸机が据えられていて、レース編みの敷物の上には花瓶が載り、淡紫の可憐な花が一輪生けられている。
それからたった一人のための、客用の華奢な椅子が一脚。
町の裕福な家や貴族の館ならばよくある風景だ。奥方や若い娘が好んで過ごしそうな場所である。
しかしこの場所は少々様子が違っていた。
まずやってくる人間が皆無に近く、且つ来られたとしても寛げるだけの肝の座った人間がどれだけいることか。
―――ここが『竜王の城』と呼ばれるが故に。

覚えのある気配が近づいてくる。地下深くの玉座にいても感応できる。彼には人の形をした光のように感じられる存在。
彼女の気配は絹のように柔らかく月光のように冴え冴えと澄んでいる。
竜王は思案した。このままだといつものように地階まで降りてきてしまうだろう。
それを待つのも楽しみではあるが、彼女にはこんな暗い穴ぐらの底は似合わない。
ラダトームから監視のためにやってくる人間は、大抵上の城を視察しただけで帰っていく。
地下部分の存在と入り口を知る人間は、かの国の国王以下数人だけだ。
その中でも最深部までわざわざやってくるのは二人しかいない。
彼女はその内の一人だ。ラダトームでは王妃と呼ばれる身分の癖に、監視と称してこうしてたまにやって来る。
しかもわざわざ最下層まで降りてくるのだ。はっきり言って王妃のやることではない。
子供も生まれたことだしいい加減やめたらどうだ、と忠告してみたことはある。
「そうして欲しいの?」と問い返されて、竜王は黙りこんだ。
彼女との会話は、他の何よりも有意義なものだ。それを失うのは惜しい。
竜王と対等に、しかも何の衒いもなく会話できる存在は、彼女をおいて他にない。
結局「まあ、来る来ないはお前の勝手だがな」、と適当に答えをはぐらかしておいた。
竜王の誇りにかけて、意地でもそんなことを口に出しては言えないからだ。
彼女との逢瀬を楽しみにしている自分をおかしいとは思うのだ。少なくとも過去の自分と照らし合わせてみれば、ありえない行動だ。人間と他愛もない話をするなど。
だが彼女は例外中の例外。竜王が『敗北』し、唯一認めた人間なのだから。
「お前たちはここに控えておれ。護衛は要らぬ」
竜王は言い置いて上へと向かった。
あの四阿に迎え入れよう。光の下に、彼女のための場所に。

「ご夫君をほったらかしで良いのか、妃殿下よ」
「気色の悪い言い方は止めたら、竜王?」
「これは失礼した。ようこそラダトーム王妃アステア。ごゆるりとくつろがれよ」
「監視に来た人間に向かってまあ……いいけど」
アステアは綺麗に手入れされた四阿を感心したように眺める。以前彼女が冗談で持ってきた花瓶敷きがちゃんと敷かれているのを見て苦笑う。
「せっかくこんな四阿があるのなら、次はお茶とお茶菓子用意しておいて欲しいな」
対岸の国の王妃様はしれっと自分の要望を口にした。
竜王は苦笑しつつ是と告げる。
まさか了承されるとは思っていなかったアステアは、いささか退きつつ彼を凝視した。
アステアの驚いた顔を眺め、少しは裏をかけたかと竜王は密かに満足する。
「純粋な好奇心で聞きたいのだが、何故毎度お前が来るのだ」
「君とアランじゃ、睨み合ってるだけじゃない」
「……かもしれぬな。あやつは?」
「珍しい事に寝てる。子供に付き合わされて疲れたみたい。ほんとあの体力って凄いね……」
普通に戦闘するよりもね、と楽しげにアステアは言った。
竜王はふと目を細める。アステアの産んだ双子の男女。それはロトの血を継ぐ者たち。
「アロスとアニス……と言ったか、双子の名は」
「よく覚えてたね?」
「馬鹿にしているのか」
「そういう意味じゃなくて」
机に肘をついてアステアはクスクス笑う。
「君は自分が認めた相手以外ハナもひっかけない、名前なんか覚えやしないと思ってたから」
アステアの分析は正しい。
しかし竜王を『負かした』彼女とアランの子で、ロトの血をひく者の名だ。覚えているのは当然だろう。
それに。
「――王の年、王の月、王の日に生まれた子らだぞ」

かつて竜王はこの目の前にいる娘に敗れた。
戦って敗れたわけではない。そういう意味では、偶然とは言え彼はロトの勇者たちの誰とも直接戦ってはいないのだが。
異魔神の手によって傷つき血を流していた竜王に、アステアは手を差し伸べた。
「誰であれ傷つき打ち拉がれた者に向ける拳を持たない」、そう告げて。
単に一時休戦と言う意味もあったのかもしれない。それでも彼女の行動は竜王の心に大きな楔を打ちこんだ。
主に裏切られ、また自らの出自を知ってしまった彼には、受け入れるより他なかった。
彼女は彼を殺そうと思えば殺せたのだ。その上で情けをかけられた事実は彼を切り刻んだが、それ故に……彼女の言葉と想いは真実であると悟った。
以後竜王はラダトーム対岸の島にある城に隠棲する。
アレフガルド全土の魔物を統括していたため、ラダトーム側は警戒したが、何ら行動を起こすことなく彼はそこにいた。
アステアに対して敗北を認めた以上、再度挑むことは彼の矜持が許さなかったのだ。
ただそれでも、ロトの血は竜王……魔王にとっての天敵であることに変わりはなく。
「お前の息子達と戦うのは俺かもしれんな?」
「本気で言ってるのか?」
「さて……」
竜王は曖昧に笑った。ありえないことではないと暗に匂わせる。
人を守護するロトの血は敵。今や自身のみを主とした竜王は、魔王であり続けることを選んだのだから。
「俺はグノンやゴルゴナが羨ましいようだ……」
「?」
「ロトの勇者と本気で戦えたわけだからな、ヤツらは」
「今挙兵してくれたら、すぐさま返り討ちにしてあげるけど」
竜王は重々しく首を横に振った。
「遠慮しておこう」
叶うならば戦いたかったというのが彼の本音だ。だが彼女と戦うことだけはありえない。
静かに佇む竜王を、アステアはじっと観察する。
この小さな島の主にして魔族の王。威厳のある姿が彼女の目の前にある。光の下で。
「……竜王。改めて聞く。君はここで何をしている?」
煌く双眸がまっすぐに彼を見る。嘘も誤魔化しも許さないと告げている。
「竜王、君は王だ。きっとそれ以外のものにはなれない……」
「王ならお前の隣にもいるのではないか?」
面白そうに言った竜王の言葉に、アステアは違うと頭を振った。
「一国の王と言う意味じゃない。君は存在そのものが『王』なんだ。聖であれ魔であれ、全てを平伏させるもの。決して揺らがず侵されず、常に確たるものとしてそこに在る……」
そして魔王であることを選択した以上は。
「君がそうあることを選んだのは、ロトの血筋と戦うためだろう?」
異形の王は笑みをもらした。妙に人間的な笑みだった。
「お前の言うとおりだ。もはや誰にも膝はつかぬ。俺こそが魔族の王、人間と勇者の敵。いずれ俺は―――『王』として立つ」

「ラダトームが栄光を過去のものにした時。
 人間どもが恐怖を忘れた時。
 ルビスが力を失った時。
 お前が死して後、あろう未来のその先で。
 ―――我はこのアレフガルドの王となろう」

> 竜王の預言を、アステアは真剣な表情で聞いていた。その顔がにやりと笑う。
「その時は私たちの子孫が黙ってないよ」
「ならばまず、お前の子孫を捕らえておかねばならぬな?」
「やれるものならね、でも」
一つ忘れてるよ、竜王。
碧玉が竜王の目を覗きこむ。異種族の王を前にこんな事ができるのは彼女くらいだ。
「私たちって言っただろう」
「ほう?」
竜王の目が面白そうに輝いた。
「たとえラダトームのロトが囚われたとしても、アルスの子孫がいる。勇者はかならず君の前に現れる」
アステアはそこで一度言葉を切った。改めて、竜王をひたと見据える。
「私たちの血と意思を継ぐ者が、君を倒す」
約束しようか、と彼女は言った。
アステアと戦う事はない。けれどいつかはロトの血族と決着をつける時が来る。
約束があるのなら。未来で彼女の影に逢えるのならば。
そう、それこそが望み。敵であり友人である彼女と交わした―――いずれ叶う約束。

王は待つ。その時を―――ずっと。

難産でした……最初に出たネタはこの『王』だったのに。
竜王にとって重要なのは勇者との決着と“彼女との約束”だけでした。
故に勇者の名前なんてどうでもよかったわけです。
2005.6.5 イーヴン

≪10〜15   20〜25≫